【3-0531】まとまらない頭をかき混ぜて書いた今日のnote

【このnoteを開いてくださった貴方へ】

こんばんは、要小飴と申します。


関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。

このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。

一昨日、ステージナタリーに遊気舎の公演情報がアップされた。取り上げてもらえることがありがたく、嬉しい。そういえば、今作品と太宰治の『待つ』の関係については、公式の宣伝では全く触れずに来たことに気付く。

この芝居の役のことを考えていると、「さよならだけが人生だ」という言葉が頭にチラつく。昔からよく聞く言葉で、誰の言葉であるかということよりも、独り歩きしたその言葉自体に馴染みがあるけれども、これが井伏鱒二の訳詩であるということ、井伏鱒二は太宰治の師であることに後々行き着いて、なんだか、なるほどと思う。

私たちは文学の研究者ではないから、そういう系譜だとか、歴史の中の作家の文脈みたいなものとは違うところで、つまり研究の代わりに創作をして、この『待つ』という作品に向き合っているのだが、その道の途中で、そういうものを想起するというのが興味深いと思った。

あと14日、久保田が書いた『夏至を待つ』という作品に向き合い、太宰治の『待つ』という作品に向き合い、相手役に向き合い、そうやって自分の役に向き合って、その形をお客様にお届けする。

私はこの作品が好きだと思う。いい形でお客様をお迎え出来るように。ひたすらに。

いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