「命懸け」でやるということ

 某日、京都某所のジャズクラブで行われたセッションに参加してきた。このお店にお邪魔するのは3回目で、完全手ぶら可、店備え付けの楽器を弾かせてもらえ、店主も自分と同じベーシストということでとても親切にしてくれるので居心地がいい。
 ワンドリンクの注文を終え、他の人の演奏を聴いている。ホストのピアニストは若い兄ちゃんだがオスカーピーターソンのリックを小気味よく挟む技巧派だし、ドラムの初老の男性もしっかり周りの音を聴いてフレーズに合わせたフィルを入れておりうまい。ベーシストは中年の女性が担当しており、目立たないが正確なピッチとリズムでいぶし銀なプレイをしている。だが、サックスのおじさんだけ、テーマこそしっかり吹いたが、ソロになるとさっき練習してきたようなスケールを上から順にたどたどしくなぞっていくだけで、とてもリズム隊のレベルにあっているとは思えない演奏だった。
 サックスを始めたばかりの初心者なのかなと思いつつ、雑談に聞き耳を立てていると、どうやらそのサックスの人は長くジャズセッションに参加しているベテランの類であり、その店の常連なのだそうだ。ジャズの世界では、往々にしてこういう事態が起こる。つまり、バンドとしての完成度は全く関係なく、個人のプレイヤーとしての技量とセンスがすべてなのである。例えばロックバンドで一人だけ素っ頓狂な音を出していたら、バンドメンバーから指摘が入るはずだろう。クラシックなんかは音楽性ゆえに特に厳しく修正が入るに違いない。しかしジャズでは、たとえ固定バンドという形で集まったメンバーだったところで、いつかは解散し、個人活動に戻っていく。だから、特に一晩限りのセッションなんかでは、演奏の評価や感想なんぞ、誰も面と向かって言わないのである。(※映画ブルージャイアントでこの辺のジャズ特有の感覚が美化されて語られるが、アマチュアジャズ界隈においては重篤な病なのである)

 ベテランサックス奏者の教本的なペンタトニックスケールを聴きながら、ふと自分の音楽活動について考えてしまう。音楽活動、というより同人活動と称したほうが正確かもしれない。音楽制作の依頼が来たり来なかったりしながら、自分の作った曲がCDに収録される。果たして依頼主に対して自分は期待通りのものを提出できたのだろうか、と不安になるも、そのフィードバックを積極的に得ようともせずに終わってしまう。実際にM3の会場に行くと、依頼主のサークルで挨拶したり、買っていくリスナーの顔を横目で見て、こんな人たちに関われたんだなと妙に実感が伴うのだが、その場では無難な時事ネタや知り合い同士の身内ネタに終始し、出来上がったCDの評価にまで話が至ることはあまりない。自分の音楽に対する「現場のリアクション」に無縁なこの状況は、DJイベントにはそぐわない、しかし生演奏のライブをするような楽器プレイヤーでもなければ、ましてやバンドでもない、という中途半端な音楽性も一因であると思う。

一応、サウンドクラウドを開けば聴いてくれている人がいるという事実は確かにあったりする。完成度やジャンルがバラバラで未熟な自分の音楽にしては結構再生されており、一部楽曲に至っては、自分にとってはchill系drum'n bassの金字塔的アルバムだったRandom Movemetの『Lost on Purpose』の楽曲群よりも再生されていたりする。あまりに自己評価とちぐはぐなこの状況に「どうせサンクラの再生数なんて多少あったところでね」とニヒリズム的結論に至ってしまうのであった。

 他者からの感想というものを、意図的に避けてきた部分については自覚がある。自分の音楽に対しての評価を、自分はまだ発展途上だから…自分の音楽性はまだ未完成だから…という言い訳とともに避けてきた。
 昔、大学に入学してジャズ研に入ったばかりの頃、ウッドベースの先輩が「ジャズは命懸けの音楽」と言っていたのを思い出す。ジャズの発祥から考えても、当時の黒人ミュージシャンを取り巻く環境は暴力や人種差別と無関係でいられるはずもなく、そんな中で、ひたすらに自分の楽器ひとつで自己研鑽、自己表現をする過程は険しく、孤独だったに違いない。自分のスタイルはまだ定まってないんだよな~などとのたまっている場合ではないのだ。
 その先輩は、今はプロとして、荒み具合で言えば当時のアメリカに勝るとも劣らないとすら思える現代日本ジャズ界隈で、演奏を続けている。先の言葉は、ただ新入生に発破をかけるだけのものではなかったように思える。

 そんなことを考えつつセッションホストに声を掛けられ、自分の演奏順が回ってきた。一応経験者とはいえ、ブランク10年選手のたどたどしい演奏を、周りは生暖かく聴いてくれる。演奏自体は楽しかったが、ピッチはグダグダ、お決まりのツーファイブフレーズをなんとか思い出しながら弾くその演奏では、「命懸け」の音を出せたはずもなかった。
 「命懸け」からは程遠いかもしれないが、せめて「これが自分の音楽です、どうぞ聴いて感想を言ってください」と胸を張って言える音楽活動を、これからは続けていきたいと思う。

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