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秋が来る。

久しぶりに散歩しながら書いている。
夜勤明けの夕方散歩は気分が良い。
赤く染まった入道雲のまわりに動きの早い雨雲。
もう、秋が来る。

9月に三男の手術が決まり、一気にもう自分のことなんてどうでもよくなった。
憑きものが落ちたように執着が消える。
苦しかった恋愛もおしまい。
明日も明後日もその次も、予定で埋まっているのだ。わたしに残された道は目標を立て、制作し、埋められなかった悲しみのピースを自分で作って完結させるしかない。
来年、写真展示をするために具体的に動き出す。

福祉施設で働いているが、
そこの実践事項に“失敗する権利”という一文がある。人は間違えるし失敗する。それが権利であるということ。今日も仕事中その話が上った。障がいの有無に関わらず、人は失敗を許される権利を持っている。
展示は毎回失敗している。完璧に仕上げることが毎回叶ってない。もう1トーン上げて焼きたかった、この2枚はだめだ、そういう細かい修正点が必ずある。それに気付く人は指摘してくるし、気付かない人も違う意見をくれる。
それを含めて笑ってわたしらしいと言ってくれる人もいる。それじゃだめだと知りつつ、時間は有限で、期限があるからそこを目指す。
そして終了のホイッスルが鳴らされる。
だから、それ以上以下でもない。

部屋に並べた写真を見て、必ず、どうしても抜きたいのに抜けない写真が出てくる。
他の写真となんとなく被ってるし、面白くない。でもその写真を外すと、何かが色褪せる。
そういう不完全さが発現する。

ただ真面目に生きている。
たまにイライラして、子どもたちに「靴下爆弾じゃー」と丸めた靴下を投げる。怒りは笑いに変える。夏休みの宿題、子どもの作文の出だしは“ぼくのままはおもしろいです”だった。結婚してから、不条理な怒りには太刀打ちできないと悟った。それを誰かが解消してくれるわけでもないから、自分で別の形に変えなければならないのだ。

だからわたしは写真を、文を人に見える形にするし、そしてまた見えない写真も言えない言葉もその奥に大事にしている。

夏が終われば、一気に季節が進む。
人間関係も変わるし、子どもは成長するし、自分はもちろん歳をとる。
今年上半期はたくさんのことを吸収し、経験した。だから、ここからのラストスパートは事務的に還元する作業に入ろうと思う。


SIGMA dp1 Merrill



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