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月面ラジオ { 19: "六畳一間とつながるスラム" }

あらすじ:(1)30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。(2) 失恋した月美はダメな大人になりました。

{ 第1章, 前回: 第18章 }


芽衣と出会ってから九年がたった。
お手製のパラボラアンテナで月面反射通信をしていた姪の芽衣だ。
月美は、高層マンションの屋上で芽衣と話した満月の夜のことをまだ憶えている。

留守がちな芽衣の両親に代わって、月美は当時中学生だった芽衣の面倒をみることになった。
結婚と無縁だった月美が、保護者ヅラすることは一度もなく、ふたりの間に「ありふれた叔母と姪の会話」なんてものはない。
かわりに「宇宙開発の話題」で盛りあがった。
月を目指すふたりは、友だちになったのだ。

夏の午後で蒸された畳の藺草と、シンクの生ゴミがぷぅんと薫る下宿先に月美は戻った。
鼻をつまみながらシンクをかたし、外の通路に置いてある洗濯機のわきにゴミ袋を投げすてた。
それからやっと畳に転がった。

「あ、あつい。」

九年間も住んでいる安アパートが、常軌を逸した暑さであることに気がついた。
これまで体験したことがない暑さだ。
月美はあわてて窓をあけて、扇風機のスイッチを押した。
扇風機の風の下に寝ころび、月美は天井を仰いだ。

素材のよくわからない無機質の天井だった。
これまでも、これからも、決して何も成し遂げることのないただの天井だ。
まるで自分の人生みたいだと思い、見るのがいやになって顔を横に向けた。

夏の窓はまぶしかった。
その下に粗末な木の座卓があった。
座卓の上にコンピューターと灰皿があり、灰皿には吸い殻があふれんばかりだった。

そろそろ夕刻だ。
これから血のように畳を染める陽が差しこむだろう。
外はまだまだ明るいのに、そう予感させる午後のひとときだった。

しまった、と月美は思った。
ゴミといっしょに吸い殻も捨てておけばよかった。
熱気にうだされ、月美は体を起こす気力もわかなかった。
窓から風が吹き、吸い殻の粒子を巻きあげた。
そんなそよ風の粗相も、月美を動かすほどのものではなかった。

今日は博物館で講義をして疲れていた。
仕事は残っているけれど、それでも動く気になれない。
このままこうして寝ていたい。
だらしなさの海におぼれるのはなんと気持ちよいのだろう。

とけてしまいそうな昼寝の時間……
ただ、それも長くは続かなかった。
月美は、異物を視界のはしで捉えた。
その異物があまりにもヘンテコだったので、おどろいて体を起こした。

異物は「湯のみ」を持っていた。
そして月美のところまでスッとやってきた。

「湯のみ? なんだこれは?」

「なんだこれは」の正体は小型のロボットだった。
厚い胸板を表現した曲線的な胴体に、おモチのような白い球の頭が乗っている。
頭の中心では、大きな目が空色の光をはなっていた。
月美の膝下に届かないくらいのかわいらしいロボットだ。
ただし下半身がなかった。

下半身の代わりにロボットと地面の間には、リンゴくらいの真球が転がっていた。
球の真上では、胴体がプカプカと浮かんでいる。
胴は、ピラミッドを逆さにしたように下にいくほど細まり、その先端が球につくかつかないくらいかの絶妙な距離を保っていた。
真球がコロコロと転がると、胴体も浮かんだままそれに着いてきた。
畳の上をすべるように動いている。

つまるところ真球がこのロボットの足なのだ。
「電磁浮揚」の仕組みを利用しているらしい。

「いつのまに部屋に……いったいどこに隠れていたんだ?」
 月美はロボットをしげしげと眺めた。

「ゴキブリじゃないんだから……」
 ロボットが、女の声でしゃべった。
「はじめからずっと部屋のすみっこにいたよ。」

やっぱりゴキブリみたいじゃないか、と月美は思った。

ロボットは手に持っている湯のみをスッと差しだした。

「粗茶ですが……」

月美はロボットから湯呑みを受け取ろうとして、ふと手が止まった。
よく見れば、湯のみは両手のあいだで浮かんでいた。
手に握られているわけではない。

「なるほど……」
 月美はつめたい湯のみを受け取りながら言った。
「湯呑みに超伝導体のチップを埋めこんでいるのか。自分んちのお茶を粗茶と言われるのは気に食わないけど、たいしたもんだ。名前はなんていうんだ?」

