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「歴史から学べ」ある恩師の教え

高校時代の恩師とは、未だにお付き合いがあり、教え子数人でお誘いして一杯やったりしているとてもいい関係です。

私は、登山の師匠としても慕っております。

先日、お誘いしたところ、先生は幾部か資料をお持ちになり、酒肴を前に授業が始まってしまいました(笑)。

今日は、その授業内容を紹介したいと思います。

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1.絶対に間違っていること

最初に先生が取り出した資料は、雑誌「世界」の記事コピー。

「遺骨まじりの土砂」(渡辺豪)。

この記事の内容は正直知りませんでした。内容にもありましたが、あまりメディがとりあげていないのです。

ものすごい問題ですよね。

辺野古基地の移設についてもそうですが、普天間からの移設についてやはり本土は「沖縄の問題」として移設も結局沖縄にしました。

沖縄ヘイト。

沖縄の戦いについては、知識の差こそあれ知らない人はいないし、心をいためていることは現代人も確かでしょう。

ですが、その遺族からしたら、遺骨がうまっている土地の土砂を、アメリカの基地のための埋め立てに使うなど、その残酷さは言葉にできないでしょう。

「奇跡的に一つにまとまったとしても全国から見れば1%にすぎない沖縄の民意は切り捨てられる。(中略)だから『本土』が変わらなければならない。沖縄に問題を押しつけている当事者として『本土の私たち』が主体的に沖縄と向き合うことが不可欠だ」(#世界 6月号「遺骨まじりの土砂」渡辺豪氏)

沖縄戦の戦没者の遺骨収集をしている方が、この件に対して抗議をしているという記事が、地元新聞にも掲載されていたそうです。

その方が言ったそうです。

「世の中には、絶対と言えることはそう多くはない。けれどもこの計画は絶対に間違っている」



2.過去から見れば子供

次の授業の資料は、歴史書の「日々の子どもたち」。

この本は、歴史の事象を300いくつの、1日1つの真実のように解説している書籍で、歴史の偶然であったり、その解釈の切り口など、示唆にとんだ本のようです。

その解説のコピーが資料となりました。

「過去を親として生まれた息子や娘が自分たちなのだ」になる。それはつまり人間はどれだけ大人になっても、過去から見れば子供だということだ。人間は過去の親にはなれない。過去を自分のものにして好きなようにはできないのだ。付き合いづらいけども、なんとかうまくやっていくしかない。

そして、次は震災の際の原発事故の真実と、政治、国家への怒りです。

それを、我々国民もわかった上で、その現実からの可能性を想起しろと言っています。

「主権者のいない国」という題名の書籍、白井聡著。

この中で、実際は、あの事故のときに「日本壊滅」もあり得たのだが、そこまでを回避できたのは、ただ「運がよかっただけ」ということを解説しています。

ほんと背筋が寒くなる話でした。

なぜ私たちは、私たちの政府はどうせロクでもないと思っているのか。その一方で、なぜ私たちは、決して主権者であろうとしないのか。この二つの現象は、相互補完的なものであるように思われる。私たちが決して主権者でないならば、政府がロクでもないものであっても、私たちには何の責任もない。あるいは逆に、政府はつねにロクでもないので、私たちに責任を持たせようとはしない。
 だが、責任とは何か。それは誰かに与えてもらうものなのか。そして、ここで言う責任とは誰に対するものなのか。それは究極的には自分の人生・生活・生命に対する責任である」
本文より抜粋 

政治が国民にとって「災厄」となった絶望の時代を、私たちはどう受け止め、どう生きるべきなのか?いま日本でもっとも忖度しない、ひよらない、おもねらない政治学者の最新論考!国民を見殺しにして、お友だちの優遇や経済を優先する現権力の暴走の根源にあるものとは?
資本主義の「人間毀損」が行きついた果ての「命の選別」を受け流さず、顕在化した社会的モラルの崩壊に立ち向かうための必読書!

序章  未来のために、記憶を想起せよ
第一章 「戦後の国体」は新型コロナに出会った
第二章 現代の構造――新自由主義と反知性主義
第三章 新・国体論
第四章 沖縄からの問い 朝鮮半島への想像力
第五章 歴史のなかの人間
終章  なぜ私たちは主権者であろうとしないのか

いずれ読んでみたい本です。


3.早く歩きすぎた

先生は、これを現代に働く私たちに言いたかったのではないでしょうか。

仕事が忙しいのもわかる。デジタルでいろんなことを便利に、生産性があがっていくのもわかる。

でも、大事なことまで、効率化で見えなくなっていないか?

そんなような話がある書籍をみつけ、いくつかの寓話を紹介してくれました。



4.これっきりだとは知らない

これっきりになることはよくある。

歩いた道、使った道具、そして出会った人。

これが、これっきりだといつも知っていたら、たくさんのことがまるで別の価値や意味合いを持つだろう。

だから、これを知っていたら、無心に生きることなどできないのでないか?

5.先生が伝えたいこと

先生は、これらの資料を引用しながら、いくつかのことに気づいて欲しいとおもったのでしょう。

それは、54歳になった私たち。

仕事をはじめて30年余りが過ぎた。

「残りは、もう30年は無いのだから、夢中で生きる、忙しく生きるばかりでなく、大切なものに気づきながら、感じながら生きたほうが有意義ではないのか」と。

今の日本の、世界の在り方は、あまりにもあまりにも、ということがある。

絶対は、そうはなくても、「これは絶対に間違っている」ということが、やはりある。

そういうことを黙って見過ごしていいのか?という問いでもあるように思いました。


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先生には、お礼状を書きました。

10分くらいで書けました。

これができないくらい忙しく働いているわけではないよな。

という気づきの瞬間でした。

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