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【2-1027】いくらあっても

時間はいくらあっても足りないものなのかもしれない。毎日あっという間に過ぎていく。

例えば、保育園の仕事の話だけれど、時間が許すならば、発表会の劇の衣装を一日中作っていたい。可愛く仕上げたいポイントがいくつもあって、時間があればどれだけでも凝れてしまう。でもその一方で、膝に座りにくる子供を抱きしめる時間も私には大切。給食の配膳やら掃除やら、そういう雑務もしなければならない。そのどれもが大切だし、どれも大概腰が痛くなる仕事だ。(保育士の仕事はだいたい腰が痛くなる)楽なことはないわけだ。それでも、やはり衣装を作ることなんかは私の好きなことだったりするので、全てのことを放っておいて、その作業に集中していいという許しをもらえたら、喜んでそうするだろうと思う。しかし、そんな許しは、基本的には、永遠に与えられることはない。

大学の時、わが演劇部のシマであった合宿所に昼も夜も関係なく篭って、ストレスメーターを描いていた、仕込み図を描いていた、仕込みのプランを考えていた、あの頃が懐かしい。ダメな大学生だったので、そもそも講義をあまり取らずに、一日の大半を部活に充てていたあの日々。バイトも現役時代はやっていなかったので、部活が生活の中心だった。なんて幸せだったことか。でも、あの頃も時間は全然足りなくて、本当は部活以外にも興味があることは多分あって、そういうよそ見もしつつやっていたんだろうと思う。過去のことを思い出すと、どうも濃縮還元されている感じがして、定かではないのだけれど。

これまでも、そしてこれからも、ずっとこんな感じでいくのかしら。子供の衣装を作ることにぐっと集中したかと思えば、次の瞬間には腰にまとわりついてくる子供の頭を撫で、その後は段取り通りに雑務をこなし、それを繰り返している間に一日の終わりを迎える。そうなってくると、その瞬間瞬間の最大風速をあげていくしかないのか。

でも、そうだとしたら、戦いようはあるかとも思う。完璧は無理でも、最高は出せる。そういう感覚でいるほうが、人生にあっている気がする。


いつも見守ってくださってありがとうございます! これからも表現活動、創作活動に勤しんでまいります。 要🍬 小飴