「粗茶一号だよ。」
 ロボットは答えた。
「ところで公開講座はどうだったの?」

「最高の出来だった。」
 月美は緑茶をいっきに飲みほし、湯のみを座卓に置いた。
「二度と私を呼ばないってさ。」

「どうやったら二日も意識が飛ぶほどお酒が飲めるの?」
 目の光が細まり、粗茶一号は非難の色を示した。

「わからないな。」
 月美は首をふった。
「なにしろ途中で意識がふっとんだから。」

「なんとかお酒をやめる方法はないの?」

「私が知りたいくらいだ。」
 月美は力なく答えた。
「お酒をやめる方法を発見したら、その人は必ず歴史に名を残すね。ところで、芽衣、二日酔いのことは話してないぞ。もしかして博物館にいたのか?」

月美は部屋の壁に体を向けると、手を二回たたいた。
すると、今しがたまで壁だったところに大きな穴があいた。
穴の向こうには、月美の部屋と似た部屋があり、月美のとはちがう種類の座卓が見えた。
座卓の前に学生が座っていた。

壁紙スクリーンだ。
実際に穴が空いているわけではなく、そのように見えるよう映像を映しているだけなのだ。
ふたりはこうやってよく無遠慮に映像通信を始め、お互いの生活の風景もさらけ出していた。

いたずらっぽく笑う女の学生がいた。
彼女が十三の頃から、月美は毎日おなじ笑顔を見てきた。
その笑顔はいつまでたっても子供のままだった。

学生の名前は西大寺芽衣。
姪の芽衣だ。

母親の陽子は背が高いのに、芽衣は小柄だった。
黒から少し色の抜けた濃い茶の髪は短く、ちょうど耳にかかるくらいだ。
ブラウン種のマッシュルームのようなシルエットで、それはとてもかわいらしく、顔の小ささも相まって幼く見えた。
母親よりも父親のほうに似ているのだろう。
父親もどちらかといえば小柄で、笑うと(五十超えの中年だけど)子犬のようだった。

ただ濃く黒い目だけは母親ゆずりのようだ。
ぱっちり見開いた目から放つ光は、芽衣が強い意思を持つ人間であることを語っている。

服にはあまり興味がないようで、長めのタイトスカートと、魅力的な要素がカケラもない大きめのチェックのシャツをいつも着ていた。
チェックの柄は曜日によって違うのだけれど、チェック以外になることはなく、なぜいつもチェックなのかと尋ねれば、毎朝チェックにするかチェック以外にするかで迷いたくないからだそうだ。
目立った装飾品はなく、むしろ手のマメや絆創膏のほうが目につく。
これは人生で一番手にしてきたものが、ドライバーやニッパーのような工具だったせいだろう。

「あ、ばれちゃった?」
 芽衣は、穴の中から月美にむかって手をふった。
 壁に向かってあぐらをかいている月美の様子が、あちらにも見えているのだ。
「月美ちゃん、お元気?」

とたんに「ガチャン!」という音が鳴った。
見ると、粗茶一号が座卓の角に頭をぶつけて倒れていた。

「あ、やっちゃった!」
 芽衣は慌てて言った。
「まだ、操縦してたんだ!」

芽衣は立ち上がった。
壁紙スクリーンの映像もそれに合わせて縦に伸び、楕円状になった。
芽衣が歩きだすと映像もあわてて少女を追いかけた。
円形だった像は、やがて壁一面に拡がった。

芽衣がこのアパートに住み始めてもう二年くらい経つけど、映し出された部屋を見て月美はぎょっとなった。
またモノが増えていたからだ。

月美の部屋とは対象的に、圧倒的に品数の多い部屋だった。
具体的に何が多いかといえば、スパナとか、定規とか、ドライバーとか、要するに工具や機材だらけなのだ。
他にもインパクトレンチとか、サシガネとか……生活必需品よりも、常人には名前もわからない工具のほうが多い。
接着剤やクラフトテープも、博物館のように何十種類もコレクションしていて、およそ月美には理解しがたかった。

