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月面ラジオ {54 : 彦丸号(2) }

あらすじ1:月美の想い人・青野彦丸は、月で宇宙船を作っている。
あらすじ2:月美の姪の芽衣は、月面大学の大学生だ。月と地球との間で失踪した宇宙船の事後原因を、大学の同級生たちと調査している。

{ 第1章, 前回: 第53章 }


芽衣は、クリップ留めした紙の束を机の上においた。わざと表紙を印字しなかったので、一番上のページは真っ白なままだった。

「いいね。『極秘』って書いてあるより極秘資料っぽいよ。」
 青野さんは、うれしそうに紙の束を手にした。
「三〇七型機の報告書ってことでいいのかな?」

「はい。そこには、コズミックライン七十三便・ルナスケープ三〇七型機の失踪原因が書いてあります。」

青野さんはまだページをぱらぱらめくっている最中だったけど、芽衣はかまわずしゃべった。彼が読むのを待つヒマはない。

「宇宙船の管制システムにセキュリティの欠陥があります。航行中の船が乗っ取られるほどの欠陥です。」

青野さんが報告書をめくる手をとめた。それから芽衣の目をジッと見据えた。

「詳しく聞かせてもらえるかな?」

「音波サイバー攻撃です。私は、音波サイバー攻撃により船が攻撃されたと考えています。」

「聞き慣れない言葉だね。」

「電子機器に特殊な音波を当てて、外部から無理やり命令を実行するという攻撃手法です。大学でシュミレートしたところ、特定のメーカーの加速度センサーで音波サイバー攻撃が成立すると判明しました。」

「つまり、そのセンサーが……」

「三〇七型機に搭載されています。」
 芽衣は言った。
「私が考えているシナリオをお話します。攻撃者はラグランジュから出航する船に、小型のスピーカーを忍ばせていたはずです。そのスピーカーは貨物の中に隠していたかもしれません。船のメンテナンスに立会える人であれば、壁にはりつけておくだけでもよかったかもしれません。ただ船が出発した時点では、この攻撃は実施されません。ここがミソです。出港した時点で船が誤作動を起こせば、さすがに攻撃に気づかれてしまいます。ですが、船が宇宙の航路を言って、地球と月のちょうど中間点にさしかかっとた時、事情が変わります。その中間点では……」

「管制の管轄が切り替わる。」

「おっしゃるとおりです。」

芽衣はおどろいた。まさかこんなに正確な合いの手を入れられるとは思ってもみなかった。

「宇宙船の航行をつかさどる管制が、ラグランジュから月面港に変わるのです。それは瞬時の切り替え作業のはずですが、それでも、船がどこにも属さない瞬間が発生する。攻撃者は、その一瞬をついたのです。特殊な命令を音波に乗せて流し、船を騙しました。架空の管制システムをでっちあげ、攻撃者の制御下におくことで船を乗っ取ってしまうのです。ラグランジュ側からすれば、船の管制は月面港に移管したはずだし、月側からすれば、来るはずの船がいつまでもやってこない。気づいたときには、船が消えていたというわけです。」

「そう簡単にいくとは思えないな。」
 青野さんは言った。
「異常があれば、船の自沈システムが強制的に起動される。とくに無人船であれば、ためらいなく船を停止するはずだ。」

「対処が間に合うはずありません。」
 芽衣は答えた。
「管制が異変を探知して、船を緊急停止しようとしたとしても、場所が遠すぎます。月面港から現場までは、光の速さでも〇・七秒が必要です。船に停止命令が届くまで、最低でも〇・七秒が経過しているとうことです。攻撃者は、その間にいくらでも対策を講じられます。コンピュータからすれば、事件が起こってから一年後に警察が来るようなものですから。私たちは……」

ここで芽衣のノドはつっかえた。いまもドキドキしながら話しているわけだけど(そのわりにスラスラと喋れたので自分でもびっくりだ)、ここから先は緊張も比じゃない。これから言うことは、ほとんど根拠のない話だったからだ。もし芽衣が間違っていれば、いもしない犯罪者をでっち上げることになる。

青野さんは、そんな私の様子に気づいた様子だった。でも何も言わず、あいもかわらずニコニコしながらこちらを見つめていた。それが余計に芽衣の心拍数を煽った。

「私たちは、ルナスケープの人間による犯行だと思っています。」

それだけを言い切ると、芽衣は青野さんを見つめ返した。そして彼の反応を待った。でも、これは予想だにしなかったことだけど、青野さんは何も言わず芽衣を見つめたままだった。ほんとにびっくりするくらい何も言わないのだ。まるで顔を彫った石か何かだった。

質問しれくれればいいのに、と芽衣は思った。質問してくれれば、答えられる。反論でもいい。反論なら、さらに言い返すことができる。そういう練習をファビニャンや大学の友人たちといっぱいしてきた。でも、黙ったままでいられると、どうすればよいのかわからなくなる。芽衣はつばをのみこんだ。喉がカラカラに乾いている。ほんの三十分前に飲んだコーヒーは、いったいどこに行ってしまったのだろう。

