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月面ラジオ { 35: 天文台(2) }

あらすじ:(1) 30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。(2) 月で働くことになった月美は、砂漠の僻地に閉じ込められました。

{ 第1章, 前回: 第34章 }

結局、月美はアルジャーノンと連絡をとれなかった。
マニーもハッパリアスも、社長の連絡先なんて知らないよ、と言い切ったからだ。
そして、月面ラボからの脱出もかなわないまま、さらに数日が経ってしまった。

「どうやったらここから出られるんだろう?」

これが口癖になったとわかっているけれど、それでも月美はぼやくのだった。

「仕事をやりとげるしかないんじゃないかな?」
 粗茶二号がきっぱり言った。

「そんな正論、聞きたくないよ。」
 月美は怒って言い返した。
「それができたら誰も苦労しない。脱走なんてハナから要らないんだ。」

「そんなこと僕に言ったってしかたないじゃないか……」
 粗茶二号は困りきった顔をした。

休憩時間になると、月美はコーヒーを飲みにカフェテリアへやってきた。
コーヒーサーバのあるサービス・カウンターにマニーとハッパリアスがいた。
ふたりとも月美を手招きしながら呼んでいた。

「あいつら、何をしているんだろう?」
 月美は言った。

「さあ……」
 粗茶二号は肩をすくめてみせた。

「こちとらコーヒーを飲みに来たんだ。来るなと言われてもそっちに行くつもりだよ。」
 ブツブツ言いながら月美はカウンターに向かった。

ふたりの様子がすこしおかしいことに月美は気づいた。
キョロキョロして挙動不審だったし、「早くこっちに来い」としきりにせっついていたからだ。
月美を見ているようで、その実、月美の背後や奥の扉の方を気にしていた。

ホークショットを警戒しているのだろう。
他に人もいないし、それしか考えられない。
そんなふたりを見て、「悪いことしてるときの顔だな」と月美は思った。

「なんのよう?」
 カウンターの中に入ると月美は尋ねた。

「ノロノロするな! 早くふせるんだ!」
 ハッパリアスが慌てて命令した。

「なんだってんだ、いったい?」
 言われるがままに、マニー、ハッパリアスといっしょにカウンターの下に隠れた。
 粗茶二号もたんぽぽの綿毛のように床まで降りてきた。

「あんたに見せたいものがあるんだ。」
 マニーが声を押し殺して言った。

「教授には秘密でってことか?」
 月美は尋ねた。

「もちろん。」
 ふたりは同時にニヤリと笑った。

「見せたいものって? いったいどこにあるんだ?」

「この下だ。」
 月美の足元を指しながらハッパリアスは言った。

「実は床の下にちょっとした収納空間があるんだ。」
 マニーが説明した。

「ああ、あれね。うちの実家にもあったよ。買いだめした醤油をお母さんがそこにしまってた。こんなところに収納があるだなんて気づかなかったなぁ。」

「あると知らなければわからないようになってるんだ。」
 ハッパリアスは言った。
「どれ、ちょいと開けてみてくれ。」

「了解!」

返事をしたのは粗茶二号だった。
粗茶二号はどこからともなく、指揮棒のような杖を取り出した。

「ええと、このあたりだったかな? 三つ上がって……横に二つ……」
 ぶつぶつ言いながら粗茶二号は杖で床を三回叩いた。

「魔法の杖がないと開かないのか?」
 月美は尋ねた。

「いらないよ。」
 粗茶二号は答えた。
「何ごとも演出が大事なんだ。」

そのときだった。
まっさらだったキッチンの床に長方形の大きな亀裂が入った。
それはちょうど畳くらいの大きさで、亀裂の入った四角の部分だけが、他の場所よりもすこしだけ浮かび上がった。
かすかなモーター音とともに、持ち上がった床は横へずれていき、あとにポッカリと大きな穴が現れた。

「うそだろ……」
 月美は驚嘆の声を漏らし、涙まで出そうになった。
「あぁそんな! 信じられない!」

床の下にはいっぱいの缶、缶、缶、そして缶。
なんとなれば、それらすべでがビールの缶だった。
世界中のありとあらゆるビール、思いつく限りのビールが、床下の貯蔵庫に寝かされていた。

緑の大地に真っ赤な星が浮かぶ缶、黄金色の太陽の缶、淡い青の月の缶、これらは毎度おなじみのハイネケン、コロナ、ブルームーンだ! 
それにギネス、ヒューガルデン、レーベンブロイだなんてこじゃれたものもある。
他にも月美の知らない銘柄がいっぱいだった。

