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現場からの目線 コロナ「休校」で得たもの、失ったもの

「休校」ニュース第一報は、突然に

 勤務校に「休校」のニュースが飛び込んできたのは、確か19時ころ。(世の中に報道された時間は知りませんが。)私たちは、生徒のトラブル対応を終えて、今後の指導の方向について管理職を含んだ複数の教員で打ち合わせをしていました。管理職がスマホのニュースの着信に気づき「こりゃ、大変なことになりました。」と。

 たった今まで話し合っていた「明日からの対応」が、一瞬で全て意味を失いました。明日からの時間がなくなってしまいましたから。こうなっては別の作戦を構築しなくてはいけません。

 しかし、生徒指導を抱えて途方に暮れる学校のことは報道されませんね。想像もされていないのだというのが、現場サイドの実感です。私たちより困難を抱えている学校も、きっとあるでしょう。生徒のトラブルを事務的に支援することは不可能です。

 懸命に働く先生たち

 私は今年度、中学3年の担任をしています。卒業を前にした生徒間トラブル対応、進路指導、卒業に向けた準備、授業のクローズド、そして「休校」。一報を聞いた後、急に胃が痛くなってしまいました。思考と感情がグワーッとかき混ぜられて、体が悲鳴をあげたのでしょう。昼以降、生徒トラブルの対応で、保護者対応もありながらの、バタバタしたままの、19時「休校」報道でした。空腹、疲労、緊張、驚愕、嵐のように過ぎた1日でした。

 もちろん管理職と教務は、ニュースを知った時点から「休校」の対応について検討をスタート。市教委の通達を待っていては後手に回ります。日付をまたぐ協議が必要でした。「休校」を要請した方には、これをちゃんと知ってもらいたいところです。「つまらんこと」とか言われそうですけど。

クラスの子どもたちへ

 2月27日の夜に「休校」要請があり、残された日にちは28日のみ。教室のカウントダウン・カレンダーは「あと3日」というところでした。

 28日の朝、登校した子どもたち(卒業生)の表情は複雑な感じでした。その時点で市教委からの通達は未達。基本的には、生徒に話せる内容はゼロの状態でした。

 その日が最後になる可能性が大。生徒と話す時間も限られるだろうという見通し。卒業式も、まだどうなるかわからない。卒業生とはこれでサヨナラという可能性も大。

 こうした中で、この日の朝の会で、私が子どもたちに「これで全員と会うのは最後かもしれない」と思いながら話したことは、次のことでした。

1) あと3日あると、誰もが疑っていませんでした。でも、突然、いろいろ理由はあるにせよ、他人の意思によって「終わり」を告げられました。でもね、「ある日、突然、終わりがくる」、これは人生につきものです。「今日、私たちが生きている時間は、昨日亡くなった誰かが生きたいと願った明日」という言葉もあります。

私たちは、大切にしたい時間に「終わり」を告げられました。これが、喪失の体験です。「終わり」がいつなのかは誰にも分からないけれど、あらゆることに「終わり」があることを実体験しましたね。これからの生き方に、この体験を活かしてください。悔いのない、いや、悔いはあっても納得できる生き方がいいなと、私は思います。自分の頭で生き方を考える機会にしてください。

2) 人生には、今回のように、理不尽なことがあります。悲しんだり、怒ったりすることもあっていいです。でも、起こったことにイライラしたり、誰かのせいにしたり、誰かを攻撃するのではなく、どうしたら解決できるか、乗り越えられるか、優先順位は何かを考えられる人になってください。今回は、みなさんの健康と命が最優先の決定です。自分の命を守ることが他人の命の守ることになります。他人の命を気に掛けることが、自分の命につながります。公立高校受験が間近です。自覚して行動してください。

3) こうなったら、この状況をポジティブに捉えましょう。なかなかできない体験をしているのだと。いつもと違う雰囲気と緊張感の中で、今日ラストになるであろう1日を大切に過ごしてください。ダーウィンも言ってます。「変化に対応できたものが生き残る」って。

4) みなさんの中に「君の膵臓をたべたい(住野よる)」という本を読んだことがある人が何人かいます。人生における時間の価値について考えさせられる本だということです。ネタバレになるので詳しくは話しませんが、RW(リーディング・ワークショップ)でレターエッセイを書いてくれたBさんに話を聞いてみてもいいかもしれません。

 市教委の通達は、卒業式を、やる!

 昼近くになって、市教委から通達がきました。当校の卒業式は規模を縮小し、内容を短く変えて当初の日にちで行うことになりました。卒業生にそれが知らされると、歓喜の声があがりました。職員の中では、東日本大震災の時のように、年度を跨いだ卒業式も可能性の中に含めていたので、この知らせは、子どもたちにも職員にも喜ばしいことでした。実は、この日、届く予定だった卒業アルバムも配送の遅延で届かず、今日でお別れというには、あまりに環境が整っていなかったのです。

 何があってもいいように

 卒業式の実施が決まったものの、コロナ・ウイルス関連の情報は刻一刻と変わっていきます。決して楽観できる方向には進みません。そこで、「保険」をかけておくという意味で、この日のうちに卒業合唱を撮影することを管理職に提案し、了承されました。

 卒業合唱は、卒業の全てを象徴する合唱だと思います。中学3年の、その時の自分を鮮やかに表現するものだと思います。「今」を逃してしまうのは、あまりにかわいそうだと思いました。

 また、もし、これからまた状況が悪化して、卒業式が再度中止されたり、延期されたり、合唱を禁じられたりした場合に備えておく意味もありました。そんな時には、動画を加工した上でインターネットで保護者の方に観ていただくこともできます!撮るっきゃない!というのが3年生の担任団の思いでした。

 合唱用の台を用意して!とお願いされた卒業生たちは、以心伝心、合唱がある!と瞬時に察して、怒涛の勢いでステージの準備を行いました。

 そして、28日の放課後の時間に、無観客試合さながらの、私たちだけの卒業合唱がビデオに収められたのです。

 歌い終わって、涙する生徒あり、爆笑する生徒あり…とにかく、やれることはやった!という充実感が体育館にあふれていました。

私たちが得たもの、失ったもの

 3日間という時間を失いました。ですが、この非常事態を受けて、子どもたちは、また一歩大人の階段をのぼりました。今の状況を理解し、できることに全力を尽くす。その姿を見られたことは、3年間、この子ども達と共に学んできた私にとっても嬉しいことでした。

 さて、ニュースで、当県でも初の新型コロナ・ウイルス感染者が確認されたことが、今、報道されました。休日明けには、また違う判断が下されるのかもしれません。何にしても、変わりゆく状況に対して、精一杯対応するのみです。

 田舎の、普通の、公立中学校のお話でした。最後までお読みくださいましてありがとうございました。RWについて、また発信していきます。


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