「宇宙船と、それを運行するためのシステムに精通した者でなければ不可能なことです。」
 芽衣は続けた。
「むしろ、はじめからセキュリティ・ホールがあったと考えています。設計者が意図的に欠陥を残したんです。」

「うん、僕もそう思うよ。」

「はい?」
 変な声が出た。

予想外なんてものじゃなかった。ルナスケープの関係者が、それも執行役員に名を連ねるほどの地位の人が、あっさり芽衣の話を認めたのだ。それも、ほとんど陰謀論に近い仮説を。驚天動地というほかない。

「み、認めるんですか?」

「まるで否定してほしかったという口ぶりだね?」

「いえ……そういうわけじゃ……」

「僕はこの細工に気づくのに十年以上かかったよ。三〇七の件が起こるまでは、こんなこと想像だにしていなかった。特定のセンサーと組み合わせることで、管制システムを乗っ取れる仕組みが巧妙に仕込まれていたんだ。」

ふと見ると、青野さんのとなりで芽衣の報告書がぷかぷかと浮かんでいた。すでに読み終わったということだろうか? まさか……手短にまとめているとはいえ、二十ページを下らない量だ。

「我々が使っているシステムはあまりに未知の部分が多い。ブラックボックスというやつだね。システムが巨大すぎて、だれも全容を把握することができないないんだ。そしてこの報告書にあるとおり……管制システムの根幹は、人工知能ハルルというシステムだ。」

「宇宙の流通は、ハルルという未だ分からないことの多いシステムに依存しているということですね?」

「そういうことになるね。ハルルをつくった張本人は、どこかに行ってしまったわけだし。」

「青野さんは、ハルルの開発者がセキュリティホールを仕込んだと思いますか?」

「その可能性は大いにある。」
 青野さんは答えた。
「これはグルアーニーの復讐かもしれない。それか、ちょっとしたいたずらかもしれない僕は後者だと思うけどね。」

「いいんですか? そんなことをペラペラとしゃべって。私はまだ証拠をつかんでいない。ルナスケープ社としては、話をごまかしたいのでは?」

「否定したところで意味はない。疑わしきは罰せよが世間のモットーだ。」

「余裕ですね?」

「リコールの改修はすでに終わっている。不可解な音に騙される機体はもうこの世に存在しない。」

そういうことだったのか、と芽衣は思った。ルナスケープはすでに原因を特定していて、対応も終えている。でも、このことを発表していない。

「コズミック社とは内々で手打ち済みということですね。」

「するどい。」
 青野さんは手を叩いて褒めた。
「さすが月面大学の学生だ。いや、学生たちと言ったほうがいいかな。ひとりでこの報告書を作ったわけじゃないだろ? こんなにおもしろいインタビューだとわかっていたなら、君の友だちも招待してあげたのに……」

青野さんはちょっと信じられないくらいのんきだった。

「それでも宇宙船の失踪事件は未解決のままです。」
 芽衣は続けた。
「私がセキュリティホールのことを公表すれば、ルナスケープの信用に大きく響くことに変わりはない。」

「だとしたら、君には口を閉じていてもらいたいのだが……困ったな。君は誠実で、とても意思が強い。」
 その目がジッと私を見すえた。
「けど、その口を閉ざすのは案外かんたんかもしれない。」

芽衣は、よく知らない男と二人きりだということにふと気がついた。目の前の人がはっきり怖いとも思った。青野さんは、私を黙らせることができると言ってのけたのだ。

脅迫したわけじゃない。青野さんともあろう者が脅迫なんてするわけない。でも彼のひと言ひと言には、芽衣を萎縮させるだけの力があった。それは、映画のような安っぽい脅し文句よりもずっと効果があった。何かをやろうと思えば、必ずそれをやってのけるだけの力と意思がこの人にあるからだ。へんな妄想だとわかっているのに、自分の体が宇宙空間を漂っているところを芽衣はどうしても想像してしまう。さっきまで優しいお父さんだと思っていた人が、得体の知れない人間に見えた。

恋人のファビニャンの顔が浮かんだ。なんとかして、今、ファビニャンと連絡をとれないだろうか。それか月美ちゃん、同じクラスのアンドレ・ムサ、ルームメイトのアナスタシア……お母さん。この際、だれでもよかった。でもそれはムリな話しだった。外部と連絡をとりたくても、その手段がないのだ。ここは宇宙だ。ネットコンタクトは使えない。宇宙船の所有者である青野さんの許可がなければ、ネットワークに接続できないからだ。電脳秘書のトム猫さんを呼んだとしても、スーツを着た小粋な猫が姿をあらわすことはない。

「わ、わたしは……」

その時ふっと部屋が暗くなった。芽衣の体はビクリと震えた。青野さんが天井を見た。芽衣もつられて顔を上げた。

船の天井と壁が消えていた。芽衣たちは宇宙空間の只中にいた。

「あれって……」

芽衣は釘付けになった。見たこともない巨大な宇宙船がすぐそこにあった。いや、芽衣は何度だって見たことがあるはずだ。月面都市の空で、あるいは大学の寮の部屋で。広告や模型は何度だって見たことがあるはずなのに、それでもいまこの瞬間はじめて、この船の存在を知ったような気がする。

