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#自分にとって大切なこと
生きれば生きるほど、失くし続ける世界で
十日町も穏やかな陽気の日が増えてきた。
すると、少しずつ、わずかずつではあるが、水の音がし始めた。
雪解け水の音だ。
もう1ヶ月もすると、山は目覚めの産声で溢れる。
私は耳を澄ませる。
東日本大震災から10年が経った。
私は3月11日の約1ヶ月前に、東京から新潟へ移住し、就農した。
奇しくも私が新潟と出会ったきっかけは、中越大震災の復興ボランティアだった。
私は変化を前に、夢を語り強く生き
こども専用の鍬を作ったら、思ってた以上に楽しくて、気付きがあった
「やりたいやりたいやりたあああい!!!」
……また来た……。
2歳ごろから、娘は「お母さんと同じことを、なんでもやりたい」大魔王になっていた。この頃、娘をよく一緒に田んぼや畑に連れて行っていた。
娘の好奇心をくすぐる物事がたくさんの農業。
この日もやりたい大魔王となっていた。
当時、娘のやりたいものの1つに「鍬(クワ)ブーム」が到来していた。
「やりたい、やりたひ〜〜〜ん」
「やりたい
結婚の挨拶、荒れに荒れたお父さんが、最後に言った一言
両親は、まさか私が大学卒業後、新潟で農業を始めるとは思ってもいなかった。
そうだ、大学4年生だった私は、嘘をついた。
「勤務先が新潟になった」と。
当時、広告代理店に就職予定で着々と準備が進んでいた。
しかし、私は大学4年生の秋、新潟に移住し就農することを決めた。
(その話は後日)
私が恋をしたのは、50歳以上も歳の離れた農家の師匠たちだった。「ここには、本当に大切なことがある気がする」という
私はコピー機の前で泣いていた
2020年の暮れ、私はコピー機の前で泣いていた。
ぼろぼろ、ぼろぼろ涙が溢れるが、そんな私をよそにコピー機は次から次へと紙を吐き出している。
ここは、だだっ広い会社のオフィスでもコンビニでもない。
自宅の隣の、小さな事務所。
印刷しているのは、今年のさつまいも栽培の報告と、昨年度の干し芋加工、販売の実績、そして今後について書かれたkeynoteのデータだった。
その日は、午後からさつまいも生産