煉獄さんはなぜ歴代炎柱の書を読まなかったのか【くらげの鬼滅考察的感想1】
こんにちは、海月要です。(クラゲではなく、みつきと読みます。みつきかなめです。鎹鴉由来でもないのです)
今年6月に子供の付き添いで映画『鬼滅の刃 無限列車編』を観てすっかり煉獄さんに心酔。原作やアニメの鬼滅の刃にじっくり浸り、思うことがたくさん出てきたのでアウトプットしてみようと思いTwitter始めました。
そして考察や感想で長々とスレをつなげるのもあれなので(そして自分でなに考えてたかも流れて忘れそうなので)noteに書くことにしました!
今回が初noteなので、変な文章や改行になっていたらゴメンなさい。
では早速ですが、タイトルの件について。
煉獄さんはなぜ歴代炎柱の書を読まなかったのか。
初見で映画『無限列車編』を観たとき、最後は涙々でマスクもぐちゃぐちゃ、胸が締め付けられて食い入るようにスクリーンを見ていたのですが、煉獄さんの台詞で違和感を感じたものがありました。
ヒノカミ神楽について書かれているかもしれない歴代炎柱の書について
『父はよく読んでいたが、俺は読んでいないから内容がわからない』
と彼は言うのです。
何故、炎柱である煉獄さんが歴代炎柱の書を読んでいないのか??
煉獄さんを当日初めて知った当時の私は
『本を読むのが苦手ということ??』
というトンチンカンな事を考えました。
そしてなぜこの涙のシーンにそんな事をぶっこんでくるのか、違和感を感じたわけです。
でも、よくよく彼の事を知っていくと、さすがにそんな事はなさそうです。
指南書を読み込んで炎の呼吸を体得した煉獄さんが、読むこと自体を躊躇う事は考えにくい。
そこで原作の同じ部分を読むと、
『父はよく読んでいたが…俺は読んでいないから内容がわからない』
となっていました。父は読んでいたが『…』俺は読んでいない、のです。
あることは知っていた、父が読んでいた、
それでも煉獄さんは読むに至らなかった。
ここからは私の考察ですが、これは恐らく煉獄さんは読みたかった(読む意思があった)が、読むことができなかった。という事を表現する『…』ではないかと。
さらにではなぜ読めなかったのかというと、これは槇寿郎さんが読ませなかった、という解釈が出来そうです。
この歴代炎柱の書には日の呼吸のこと、炎の呼吸はその派生にすぎず鬼の始祖を倒す力が無い(というような)事が書かれているようです。それこそ命がけで鬼殺を行ってきたであろう槇寿郎さん自身の心を打ちのめすような内容であったその本を、彼は息子に見せるわけにはいかなかった。先祖代々受け継いできたその本を捨てることはできず、かといって息子の心を打ち砕きかねないそれを、槇寿郎さんは自分の手元に常に置いておくことで息子が手に取る事を回避したのではないでしょうか。
槇寿郎さんはあの時点で恐らく今で言う鬱病に近い状況であったのでは?と考えているのですが、その状況であっても何とか守り抜いた、親としての愛情だったのではないでしょうか。
歴代炎柱の書ビリビリ事件
そしてこの炎柱の書を炭治郎が手にとった際にはなんとビリビリになっていたわけですが、これを槇寿郎さんが行ったのは何時なのでしょうか?
煉獄さんの夢からわかるように、煉獄さんが炎柱になった時点でこの本を槇寿郎さんが読んでいることがわかります。
いくらなんでもビリビリの本を読んでいるフリはしないでしょうから、この時は綺麗な状態だったのでしょう。内容はともかく先祖が残した大切な歴代の書です。
また、ビリビリの本を煉獄さんの弟の千寿郎くんがなんとか直してみると言っており、実際直した上で内容を確認し炭治郎に伝えています。
しかしながら、どんなに千寿郎くんが神がかり的な力で補修を行ったとしても、あんなにビリビリであった本を解読できるまでに直せるものでしょうか?
まとめると
・槇寿郎さんが心折れた時点でも、炎柱の書はきれいだった
→ビリビリにした理由は辛いことがかかれていたせいではない
・炭治郎が煉獄さんのおうちに行ったときはビリビリになっていた
・千寿郎くんが修復可能であった
ということから、
・ビリビリにしたのは煉獄さんの訃報が伝えられて以降(だからこそ千寿郎くんがその残骸を回収できた)
・ビリビリにした理由は、やはり炎の呼吸では息子を守れなかった(上弦の鬼を滅するに至らなかった)という悲しみ。先祖代々の大切な本よりも、もっと大切な息子を失った慟哭。
ではないかと推測。
糞爺(by炭治郎)扱いの槇寿郎さんですが、もし心の病であったとすれば本人自身もひどく苦しんでいた期間であったのだろうなと思うと、やるせないですね。
煉獄さんファンとしてはどうして生前に以前の優しい父親に戻れなかったのかと責めたくなるところではありますが、煉獄さんの言葉が槇寿郎さんを救ったとすればこの順番は変えようがなかったのでしょう。
心の病はきっかけがあって回復するということがあると聞くので。
(当考察とは離れますが、鬱状態の家族を支える煉獄さんや千寿郎くんの苦悩も如何程だったかと、これを思う度に苦しくなります。そう考えると、煉獄さんの槇寿郎さんへの遺言は槇寿郎さんの回復だけでなく、千寿郎くんの重い鎖を外してあげた、煉獄家の苦しみを断ち切った優しい優しい刃だったんでしょう)
神仏の無い世界である鬼滅の刃の中において、(鬼や鬼殺隊を除き)唯一のファンタジックなリアルは死を前にしたときのそれ以前の死者との触れ合いです。
いつか槇寿郎さんが天寿を全うしたときに、煉獄さんが笑顔で彼を迎えに来てくれることを切に願います。
結論:
煉獄さんが歴代炎柱の書を読まなかったのは、槇寿郎さんが煉獄さんにしてあげることの出来た最後の優しさであったのでは…という考察的感想(←考察というほどエビデンス揃えてないので、感想の括りにしました…という小心者)
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