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旅に出ても価値観は変わらない。


変わった人間に、旅人は多い。

旅好きが集まれば、「どんな体験をしたか」「どんな苦労があったか」「旅によって何が得られたか」夜通し語り合う。

旅好きのコミュニティーにいなくても、旅行での苦労話、トラブル、感動話なんてものは、今の時代ネットや本の中、そして友人の土産話でありふれていて、今更目新しい経験を聞くこともない。

「旅が人生を変えた」なんてみんなに口を揃えて言われると、旅とは何か、どんな大それたものか思うかもしれない。

だが実際、旅なんてたいした物ではないのだ。

ここまでの話を見ると、私が大の旅嫌いに見えるが、実際はその真逆。大の旅好きでコロナ後は移住予定だ。
だから私も旅について語りたい。ただ、これは「旅でみたもの、触れたものによって人生が変わった」という、感動ストーリーではない。

むしろ、旅行っても人生は変わらないという結末だ。
それでもいいよって人だけ読んでね。(笑)


私の旅歴

簡単に私の旅歴について。

初めて海外に行ったのは、大学一年の時訪れた韓国。
韓国というお隣さんは、日本と何も変わらないという感想だった。
トイレにペーパーを流すことができず、横のバケツにいれる文化が一番の衝撃だった。

その一ヶ月後、大学のプログラムでベトナムを訪れた。約3週間。
ここでの生活はまさに私の期待した海外であり、それ異常だった。

帰国後にすぐ、大学の春休みで友人と台湾を訪れた。
八角の強烈な匂いに衝撃を受けたものの、今はもう忘れてる。
台湾も韓国と同じで、日本とさほど変わらなかった。

大学2年の時は、国内旅行に精を出し海外には行かなかったが、ベトナムで過ごした日々を忘れられなかった。

大学3年の春、授業がほぼゼミのみになってきてるのをいいことに、単身ベトナム旅行へ。この頃には既に就活せず、大学卒業後すぐ海外で暮らすことを夢見ていた。

大学3年夏休み上旬、友人とタイへ。大学生がこぞって訪れるタイとはどんなもんかと期待したけど、私も友人もハマることなく帰国。

大学3年夏休み下旬、今度は母とヨーロッパへ。ルートはフランス→ドイツ→母と別れて一人イギリスへ→一人またフランスへ。
私にとってフランスでの日々は、キラキラ輝く宝石箱のようだった。
そこに住むと誓う。

大学4年春休み、友人とシンガポールへ。
アラブ・中国・インドいろんな文化が混ざる地。
「シンガポール人とは何を指すのか?」単一民族には混乱する疑問だ。

大学4年夏、一人でまたヨーロッパへ。二カ国五都市。
バルセロナから南仏のトゥールーズへバスで移動。そこからボルドーへまたバス移動。さらにトゥールへバスで向かって、最終目的地のまたパリへ。
パリに向かうバスでは運転が荒過ぎて、車内で吐いた(笑)

大学4年卒業間近、ゼミのみんなとセブ島へ。
スラム街と高層ビルといういかにもな貧富の差を始めて目の当たりに。

私の大学卒業と、6年生大学に通っていた姉の卒業が同時期だったので、お祝いがてら、家族四人でベトナムへ。私が住むであろう場所に家族を招待できたのはよかった。いい思い出。

そこから2019年冬から2020年年越しをインドで迎えた。
いい思い出も辛い思い出も結構あった。

帰国後すぐに、タイへ向かった。
一ヶ月ほど滞在したのち、ビザ ランのためにマレーシアへ向かった。
コロナが猛威をふるい泣く泣く日本へ帰国。

世界一周もしていなければ、訪れる国もメジャーところ。
大学の4年間で約20ケ国は旅好きを語るには中途半端かもしれない。

一旦旅でのトラブルを

旅での苦労話が巷に溢れているように、「旅にトラブルはつきもの」。
これは本当だと思う。

私の旅トラブルはざっとこんな感じである。
・トランジットで立ち寄った中国に、パソコンを忘れる(無事取り返す)
・バルセロナ初日にスリと闘う(無事取り返す)
・凱旋門目の前で、ジプシーに囲まれ鞄奪われる(無事取り返す)
・ベトナムで出会った青年とデートするものの既婚者だった
・台湾でスマホのスリと闘う(無事取り返す)
・インドで薬中男に付き纏われる
・ボルドーでレンタサイクルを楽しむ中車とプチ衝突
・インドでuber運転手に3倍の値段吹っかけられて警察沙汰(無事勝利)

