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【3-1127】小骨座『甘くて、辛くて。』を観た

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

おはようございます、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

昨日、イロリムラで行われていた小骨座の公演へ。小骨座はもうここ数年ずっと、「架空のフライヤー展」という展示をして、そこでお客さんに選ばれたフライヤーを起点として作品づくりをするというスタイルを続けている。フライヤーを作る段階では台本はなく、あるのはプロットやあらすじ、イントロダクションの文だけ。(だと、把握している。関係者ではないので、間違いがあったらごめん)

まず、このスタイルがとても画期的で、世界にひとつしかない宝物をこの人たちは見つけたのだと思うのだけれど。いつも、だいたい、演劇をやりたいと思っても、始まりには台本が必要で、というか、台本というものでなくても物語というか、文脈というか、そういうものが必要になって、たいていそこでつまずくのだ。書けなかったり、表現したい物語がなかったり、そういうこと。で、そうなると、じゃあ演劇やる必要ないんじゃないかとか、言われがちなんだけれど、演劇はやる必要があってやるものではないと私は思っている。やりたいからやるの。やりたいとなったときに、その種が文脈に整えられた物語として芽を出すのではなく、フライヤーのデザインから芽を出すというのは、めちゃくちゃ真っ当に創造的だ。小骨座のメンバーはそれぞれデザインに特化したメンバーであって、そういう自分たちの領域をきちんと生かすやり方なのが素敵だ。

しまった。ここまでつらつらと、今回の公演の内容とは関係ないことばかり書いてきてしまった。

今回の『甘くて、辛くて。』も、私も投票しに行って、つまりフライヤーが決まるところから見届けてきた作品。とても好きな作品になっていた。今回は三人の共同製作の台本だそうで、これまた彼らは独自の方法を見出したのだなと思う。

一昨年の小骨座についての私の感想。小骨座は「寂しい」を知っている。これについては、今もそうだと思っていて、だけれど、今回は「寂しい」を見つめるというよりは、「寂しい」を胸の前で抱っこして、「寂しい」が見つめている先を共に見るみたいな感じがした。(伝わるか。赤ちゃんを抱っこ紐で前向きに抱っこするみたいな、そんな感じね)

小骨座の三人(えりさんは人形で出演)と客演のお二人の芝居も、あるべきようにあって、かっこよかった。特に、サグさんの在り方がよくて、100の言葉を捨てても、その表情が物語を存在させ得ると思った。

実は今日11時回が千穐楽だから、観れる人はラッキー。ということで、中身にはあまり触れずだが、とにかく私は小骨座が好きだ。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