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現在地2022

左手中指が愛おしいこの頃。
もはや、ジストニアであることは私の身体の一部になったので、書く必要もない気もするのだけど、時が流れると忘れていくとこもいっぱいあるので、身体のことを記録しておく。

ジストニア歴も早4年!?

10/6は年に一度の現在地確認日。
私の左手薬指が動かないことに今一度向き合ってみよう!

☆これまでのエピソードはこちらから💁🏼‍♀️


一年前と比べると、自分で言うのもなんだが、二本指奏法はだいぶ確立された!細かい出来栄えは置いておくが、演奏していて気持ちがノる感じを思い出してきました✌️
それは、色々な舞台に立たせてもらい、チャレンジできるチャンスが続いていたおかげで、経験の一つ一つが自信をくれたから🥺

この一年で何が自分の中で変わったのか、意識して取り組んできたのかを書いておく。

【技術的なこと】

●ユリを意識

津軽三味線の奏法で「ユリ」というものがある。ビブラートのことで、津軽三味線は撥弦楽器なので一音出したあと次の音を出した時に音がぶつ切りにならないようにするためにこの「ユリ」を使っている。

薬指の代わりに中指を使い始めた時、録画して自分の映像を見てみると全然中指でユリができていなかった。

自分の演奏が物足りないと感じてしまうのは、ただ音数が減ったからだけでなく、この音を長く保つユリができてないからだということを発見した。

弾いている感覚としては、薬指で演奏している時よりも大袈裟にユリをしないと音が伸びない。次のツボ移動に間に合わないのではないか!?というユリ初心者のような気持ちになったが、意識するのとしないとでは雲泥の差で、演奏の印象がびっくりするほど変わった!ユリの大切さを再確認!
緊張してしまうとユリはやっぱり止まってしまうので、まだまだだなぁと思いながら挑戦は続く…。

でもちゃんとできると、音数が少なくても曲が成り立つことがはっきりとわかった。



●右手の撥のリズム問題

これは「左手の手数が減ると右手のリズムが狂う」ということ。どういうことかというと、津軽三味線は右手の撥でダウンストロークのタタキとアップストロークのスクイの他に、左手のハジキとかウチとかいう奏法がある。これを組み合わせて手数を増やしていくのだが、私は左手薬指が自由に動かせないことにより、ハジキとウチという左手の奏法に制限がかかった。以前は、この左手奏法があることにより間(ま)をとって右手の撥の動きをコントロールしてたのだが、左手で間(ま)を取れないことにより右手が待てずに早く動いてしまうことを発見。つまり、それは右手の技術を疎かにしていたということ😱‼︎

自分にとって大発見でいかに自分の基礎がなってないかということを痛感させられたのだった。特に「よされ節」「あいや節」などのリズムの時に顕著で、無意識に弾いていると撥が思っているより速く動いてしまってすっ転んだようなリズムになっていることが多々あった!
私全然弾けてないじゃん…😱‼︎

左手の手数が減っても右手のリズムがブレないように意識する練習を試みるようになった。まだまだ全然上手くはいかないのだけど、すっ転ぶことはなくなった気がする。笑 というか、すっ転ぶ箇所を見抜けるようになった、くらいのレベルだけれど…

昨年の段階では、こういう理由で五大民謡のじょんがら節以外の曲弾きを極力弾きたくなかったのだけど、今年行なっているコンサート「百日奏」では、津軽三下り、津軽よされ節の曲弾きを弾くことができた!!

まだ試行錯誤はできそうなのでこれからだけど、とりあえず形にはできたので、ちゃんと学びがあったなぁと嬉しかった。


●薬指の力みに逆らわない

もう一つ進歩したことはコントロールできない薬指の力みの諦めポイントと脱力ポイントを見抜けるようになったこと。このコントロールできないというところが厄介なのだが、私は全く薬指が使えない訳ではないのです。ゆっくり弾けば薬指でもツボを押さえられる。しかし、スピードが速くなると思ったタイミングで指が出せず、指を上に上げるどころかどんどん内へ内へ指が巻き込んでしまう。

この巻き込み現象は演奏する上で出来るだけ起こしたくないのだけど、内に巻き込む力を感じながらの方がうまく弾けるフレーズがあることがわかった。正直いらない力が入っているので、ちょっと痛いし、意志と反して薬指と小指を力の限りどんどん握りしめてしまうのだが、その方が他の指の動きを安定できる気がする。
一曲を通して薬指の脱力を試みたこともあったのだけど、そうすると使わなきゃいけない筋肉まで脱力してしまったり、瞬時に力を抜くことができないことにストレスを感じてしまったので、これは力が入ってしまうことを諦めるのが私にとっては今のところの最善と思ったのだった。

でも、一方で薬指の力を抜いて上げたフォームの方がユリやツボ移動の正確さが上がる運指もある。フレーズごとに薬指に力が入ってしまうことを諦めたり、フッと抜いたりするということが大切ということがわかってきた。力を抜く際は「今から脱力しまーす」と脳に指示してる感じがあり、無意識には難しいのでその際にどんなフレーズを弾いているかも肝心。この、指示出しから指が動くまでが思うよりも遅れてしまい、意識とのタイムラグがまだあるのがこそが今の残念ポイント…。

薬指が下に下がったり、上に上がったりちょっとバタバタするのは見た目はカッコ悪いのだけど、薬指が今は下、今は上とちゃんと把握することによってめちゃくちゃ他の指の扱いやすさが変わってきたのは事実である。


なので、演奏する時に中指の方に意識を置いているわけじゃなくて、コントロールしているのは結局薬指の方だなぁとこれを書いていて再発見してる…🤔💭

こういった意外な気づきがあるのも、すごく面白い。

指の扱い方がわかってくるとちゃんと出したい音に集中できるし、課題の解決策も見えてくるのでとても助かる。



【気持ち的なこと】

一年前と大きく違うことは、できないことに必要以上に執着せずに「なんでできないんだ、上手くなりたい」という悔しさを伴う向上心をちゃんと持てるようになったこと。ネガティブな気持ちはネガティブなままだと気持ちを落ち込ませてしまうだけなので、そっと蓋をしてたのところがあったのだけど、今はうまく弾けなかった時とても悔しいし、次はやってやるぞ、という意気込みが再び現れてきた!

諦めてるようで、ものすごい負けず嫌いを発揮している感じ。
ジストニア前はこうなると、視野が狭くなりただひたすらに弾くという行動に出てたけど、今はもう少し色んなベクトルで物事を見れるようになった気がする。歳も相まって、筋力の衰えも少し感じるので、だからこそ身体的なメンテナンスにも目を向けられるようになってよかった😂



とにかく今私は、今の自分よりもう少し上手く弾きたい。どんな曲も。

と思える。


弾く見た目から「二本指で弾いてるのすごい!」と言われると「えへへ、そうですかねぇ☺️私ってすごいですかねぇ」とついつい調子に乗りそうになるが、現実の自分の録音録画を見て聴いては落ち込む日々を繰り返している。

でも、この落ち込めることでさえなんか幸せな気がするし、成長の証とさえ思える不思議な感覚なのである。

中指奏法を始めた時、二本指で弾く三味線弾きは「ピース✌️の三味線弾き」っていう名称がつかないかなとか期待してたけど、動きがなんかイモムシみたいで誰もそんなことは言ってくれるはずもなく…😂
じゃあ、はらぺこあおむし奏法🐛🍓かなとかまた定着しなさそうな呼び方を考えながら、喜んだり落ち込んだりしてまた頑張ろうと思います!