海外でよくあるトラブルの一つがスリだが、私は運がいいことに何も取られなかった。
ロストバケージもなければ、ぼったくられるとかもない(小額はある)。
予約のミスや、飛行機を逃すなんてこともない。

こうみると私の旅は、幸いなことに本当にノントラブル。

トラブルはなくても価値観が変わりそうな瞬間はあった

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トラブルだけが、旅の醍醐味ではないし、トラブルだけが私の価値観を変えてくれるわけではない。

通りを歩く人をみているだけで、考えさせられる時があった。

単純に旅を楽しんでいた私だが、「あぁ、日本に生まれてよかった」「私はやはり日本人なんだ」「もしここが日本だったら」なんて、自分の価値観・固定概念について考えさせられる瞬間ももちろんあった。

・"Bonjour!"と言わないとオーダーを聞いてくれないフランス人
・階段をヨボヨボ歩く老婆を助けたら、「金をくれ金を」と言われたパリの地下鉄
・牛が道路を闊歩しているインドのバンガロール
・道でお昼寝中のベトナム人おじさん

日本ではありえない、日本もこうだったらいいのに、日本だとこうだけどここでは違うんだ とか色んな感情に苛まれた。

その中で特に印象的だった話を二つしたい。

エッフェル塔の下で暮らすホームレス家族
意外に思う人もいるかもだけど、ヨーロッパはホームレスがたくさんいる。
移民もとっても多い。
初めてフランスを訪れた時、最寄りのメトロからエッフェル塔へ向かっている時、道の角に小さな子供二人と、その父・母4人家族のホームレスがいた。ホームレス10mに1組程いるパリでは、特に珍しい光景ではなかったが、私にとって、その家族は特に印象的だった。
一年後、またパリを訪れ、私はまたエッフェル塔に向かった。
エッフェル塔間近の角に、まだあの時の家族が、一年前と全く同じ様子でそこにいた。
フランスを2回目に訪れるまでの私の一年は、進路について悩み、就活を辞め、旅行に行き、大学で卒論を書き、バイトに励み、濃密な一年を送っていた。
だが、その家族にはただひたすら、そこに居続けただけだったのかもしれない。

パリの早朝、人通りのない道で黒人と
フランスの話が多くて申し訳ない。
パリの朝、ホステル近くのビンテージマーケットへ出かけようと一人で歩いていた。
あたりは治安の悪くない場所で、天気のいい朝ということもあり、気分はよかったが人通りは少なかった。休日だし。
マーケットまでの小道、背の高い黒人男性と女性4名程が向こうから歩いてきた。
その道には、彼らと私だけ。近づいてくる度、正直ドキドキした。
偏見を恐れずいうと、怖かった。
私は決して人種差別者ではないし、黒人の友人もいる。
ただ、私のような小さなアジア人対体の大きい黒人4名だと、圧倒的力の差がある。
何事もなく通り過ぎるのをただただ望んでいた。。。が、
間も無くすれ違うという瞬間、彼らが私に向かって話しかけた。
「うわ〜やばいやばいやばい 誰かた助けて〜」正直内心こんな感じだったけど、彼らが私に言ったのは一言。
「お姉さん!そんなふうにケータイポッケに入れてたら危ないよ!」
えぇーーーー?優しすぎん??
「 Merci! Have a good day!」と、私は満面の笑で返していた。

経験をしても価値観は変わらない

これらの経験をしても、帰国してしまえば私はただの大学生に戻っていた。
貧富の差をまじまじと実感し、自分が人種差別者なのか悩んだり、はたまたこの世の中にはいい人しかいないと実感したり、旅から得られる物は多くあるが、結局旅は旅であり、日常ではない。

元の巣穴に戻れば、その時考えていたこと、強く感じた使命感、私にできることは何かと悩んだ義務感、全て忘れて元通りのただの大学生に戻っていた。

旅先での感情を日本に持ち帰り、何か行動を起こせる人はほんの一握りなんじゃないか。

だけど、私はそれでいいと思っている。

だからこそ旅に出よう

結局旅好きなの?旅好き反対なの?
どっちかよくわからないことを書いているが、断固として言う。

旅に出かけよう。

旅に出ても出なくても人生は変わらない。

まして人生を変えたいから旅に行くなんて、そんな損得感情は旅に失礼だ。

旅に出るなら、ただ楽しめばいい。

立派な大義名分も、使命感も必要ない。

インドで海にいる牛を見て、パリのマルシェでクロワッサンを食べて、スペインで太陽を浴びて、ベトナムの騒音に身を包む。

それが旅の醍醐味なのだ。