見出し画像

幸せだった。

昨日は実務者研修の医療的ケアの授業で、経管栄養と胃ろうの実習だった。前日夜中まで勉強して、朝も自信なくて動画見ながら学校向かって。でも福岡弁の講師の先生が面白おかしかったからあっという間に試験もパスできた。

「おほさんは、なんでそんなにメール打っとんの」
「職場の同僚の相談乗ってるんです」
「じゃあ生活相談員としてなんぼか取らなあかんね」

授業にはベトナム人の若者も参加していて、たどたどしい発音で、日本人でも難しい医療用語や漢字を読んでいた。
「大事なのは姿勢なんや」先生が言う。
その若者が、一生懸命に実習の人形に「がんばってくださいね」と話しかける様子は、福祉の世界もとい何かに取り組む上で必要な眼差しなのだと思う。

「なんで勉強が頭に入らないか分かりますか?」
「好きや興味がないからです。動機づけが足りない。おほさんも、この人形が香取慎吾ちゃんやったらわーいってなるやろ?」

動機づけが足りないから勉強が苦痛に感じるのか…大学の勉強が苦痛である。一回の授業に思った以上に時間がかかる。睡眠を削らないと消化できない。動機づけを足したら苦痛にならないようになるだろうか。生活相談員になりたい。でもたぶん今の自分は生活にいっぱいいっぱいで、情熱を持って一生懸命に取り組む力がない。それでも自分で決めたことだからやる。

職場の人員不足が思う以上にキツい。
何がキツいかというと、夜勤が増えることと、人が辞めていくこと。人が辞めるごとに辞めた人の仕事量が残った人に降りかかる。
また、残った人の仕事のスピードや技量も均等ではないから、どこかに皺寄せがいく。
月に5回だった夜勤が7〜8回に増えていく。夜勤一回ごとに1日分の睡眠時間が減る。夜勤明けの日も結局大して眠れないからだ。それが週二回に増えていくとなると、身体にはもちろん良くはない。

仲の良い同僚が辞めたいと言う。
彼女のために全力で負担となっている箇所を取り除こうと奔走する。それでも彼女の気持ちが変わらない。限界を超えた忙しさはこころを蝕む。
「福祉に優しい心で向き合えないんです」

すべての人に優しい心持てなくてもいいんだよ、そんなに真面目に生きなくていいんだよ。ただあなたにいてほしいんだよわたしは。

最初に書いたベトナム人の彼も、そのうち流暢な日本語を喋るようになって、労りの言葉を利用者さんにかけなくなるかもしれない。優しさと思いやりはもちろん大切だけど、自分が限界なら自分を守ってほしい。

帰り道、職場のあれこれで凹んでしまい思わず好きな人に連絡する。だいたいいつも返信がないか、無理ですと返ってくる。諦めて息子たちにケーキ屋さんでケーキを買っていると、珍しく返信がきた。
〈電話ならいいですよ〉
彼の声が大好きだ。声が優しい。話していると彼の声の後ろから近くにいる音がする。

この二ヶ月間、好きな人を諦める努力をしてきた。でも好きなことに変わりはなくて、いくら気持ちを整理しようと、隠すことや曲げることは出来ても結果それは自分を痛めつけることにしかならなかった。
だから素直にある気持ちを大事にしょうと思う。

「人の心配するのもいいけど、自分を大事にしてくださいね。無理しないで」
車の中でひとしきり話を聞いてもらったあと別れ際に彼が手を振る。わたしが見えなくなるまで見送ってくれる彼が好きだ。
幸せだった。そしてたぶん、今までも幸せだったことを思い出す。自分は不幸ではないことを知る。もう一度本当の意味で頑張ろうと久しぶりに思えた一日だった。


SIGMA dp1 Merrill ISO100 −1ev auto



いつもお読みいただきありがとうございます。
©︎2024 OHO KANAKO All rights reserved.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?