{ 44: ジューケー(2) }
なんの変哲もない……といっても、中央に手すりを設置するくらいには幅のある……階段を降りても、「二十一階の街」にたどり着くわけではなかった。代わりというわけではないけれど、これまでとはうってかわって、騒がしい地下広場に到着した。
広場には、先客がいた。それも、わりかしたくさん。みんな荷物を抱えていて、春樹には彼らが行商人のように思えた。二十二階の名物である魚肉団子をダンボールに詰めて運んでいる若者たちが、その中でも目立っていた。野菜を袋詰にして抱えている者もいて、みんなこれから二十一階まで降りて、そこで開かれる朝市に商品を運び込もうとしていた。
部屋の奥には、門があってその前に行列が並んでいた。行列は、何回も何回も途中で折れ曲がっていた。それがあまりにも長いものだから、広間の端っこのベンチに座って、仲間とカードゲームをしながら、行列が短くなるのを待っている者も多かった。
門のそばには机があって、眠そうな男ふたりがそこに座っていた。先頭の行商が机の上に荷物を置くと、男のうちのひとりがおざなりに中身を確かめた。しばらくして検査が終わると、行商人は荷物を抱えて門の奥へと進んでいった。
門の向こうには、階段が見えた。この地下室よりもさらに下へと続く階段だ。あれがロウの言っていた「大階段」なのだろう。
「どうしよう……」
二十一階へ続く道をやっと見つけたのに、ここで大きな問題が出てきた。検問だ。大階段の検問所は、あやしい者を見つけて、しょっぴく場所だとロウは言っていた。
なにを持ってして怪しいのかは春樹のあずかり知るところではないけれど、自分が黒い塔の部外者なのは確かだ。目が赤色じゃない生き物もここでは春樹ひとりだろう。大階段の門を通り抜ける算段なんて全くない。もしもロウが言うところの「しょっぴかれて」しまったら一体どうなるのだ? 詳しく話を聞いておけばよかったと、春樹は今さらながら後悔した。
カンパニーにも検問所があったことを春樹は思い出した。もうだいぶ前のことだ。あの時……検問所のゲートをくぐった時……金属探知機のブザーが鳴って焦ったものだ。なんとなれば春樹は、「ヤガン春夫」なる人物と偽ってカンパニーに不法侵入を試みていた。堂々とウソをつけば案外なんとなるとは、秋人がのたまったことだが、事実その通りとなった……あの時のクソ度胸を思い出せ!
「い、行かなくちゃ……ロウが、ヒトヒラ先生を待っているんだ」
春樹は、他にやるべきことを思いつかないという理由で、行列のうしろに並んだ。ロウのことを思えば、行列の先頭に割り込んででも、早く大階段を降りたかったけど、それで騒ぎを起こすことのほうが問題に思えた。とはいえ、お行儀よく順番を待ったところで、検問を通れるかどうかはわからない。自分の番が来る前に、検問を突破する策をせめて一つでも思いつきますように……
「あの……この行列って、どれくらい時間がかかりますか? ぼく、ここに着たのは初めてで……」
春樹は、行列の最後尾に並んでいた者にたずねた。
「さあな」
男がふりむいた。
「検問官たちが仕事熱心かそうでないかで、だいぶ違うから……な……」
とたんに男は、赤い目をぎょっと見開いた。それどころか、春樹を見ながら体をこわばらせてしまった。
まずい、と春樹は思った。フードをかぶって顔を隠していたつもりだったけど、中をのぞきこまれたようだ。
「あの、どうかしました?」
春樹は、男の足元を見ながら恐る恐るたずねた。
「僕の顔になにか……」
春樹が尋ねても、男は微動だにしなかった。さっきから黙りこんだままだ。何かとんでもかいことをやらかしてしまったのではと、春樹は不安になった。
不思議なことが起こったのはその時だった。男が、何も言わないまま後ずさったのだ。いったいどういうことだろう……春樹に順番をゆずってくれるようだ。
その男だけじゃなかった。春樹がキョトンとしていると、さらに前にいた男がこっちに気づいた。その者も同じようにギョッとなり、すぐさま後ずさった。そして、その前いにた者も、さらに前にいた者も、一歩二歩と退いて、春樹のために道を譲った。
春樹が唖然としているうちに、まるで割り箸をわるかのように、行列が真っ二つになった。ついには荷物検査中だった者まで慌ててその場から退き、大階段への道が開いた。わけがわからなかった。
「みんな僕に順番を譲ってくれるのか? いったいどうして……」
進んでいいものか確信が持てなかった。春樹は呆然と立ち尽くしたが、さりとて誰もなにも言わない。みな目を伏せながら、春樹が通り過ぎるのを待っているみたいだった。
春樹は、火葬屋のローブのフードを今一度かぶりなおすと、恐る恐る最初の一歩を踏み出した。それでも誰も口を開かないし、決してこちらを見ようともしない。春樹はさらに一歩踏み出した。つづいて、二歩、三歩……ついには早足となって行商人たちの間を進んでいった。
途中で誰かの話す声が聞こえた。
「不吉な……誰か死んだのか?」
「しっ!」
と、となりにいた者が相手の脇腹を小突いた。
「滅多なことを言っていると、次はお前の番になるぞ」
春樹は、それにかまわず大階段の門へと進んでいった。あたりはシーンと静まり返り、いやな緊張感が漂った。何も悪いことをしていないのに、周囲の者たちから責められている気分だった。それでなくとも、無数の赤い目で注視されるのは、春樹にとって拷問に近い。これがロウのための行軍でなければ、とっくに逃げ出していただろう。
大階段の前まで来た。「来た」というよりかは「来てしまった」というところか……結局、検問を突破するための策なんて思いつかず、もう少しだけ行列のうしろにいたかったというのが本音だった。
門の前まで進み出たものの、検問官のふたり組も春樹を見ていなかった。まるで僕なんていないかのような扱いだ。このまま門を通り抜けられそうだけど、本当にそうしてよいのだろうか?
通ってもいいですか? と、よっぽど尋ねてみたかったけど、やめておいた。素通りするのが当たり前といった態度でいた方がいいと思ったからだ。春樹は、覚悟を決めて前に進み、大階段へと踏み込んだ。
なるほど大階段と呼ばれるだけあって、広い階段だった。通路の左右で、上る側と降りる側とできちんと別れているし、何よりも道が長い。途中で折れ曲がることなく、奥の奥まで進んでいけるのだ。ところどころ電灯は灯っているものの、うす暗く、これから坑道の底に潜るかのようだった。先に降りた行商たちの頭が見え、二十一階から登ってくる者たちの影もちらほらと……
春樹は、一歩二歩と慎重に階段を踏みしめた。誰も春樹を止めなかった。三歩目からは、あいだの一段を飛ばし飛ばしで駆け下りた。
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