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声が出なくて、声が出ない仲間を探した。

1月20日頃、喉の不調。(コロナではない)
2月1日頃から、声帯が腫れ、声が出なくなる。

そして2月15日、久しぶりにまともに「話す」仕事をした。
声がやっと出るようになったけど、油断禁物。
たまたま3年前の4月初め頃の自分の動画を見たら、春になっても「声が出にくいので無理しちゃだめ」って自分で言っていた。。。
なんと、、、長い。。。

声が出なくて色々調べてるうちに「聴唖-ちょうあ-」という言葉を知る。
耳は聞こえるし脳の異常などもないけど話せない人のことを言うようだ。

咽頭癌で声を失ったつんく♂さんとのように後天的に声を失う人もいる。
耳が聞こえずそのため話すのも困難という聴覚障害、(聾唖-ろうあ-)の方がよく聞くのは、実際の症状として聴唖者の人口が聾唖者に比べてかなり少ないからとのこと。
喋れないだけ人の情報は少ない。


自分に新しい何かが起こると(この場合声が出ない)、すぐに調べる癖があるのは自分にとって良い癖だなあと思っている。
知らなかったことが知れるきっかけになるのは面白い。
日常におけるセレンディピティが大好物だ。

しかし「知らないことを調べたがる」という癖はそこまで一般的ではないらしい。
最近いろんな人と関わることで理解している。

みんな、目の前のことで一生懸命だ。
声が出なければ病院へ行って言われた通りにすればいい。
飴を舐めたり加湿をするなど、もうやれることはわかっている。
悪く言えばそれ以上調べなくても時は過ぎていく。
与えられる情報で十分満足できるのでいちいち調べる必要がない。

「なるほど世の中には耳は正常で声だけが出せない症状の人は、耳が聞こえない人よりも1/10程度しかいなくて、聴唖というのか、そういう人たちはどうやって生活をクリアしているのだろう、全日本ろうあ連盟というのがあるのか、、、お、イベントやってますね、、、」
みたいなことまでいちいち調べる必要は確かにないっちゃない。笑

でも、「知らないことを知る」ことでたくさんの情報の中から自分の興味の蓄積が増え、精査され、よりアイデンティティが強固になると感じる。
自分は、こういうことが好きで、こんなことを考える人間なのだ、という自己理解につながっていく。
自己理解をするのが好き。
だから私は調べるのが好きだし、考えるのが好きなんだろう。
(ただし興味のあることに限る)


聴覚障害者の方は耳も声も困難なので手話を使うことも多い。
けれど聴唖者は手話を使う人は少ないようだ。
耳は聞こえているので「筆談」の方が早い。
筆談であれば手話の分からない大多数の人にも通じる。
今だと、紙に書くよりスマホでスワイプしたりキーボードでタイピングする方が圧倒的に早いので、チャットで会話するのも普通だろう。

実際、つんく♂さんもチャットで誰かと対談したり、YouTubeでチャットで出した文字を誰かがアテレコしたりして、活躍されている。

私自身も、声が出ない間にzoomではチャットで打ち合わせに参加していた。
あとジェスチャー。
お互いに慣れるとタイムラグも気にならなくなる。


できなくなることで知れることもある。
できなくなることでできることもある。
そんな当たり前のことに気づける期間。

毎年かかる持病としてこれからも上手に付き合っていくしかないな。

いや、できれば次の冬は声が枯れないようにしたい。。。
やっぱり喋れるのは楽しいからね。



っていうか。
私がつんく♂さんについてこんなに調べることがあるとは・・・
これもセレンディピティの一つ。楽しい。
意外なところで、つんく♂ありがとうございます。


自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!