指をいれる隙間すらないほどにびっしり詰められた缶の群れは、まるで一枚のモザイク画のようでもあったし、ひとつひとつが芸術作品でもあった。
ここで料理をしたり、コーヒーをいれたりしていたわけだけど、まさか足元のお宝に気づかず踏みしだいていただなんて。

「ビール……」

ここに閉じ込められてからというもの、もう何ヶ月もお目にかかっていないし、一生飲めないものだと覚悟していた。

「こんなにたくさんあるのに、どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ?」
 月美は憤然と抗議した。
「早くってのはつまり、私がここに来た最初の日ってことだけど。倉庫からかっぱらってきたのか?」

「ホークショットは下戸だ。ビールなんてハナからないのは知ってるだろ?」
 ハッパリアスが言った。

「それに、食べ物も飲み物もあの人がきっちり管理している。」
 マニーが付け加えた。
「ビールでなくても、盗みだすだなんてムリな話だよ。」

「これ全部へそくりってことか。」
 月美は感心して言った。
「すごい量だ。どうやって手に入れたんだ?」

「なんじ、よそさまの秘密をきくことなかれって、おばあちゃんに教わっただろ?」
 ハッパリアスは言った。
「誰だって嘘つきにはなりたくないからな。」

「まあいいさ。」
 月美は目を閉じて首を静かに振った。
「大切なのは、ここにこれだけのモノが揃ってるってことさ。なあ、まだ仕事が残ってるってのはわかってるんだけどさ……」

「もちろんだ。」
 ハッパリアスはニコリとした。
「一杯やろう。」

「そうこなくっちゃ!」
 月美は嬉々としてハイネケンに手を伸ばした。

月美たちは、背の高いステンレスのカップに思い思いのビールを注ぎ、カフェテリアの窓際に陣取った。
ステンレスなら中が見えないので、ビールかどうかだなんて遠目からじゃ分からない。
もしホークショットが現れたとしても、すぐに飲み干して、コーラの一気飲みの対決をしていたと言い訳すればごまかせるだろうというのが、月美たちの見解の一致するところだった。

月の砂漠を眺めながら世間話やら笑い話やら愚痴やらを垂れ流し、ビールを飲み干したところで「次の一杯が最後だ」と言いながらサービスカウンターにおかわりを注ぎに戻るのを何度も繰り返した。
そうして三人がすっかりできあがったころ、「ここでホークショットが来たらもうごまかしようがないのでは」という考えがふと頭に浮かんだけど、月美はそれを無視することに決めた。
なんの申し合わせもないけど、マニーもハッパリアスも同じ結論に至ったことだろう。
もうどうにでもなれってやつだ。

「まったく人間ってのはどうしてこうも愚かなのだろう。」
 ハッパリアスが上機嫌にカップを掲げた。
 普段は青白く硬そうな肌が赤く高揚していた。
「宇宙に来たところで、地球にいた時とやることは変わらねぇ。」

「ああ、昼間から飲んだくれてるってわけだ。」
 マニーがニタニタしながら言った。
 普段はムスッとしてあまり笑わないマニーだったけど、このときばかりはアルコールで崩れた妙ちきりんな笑顔が、油のように顔面にこびりついていた。
「なあ、そうだろ?」

「さあ、どうだろうな……」

月美はまともに返事もせずうつむくばかりだった。
そして飲みかけのカップを机の上に置いた。

「どうしたの、月美? 元気がないな。」
 マニーが月美の顔をのぞきこんだ。
「まさか酔っ払ってるの?」

ハッパリアスがけたたましく笑った。

「最近、思うようになったことがあるんだ。」
 月美は切り出した。

それはほんの数日前に気づいたことだった。
最初は水一滴分ほどの違和感だった。
けれどその違和感は、時間が経つとともに確かなものになっていき、やがて心のどこからか湧出する予感めいたものへと変わっていった。
理由は月美にもよくわからなかった。
でも確信にちかい予感と言えた。

「この場所に見覚えがあるんだ。」

「この場所?」
 マニーは首をかしげた。

「月面ラボさ。なぜだかわからないけど、はじめて来たきがしないんだ。」

「へえ。」
 マニーは不思議そうに唸った。
「宇宙の果ての研究所だなんて、一度きたら早々忘れそうにないんだけどな。」

「そういうのじゃないんだ。」
 月美は首をふった。
「もちろん月に来たのは初めてだよ。でも、ここと似た場所に来たことがある気がするんだ。地球でもここと似た場所の記憶はないってのに。不思議だと思わないか?」