船を建造していたドッグはすでに半分だけ解体されていた。断崖のようにそびえる船体が、宇宙空間にむき出しになっている。ドッグの影に隠れて陽の光は当たらないけど、それでも白い船体は象牙細工のように輝いて見えた。基礎工事と外観の工事は、すでに終わっているらしい。宇宙船として、最低限完成しているということだ。いまは船内を空気で満たし、内装の工事をしている。

ルナスケープの木土往還宇宙船……十年ものあいだ、恋い焦がれた船が目の前にある。たしかに青野さんの言うとおりだった。この光景を見れば、誰だって黙ってしまうだろう。

気がつけば芽衣は宙を漂っていた。そこに天井があるということも忘れ、往還船に向かって突き進んでぶつかった。青野さんはクスクスと笑った。

「このことを黙っていれば、乗せてやってもいい。そう言ったら、芽衣、君はどうする?」

芽衣はおどろいてふり向いた。

あの目が……見つめる先がたとえ虚空でも地獄でも、何時間だって見続けてやろうという意思をたたえた目が私をとらえていた。これは罠だ、返事をしちゃいけない。そんな提案を本気でしているわけがないし、何より青野さんは仮定の話しかしていない。

でも、それは抗いがたい魅力のある提案だった。いますぐ青野さんの前に立ち、自分たちの報告書をやぶるんだ。仲間の信頼と、この半年間の苦労を水の泡にしてでも、そうしたいと思った。ぜったいにやってはいけないことだとわかってはいるけれど、心の底から湧き出る本物の感情だった。

「もし君がこの報告書を公表したら、大変なことになるだろう。」
 青野さんは続けた。
「ルナスケープは単なる企業じゃない。月の流通システムは、大半がルナスケープ頼りだ。もし欠陥の疑いがあれば、それだけで月が大混乱に陥る。自分たちでそれを解決できるなら、それを公表せず秘密裏に処理するのもまたまっとうな選択だとおもわないかい? そういって、ぼくはネルソンを脅したんだ。」

「どういうことですか?」

「ネルソン社長が、木土往還船プロジェクトをつぶしにかかっていてね。今回のことを……つまりルナスケープの作った宇宙船が爆弾の次の次くらいにやばいものを搭載していると僕が暴露しないかわりに、木土往還船プロジェクトに口出しをしないようにネルソンと取引したんだ。」

「あなたには倫理や常識がないのですか?」

「そんなもの、この光景をみたら吹き飛んでしまったよ。」

青野さんの目は、芽衣のうしろの巨大船と、輝く星々を見つめていた。

「抗いがたい魅力だ。星の輝きは、無限の富をもたらす財宝そのものだ。月までやってくるのに、十代のほとんどを捧げた。次の星へ行くために、残りの人生をすべて捧げるつもりだ。」

芽衣は、目の前にいる男の気持ち痛いほどわかった。私だって死にたいほど憧れて宇宙までやってきたんだ。だけど、同時に恐れも抱いてしまう。宇宙のためだったら人殺しさえ厭わないような、そんな狂気を青野彦丸に覚えたからだ。この男の提案を聞き入れなかったら、私は報復を受けるのだろうか? そんなわけがない。そんなわけがないというのに……

芽衣は、なにも答えることができなかった。もし正当にクルーの選抜試験に合格し、外惑星に行けるようになったとして、私は青野さんの元で航海に出られるのだろうか? この人は、いったいどれほどのものを捨ててきたのだろう? 自分の野望に貢献できる力のないものは、同僚、部下、上司にかかわらず切り捨ててきたはずだ。青野さんは、自分の野望のためにたくさんのひとを踏み台にし、気持ちを踏みにじってきた。時には意識的に、時には無意識的に。時にはためらいながら、時にはなんのためらいもなく。その中のひとりが、月美ちゃんなのだろう。

芽衣はお母さんとの会話を思い出した。「出発したら向こう十年会えなくなるのよ」……そんなふうに言ったときのお母さんは、さみしそうだった。

その日、ルナスケープが記者会見を開いた。重大な過失があったと、ネルソン社長自らが発表したのだ。

三〇七型機のセキュリティの欠点についてだった。ただ、コズミック社が所有している機体はすべて改修済みで、事故や乗っ取りの心配はもうないそうだ。発表が遅れたのは、ゼロデイ攻撃を受けないための予防策とのことだ。だから改修が終わるまで発表を控えていたというのが、ルナスケープの言い分だった。

やられた、と芽衣は思った。

芽衣たちの報告書を知ってからだとしたら、対応が早すぎる。ルナスケープは最初から発表する予定で、青野さんもそれを知っていたのだろう。あっさりと自分たちの落ち度を認めたのも、芽衣たちに公表の意思決定を遅らせるための罠だったのだ。事実、ルナスケープが記者会見を開いた時、芽衣たちは青野彦丸の意図を読みとるための議論をしている最中だった。遅らせる期間はたった半日でも十分だった。

芽衣たちの課外活動は、成果を公表することなく終わった。


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