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{ 12: テロの架け橋(3) }

{ 第1話 , 前回: 第11話 }

とうの階段を上って春樹は研究開発室のあるフロアまでもどってきた。ユウナ博士が春樹たちを出迎でむかえてくれたエレベーターホールも、下の階と同じように停電して真っ暗だった。それに静かだった。人の姿が見えない。ここまで来る間、だれともすれちがわなかった。動物面のテロリストたちからげる人とも、それを追うテロリストたちとも……みんなどこかにかくれているのだろうか。部屋にかぎをかけて閉じこもっているのかもしれないし、もしくは緊急きんきゅう時の避難ひなん場所がどこかにあるのかもしれない。

秋人たちのいる発電施設しせつのフロアはさらに上にあるのだけど、停電でエレベーターは使えそうになかった。仮に動いたとしてもエレベーターに乗るのは危険だろう。あいつらにぼくの居場所を知らせるようなものだからだ。

「やっぱり、歩いていくしかないか……」

その時だった。春樹は背中のえりを乱暴につかまれた。何が起きたのか理解する間もなく、エレベーターのとびらに体をしつけられていた。だれかが、骨を折らんばかりに春樹の左腕ひだりうでをひねりあげた。

「動くな!」
 男の声がした。
「声も出すな!」

そんなこと言われなくたって、金属のとびらに顔を打ちつけたせいで声をあげられなかった。春樹は、とびらほおこすりながらコクコクうなずいた。声に聞き覚えがあり、男の正体にすぐ思いあたった。春樹の工具箱を没収ぼっしゅうした治安隊の隊長だった。

男も春樹のことに気づいて手をはなした。春樹がその場でくずれると、男はあわてて春樹のうでをつかんだ。

「すまない、暗くてだれだれだかわからないんだ」
 バン隊長は、春樹をかかえ起こした。
「君の体格はテロリスト向きじゃないとわかっていたんだが、念のため確認させてもらった。大丈夫だいじょうぶだったか?」

「は、はい……」

春樹は、心臓バクバクの胸を手でおさえながらうなずいた。頭もまだクラクラしていた。

「君はこんなところで何をやっている?」
 バン隊長は言った。
「今がどんな状況じょうきょうかわかっているのか? フロアをうろつくのは危険だ。すぐにかくれる場所を探して……」

「まってください!」
 バン隊長がうでをつかんで引っぱっていこうとしたので、春樹はあわてて言った。
「受付ロビーで、動物面の二人組が暴れています。みんな人質にされて……」

「わかっている……ロビーで警備をしていた私の部隊も、テロリストどもの強襲きょうしゅうを受けたんだ」

バン隊長は立ち止まった。その顔が急に険しくなったので、春樹はビクリと体をふるわせた。

「私は用事があってその場をはなれていたんだ……異変に気づいてもどったときはもうおそかった。私の部下たちはたおされていた。おそらく……おそらく皆殺みなごろしにされただろう……ロビーにいた人たちを見捨ててここまで退避たいひしたのはやまれるが、私ひとりではどうしようもない状況じょうきょうだったんだ」

バン隊長は、春樹に状況じょうきょうを説明したいというよりも、その後悔こうかいの念をふりはらいたいがために話しているようだった。

「ど、どうするんですか?」
 春樹は言った。

「他の部隊と合流して、今度はこちらから強襲きょうしゅうをかける。殺された仲間の無念は必ず……」

ふとバン隊長の背後にかげがあらわれた。かげは気がついたらそこにいて、それがあまりに突然とつぜんだったせいで春樹は絶句してしまった。大きなかげだった。牛の仮面をかぶった巨大きょだいかげが……身長二メートルをす大男がそこにいた。

「う……」
 春樹はハッとなってさけんだ。
うしろだ!

バン隊長の反応の速さは、春樹の比でなかった。隊長は、回転中のコマでもかくやという速度でふり返ると、牛仮面におそいかかった。ただ敵のほうが速かった。いや……速いというよりも人間の動きを明らかに凌駕りょうがしていた。

今度は隊長の体がエレベーターのとびら激突げきとつする番だった。春樹には何が起きたのかさっぱりで、気がつけば隊長は反対側のエレベーターに投げ飛ばされていた。春樹はげようとしたけれど、あわてたせいで足がもつれ、その場に転んでしまった。

決着は一瞬いっしゅんだった。隊長はエレベーターのとびらを背中でし、その反動で前に進み出ようとした。すでに間近にせまっていた牛仮面が隊長の腹をなぐった。ただなぐっただけだというのに、にぶい音がはっきり聞こえた。腹の中に仕込しこんだマイクが、隊長の内蔵と肋骨ろっこつとがつぶれて混ざりあった音を春樹の耳に直接届けたかのようだった。隊長は、口から血をまき散らし、その場でたおれた。

隊長が動かないのを確認すると、牛仮面の大男はこちらを向いた。

春樹は、悲鳴も声も出せずにへたりんでいた。立てなくても、せめて後ずさりしようとしたけれど、手足がふるえて体をうまくすことができなかった。

牛仮面がゆっくりと歩き始めた。「ぼくの首をひねるのに全力の百分の一もいらない」とでも言いたげな足取りだった。殺されると思った。牛仮面から目がはなせなかった。仮面は、二本の角を生やし、やはりおにのような形相だった。身にまとっているのは、臙脂えんじ色の装束……死者のまとう白装束を、黒に近い赤で染め直したような代物だ。そして、血のような色をしているボサボサの赤かみだった。

「た、助けて……」

春樹の命乞いのちごいが聞き届けられた様子はまったくなかった。でも牛仮面はその場で足を止め、ふり返った。

「バ……」
 春樹もつられてそちらを見た。
「バン隊長!」

なんとバン隊長が生きていたのだ。でも、もうまともに歩けないのだろう……バン隊長は、かろうじて牛仮面の足元までって来て、その右足にナイフをてた。隊長はナイフのを両手で持ち、渾身こんしんの力であしこうしこんだ。

「な……!」

バケモノにも恐怖きょうふはあるようだ。牛仮面の声は、明らかにふるえていた。人間を紙くずのように投げる怪物かいぶつを今さらナイフで傷つけたところで、たいした効果はないんじゃないかと春樹は思っていたけれど、牛仮面は確かに恐怖きょうふふるえていた。

「クソが……」

隊長の体を牛仮面がみつけようとしたかに見えたけど、そうではなかった。それどころではなかった。牛仮面が一歩二歩と進み、この場から離脱りだつしようとした途端とたん、不思議なことが起こった。その巨体きょたいに火がついたのだ。だれかが火をつけたのではない。ひとりでに燃えだしたのだ。

火はあっという間に燃え上がり、体の燃えている時間は長かった。少なくとも春樹には長く感じられたし、牛仮面本人ならもっとだろう。その間、悲鳴が聞こえ続けた。牛仮面は立ったまま暴れまわり、エレベータのとびらかべに体を幾度いくどとなく打ち付け、ドラセナの樹を植木鉢うえきばちごとなぎたおした。そのうちに全身が火だるまになった。春樹はその光景から目をそむけた。

牛仮面を燃やす火が、暗闇くらやみの中でバン隊長の体を照らしていた。仰向あおむけにたおれた隊長は目を見開いていて、顔と胸のあたりには大量の血があった。春樹がそばによって顔をのぞむと、隊長は苦しげでいて、しかし満足そうな笑みをかべた。

「よかった、アタリを引けて……」

バン隊長はそれきり動かなくなった。死んだのだ。牛仮面は、徐々じょじょに黒いだけの大きなかたまりに成り代わっていたが、体がきる最後の時まで悲鳴は止まなかった。

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