「ああ、実に不思議だ。気になって夜も眠れねぇ。」

ハッパリアスが言った。
月美の話にカケラも興味を示さず、投げやりな言い方だった。

「カフェ付きの研究所ならどこにでもあると思うよ。」

マニーもハッパリアスと近い態度だったけど、まだ月美と向き合おうという意思は垣間見えた。

「カフェテリアだけじゃない。」
 月美は続けた。
「運動場、映写室、屋内菜園、それに展望室……そういった場所を訪れるたびに、どこか懐かしい気持ちになるんだ。懐かしくて泣き出したくなるような。なあ、そういうことってたまにないか?」

「ないな。」
 間髪入れずハッパリアスは答えた。
「だろ?」

「ない。」
 マニーも言い切った。

「ああ、悪かった。」
 月美はムスッとして言った。
「つまらない話しをして。もう切り上げるよ。」

月美はステンレスのカップを手にとり、ハイネケンをグイッと飲み干した。

「あんたの言いたいことも分からないわけじゃないんだ、じつは。」
 しばらくしてマニーが言った。
「確かにここは不思議なところだよ。懐かしいってわけじゃないけどさ、どういうわけか惹きこまれてしまう。」

「一年以上ここに住んでるが、知らないこともまだまだいっぱいある。」
 ハッパリアスもうなずいた。
「先週だって地下に古い図書室を見つけて驚いたくらいだ。」

「図書室だって? どうやって見つけたんだ?」
 月美はたずねた。

「廊下を歩いてたら今まで開けたことのない扉に気づいたんだ。管理人のアノルドじいさんに鍵をあけてもらったら図書室だったってわけだ。」

「ん?」
 月美は首をかしげた。
「管理人?」

「知らないのか? 管理人ってのは管理する人のことだ。設備の点検をしたり、掃除をしたり……」

「そうじゃなくて!」
 月美はハッパリアスを遮った。
「月面ラボには管理人がいるのか?」

「なんだ、知らなかったのか?」

「知るわけないだろ! 見たこともないんだ!」

まさかの五人目の住人に月美は驚天した。
ルナ・エスケープ社員の他にも月面ラボに住む人がいただなんて聞いていなかった。

「まあたしかに、普段は管理人室に引きこもってるからねぇ。」
 マニーが言った。
「月美が知らないのもムリないよ。」

「管理人室ってどこにあるんだ。」

「五階だよ。五階に天文台へ続く通路があるだろ? そこに管理人室があるよ。」

「ちょっとまて。天文台? ここは天文台なのか?」

「うん。」
 マニーはうなずいた。

「天文台も兼ねているってことさ。」
 ハッパリアスが言った。

「月の古い施設にはそういうところが多いよ。地球に比べたら観測条件がいいからね。何かを建てる時に、せっかくだから屋上に天文台も作ろうって計画が流行したのさ。」

「天文台が帽子代わりにされた時代があったってわけだ。」
 ハッパリアスは言った。

「天文台……」

時間がとまったような衝撃だった。
お告げのごときひらめきが雷となって頭の中を駆け巡った。
月美の生きるためのエネルギーがすべて思考に集中し、おかげで身体のほうは指を動かすどころか、瞬きすら忘れるほどだった。
下手すれば心臓だって止まっていたかもしれない。

「おいどうしたんだ、月美?」

ハッパリアスは心配そうにこちらを見た。
空っぽのカップを握ったまま固まる姿を見て、月美が石になったと思ったようだ。

「天文台……」

今日はとことん驚きの連続だったけれど、もうこれ以上驚くことはない。
果たして魚の小骨よろしく喉に引っかかっていた違和感の正体に、ふとした拍子で気づいてしまったからだ。
なぜ月美は「ここに来たことがある」と思ったのか? 
既視感の正体がようやくわかったような気がする。

月美は何も言わずに立ち上がった。

「急にどうした?」

ふたりが同時に言った。
月美の尋常じゃない様子から、ビールのおかわりでないことは、酔っぱらいどもにもわかったはずだ。

「もう行くよ……ビールありがとう。」

月美はふたりに礼を述べると、その場を去った。
あることを……
とても大切なことを確かめるために。

あとの二人は目を見合わせた。

「あいつ、どこに行くんだ?」

月美の背中をみやりながらハッパリアスが言った。

「さあ?」

マニーも肩をすくめるばかりだった。


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