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【風景短編】 摩文仁の丘 黎明の塔
撮影: 2019年10月、2021年3月
撮影日以外にも、摩文仁の丘を、ひとりでよく訪れています。
遠く、物心ついた頃から本や資料で何度も見てきた、沖縄戦の、実在した現場の一つであり、最も象徴的な場所のひとつとして。
丘の頂上を見渡せるところから。黎明の塔も、頭を覗かせています。
多くの人々が訪れる平和祈念公園の、正門から数百メートル離れたあたり、摩文仁の丘の麓に、整備された広場があります。
丘に上がっていける階段道が作られています。
平和祈念公園の正門から入って摩文仁の丘をずっと登ってくるのが通常のルートですが、直接上がれるルートも便利です。
階段道の途中から、平和祈念公園の方が見えます。
階段を上がりきって、右の頂上側へ少し歩いたところ。
ここから左下へ降っていける道があり、第32軍司令部壕や健児の塔に続く。
(司令部壕跡へ、後で降りてみる)
(健児の塔は、第32軍司令部の直属隊「鐡血勤皇師範隊」として動員され守備軍と運命を共にした沖縄師範学校職員生徒を祀った碑)
第32軍司令部の戦没者を祀った「勇魂の碑」。
牛島軍司令官と長参謀長、両将軍の墓跡と刻まれている。
丘の頂上に建てられた「黎明の塔」。
ちょうど、夕方の空を海鳥が何羽も群れて翔んでいました。
昭和20年6月23日午前4時30分に自刃、と見える。
塔の前から、摩文仁の丘を下った平和祈念公園方向を望む。
先ほどの、司令部壕跡へ下るところへ。
左端に、下っていく階段道。
その階段道を、2回左に折れながら下っていくと、壕の入り口へ。
この壕の中が司令部跡。
「終焉の地」の標しが。
壕の入口辺りから、振り返って、目に入る風景。
その先には、摩文仁の丘の断崖と、平和な海原が広がっています。
赤瓦の屋根の上で、ずっと見守る、シーサー。
もと来た階段道をくだって、摩文仁の丘をあとにします。また、参ります。
(完)
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