しかしどこに何があるのか決して見失わないよう徹底的に整頓し、ツールハンガーやワークベンチとよばれる作業台に丁寧にしまってあった。
巨大なツールハンガーのおかげで、壁は一見して工具の滝のようだけど、神経質に種類ごとに分類し、大きさと色を考えて並び順を決めていた。
無数の古いジャム瓶の中には、釘やネジが規格ごとに収められている。
分解した機械の部品にさえラベルを貼って保管している。

いったい彼女のどこを見習えば、こんな狭いところにこれだけの物質を部屋の景観を損なわないまま詰めこめるのだろう? 
ほとんどモノがないのにうす汚れている月美の部屋とはまさに対照的だった。

月美は、実家のガラス工場のガレージを改造してつくった作業部屋を思い出した。
中学生のころ、一ヶ月もこもって天体望遠鏡を手作りしたあの部屋だ。
あの作業部屋も一見してゴチャゴチャしていたけれど、パフや工具などが丁寧に整理整頓されていた。

ただし、この六畳一間で作られているのは天体望遠鏡ではない。
その証拠に、部屋のいたるところに、今にも動きだしたり、しゃべりだしたりしそうな不可思議な物体が置いてあった。

ロボットだ。
足のあるモノからないモノまで、顔のあるモノからないモノまで、無数のプロトタイプを制作している。
粗茶一号と似たロボットもあった。
ただしこちらの足は、電磁誘導式の球体ではなく、戦車のキャタピラで畳を移動するものだった。
この部屋は芽衣のロボット専用工場なのだ。
それにしても工場やガレージならまだしも、よもや畳の部屋にワークベンチが出現するとは。

玄関でサンダルをはき、芽衣は外に出てた。
二秒後、月美の部屋の玄関があいた。
芽衣は、月美のとなりの部屋に下宿しているのだ。

「壊れてない?」
 芽衣が部屋に駆けこできた。

粗茶一号は、目の光をうずまき状にグルグルと回していたが、芽衣に助け起こされると元のまん丸に戻った。
芽衣は、球体の上で胴を駒のようにクルクルと回した。

「姿勢制御に問題なし。よかった。どこもいたんでないみたい。」

「机の角はへこんだけどな。」
 月美が言った。

「月美ちゃん。」

「ん?」

「ちょっと壁、借りるからね。」
 そう言うと、芽衣が突然壁に向かって叫んだ。
「起きて、トム猫さん!」

芽衣の語りかけた先には誰もいなかった。
壁だけだ。
もちろん月美は何が起きるか知っていたので、芽衣の正気を疑うようなことはせず、そのまま待った。

「あいよ!」
 壁から声がした。

まもなく壁紙に映っていた芽衣の部屋が消え、代わりに別のものが映し出された。
それはヘンテコな猫だった。
猫は猫なのだが、二足歩行でたっていた。
メガネをかけ、男性用のスーツを着ている。
きっと芽衣が最近使っている電脳秘書なのだろう。

「トム猫に何かようかい?」
 メガネの位置を直しながら猫がたずねた。

「ファビニャンと連絡が取りたいの。」
 芽衣が言った。
「サンタ・マルタにいるファビニャンだよ。」

「了解。」
 トム猫はスーツの内ポケットから手帳を取り出すと、それを開いてブツクサと言い出した。
「ブラジルか……現地は深夜の四時だな……」

それからどこからともなく古い型の黒電話を取り出し、受話器をあげてダイヤルを回した。

電脳秘書は、人工知能の完成形のひとつだ。
今やあらゆる電子端末に電脳秘書が潜んでいる。
他人と連絡を取りたいとき、お互いの電脳秘書を通して相手の都合を確認することも最近ではマナーとなった。

「トムってのは、新しいキャラクターか?」
 月美はたずねた。

「トム猫さんだよ。」
 芽衣は答えた。
「友だちがデザインしてくれたの。私のために。」

「芽衣専用の秘書ってわけか。なるほどね……」

しばらくしてトム猫が受話器から顔をあげた。

「よし! ファビオの電脳秘書から承認がおりた。ところでこいつ、なんでこんな時間に起きてるんだ? まあいいや……そっちにつなげるぜ。」

「お願い。」

芽衣が返事をすると、ぷつりとトム猫の映像が消えた。


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