見出し画像

思ひ出夜行 ムーンライト信州

 橿原に 国のたちける いにしへを 偲ぶるけふも 君を思ほゆ 可奈子

 二月十一日は紀元節でありました。神武天皇の御代から、けふまで、何度目の誕生日でしたでせうか。橿原神宮を遥拝しつつ、紀元節の歌を歌ひました。

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。和歌(やまとうた)と旅、そしてサウナと鉄道を愛する玉川可奈子です。
 最近、チロルチョコにハマつてゐます。職場で配つてゐます。小さいけど、美味しいですよね。もちろん、ヤクルト1000も毎日飲んでゐます。

 この「思ひ出夜行」シリーズを書き始めて、今回で三回目になります。三回目の今回は長野県への旅のお供をした夜行快速列車です。どうか、最後までお付き合ひください。

中央線と夜行列車

 中央本線はかつて、夜行列車の宝庫でした。中でも急行アルプスは特に知られてをり、それ意外には421M、通称「上諏訪夜行」といはれた列車もありました。

 私の手元にある昭和六十三年のJTB時刻表を見ると、四月二十八日には22時半から翌0時1分まで七本もの夜行列車(定期と臨時の急行アルプスと421M)が新宿駅から出発してゐまいした。ちなみに、その中の23時52分発の急行アルプス91号(9401)は客車で、B寝台を併結してゐました。実に興味深いものです。

421M

 私が青春18きつぷで旅行をしはじめた大学生の頃には、急行アルプスは廃止され、上諏訪夜行も姿を消してゐました。

 平成十四年(二〇〇二)十二月に、「急行」アルプスの代はりに生まれたのが、今回の主役、「快速」ムーンライト信州でした。ほんのわづかな期間ですが、しらかば白馬号、しらかば新宿号、しらかば長野号といふ名称でした(ムーンライト九州が、ふるさとライナー九州といふ名称を一時的に名乗つてゐたのと似てゐますね)。

 これらの列車の目的は、明らかに山登り、またはスキーでした。呑んで帰つた後に乗るものではないでせう。421Mなどは、呑んで帰つた人がつい車内で寝てしまひ、気が付いたら上諏訪駅だつた…といふ悲惨なことはなかつたのでせうか。気になるところです(高尾駅あたりはよくあつたみたいですね)。

 アルプスが急行であつたのに対し、ムーンライト信州は快速です。車両は据ゑ置きで、急行料金不要といふのは、JR東日本側の大サービスでせう。

 私がムーンライト信州に乗つた時、いつも車内は空いてゐました。いふまでもなく、車内販売もありませんでした。数回、それなりに混んでゐたことはありましたが、空いてゐる印象が強く残つてゐます。真冬でも、同業者(鉄ヲタ)もチラホラ見かけました。

 車両は183・189系でした。私が乗つた時は、あずさ色ではなかつたやうに記憶してゐます。全て、国鉄色でした。

183・189系 ムーンライト信州

 E257系や、E351系(スーパーあずさの車両)だつたこともありました。
 最後に乗つた時は、E351系でした。意外に感じたことを今でも覚えてゐます。183・189系に比べたら「当たり」ですね。

参考 E257系
参考 E351系

ムーンライト信州の思ひ出

 そのムーンライト信州に好んで乗つてゐたのが、大学生の頃でした。当時の私は、温泉にハマつてをり、安くかつ楽に行けて多くの泉質に恵まれてゐる長野県にしばしば足を伸ばしました。
 下り列車には、いくつかの種類があり、白馬駅まで行く81号(91号)、信濃大町駅止まりの91号(93号)がありました。私は81号にばかり乗つてゐました。
 しかしながら、何回乗つたか、正確に覚えてゐません。かつて、きつぷの蒐集をしてゐましたから、それを見ればわかるのですが、断捨離してしまつたので記憶以外に確かめる術がありません。

 長野県への旅行には、青春18きつぷの残り分を使ふ場合と、当時あつた周遊きつぷを使ふ場合がありました。前者を利用した際は帰りにホリデー快速ビューやまなしを茅野駅から使つたこともありました。後者は特急の自由席に乗れるので、便利でした。

ホリデー快速 ビューやまなし

 八王子駅を出発するのが、零時四十分頃。いつも、この辺りで寝てしまひました。知らない間に山梨県を通過し、四時過ぎに目を覚ましました。松本駅あたりで、車内がにはかに動きが出るのをなんとなく思ひ出しました。

 松本駅から大糸線に入りますが、夜明けの大糸線は幻想的で思ひ出深いものでした。特に、車窓左手に見える山々には神々しいものを感じました。

 終点の白馬駅は、冬にはスキー客が随分居ました。防寒対策をしてゐない私は、松本方面へ引き返すため、一人駅舎で待つてゐたものでした。白馬駅には、しばらく歩いたところに温泉(みみずくの湯)がありました。くせのないアルカリ性のお湯でした。ただ、ムーンライト信州を降りてから、すぐに利用することはできなかつたやうに記憶してゐます。

 いつだつたか、大糸線をさらに日本海側に向かひ、金沢方面に行つた時は、単行の車内がとても混雑して異様な雰囲気でした。
 途中、大糸線の平岩駅の近くには朝日荘といふ素敵な温泉宿(源泉掛け流し)があります。当時の友人と二人で泊まつたこともありました。

 懐かしく思ひ出されるのが、上諏訪駅の足湯でした。かつて、露天風呂がありましたが、これが足湯に改められて今日に至ります。茅野駅から上諏訪駅まで、諏訪湖沿いをのんびり歩いた際、疲れた足を癒すのに利用したこともありました。

 他にも、善光寺を参拝し、帰りに美味しいおそばを食べたこともありました。車窓では、篠ノ井線の姨捨駅。いはゆる善光寺平の景色が見事だつたことを、今でも覚えてゐます。いふまでもなく、日本三大車窓の一つです。

 上田電鉄に乗り、別所温泉に入りに行つたこともありました。別所温泉には二回ばかり行きましたが、静かな、そしてのどかなところで落ち着きました。温泉も素敵でした。

一度だけ乗つたファンタジー舞浜

 ファンタジー舞浜(ルンルン舞浜)も、信濃路を行く夜行快速列車でした。しかし、これはムーンライト信州と少しばかり異なります。出発は東京駅の地下ホーム。それも、京葉線ホームです。さう、この列車は、ディズーランドから帰る人たちのための列車なのでした。いはゆるTDR臨といふものです。

 ファンタジー舞浜は、舞浜駅でディズニーランド帰りの人たちを乗せると、武蔵野線を経由して日付の変はつた頃の立川駅に停まり、山梨県や長野県の駅に小刻みに停車して行きました。

 八王子、大月、塩山、山梨市、石和温泉、甲府、竜王、韮崎、小淵沢、富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、塩尻、松本、島内、一日市場、豊科、そして終点の穂高駅には、早朝の五時半前頃に着きました。山梨市駅や韮崎駅などで降りる客を見て、不思議に思つたものでした。
 なほ、上りは早朝に穂高駅を出発し、お昼前に舞浜駅に着くやうなダイヤで運行してゐました。

 私が唯一乗つた時は183・189系のあさま色でした。あまりよく眠れず、夜の甲斐路を眺めてゐました。そして、気が付いたら終点の穂高駅でした。歩いて大王わさび農場まで行かうと思ひましたが、寒かつたのでやめました。

 画像は、Wikipediaより転載しました。

 次回は、夜行快速列車を離れ、夜行「急行」列車を思ひ返さうと考へてゐます。どうか、お楽しみに。
 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

54,450件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?