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アドラー心理学でいう「愛」ってなんだ?~読書会リポート~

勇気のアクセラレーター金井津美です。先月から5回にわたって続けてきた『幸せになる勇気』読書会が昨日で完結しました!ご参加くださった皆さまのおかげでとても味わい深い読書ができたこと、心から感謝しています。

さて今回も第5部について濃~い話が展開されたので、それについて書いていきますね。今回のテーマはずばり「愛」でした。他人と語るにはちょっと気恥ずかしい、でも生きていくうえで欠かせないこの「愛」っていうヤツ・・・。

フロムとアドラー

この章ではアドラー心理学の他にもエーリッヒ・フロムの名著『愛するということ The art of loving』(紀伊国屋書店)からの視点もたくさん盛り込まれていることを発見しました。年上のアドラーの意見をフロムが参考にしたかどうかは定かではありませんが、この2人の見解はとても似通っています。そのことについては、著者の岸見一郎先生と『愛するということ』の訳者鈴木晶先生の対談記事を見つけましたのでご覧ください。


愛についての誤解

フロムの見解「3つの誤解」は見事に的を射ています。そして愛への甘い期待や夢を見事にぶっこわしてくれます。うわ、刺さるわコレ。

① 愛の問題を愛するという問題ではなく、愛されるという問題としてとらえている
② 愛の問題とは、能力の問題ではなく、対象の問題だと思い込んでいる
③ 恋に「落ちる」という最初の体験と、愛しているという持続的な状態を混同している

そう、多くの人は「恋」と「愛」をごちゃ混ぜにしているのかもしれません。恋はある意味、片思いなら誰でも簡単にできる。偶然か必然かはともかくとして、恋する状態に「落ちる」瞬間はほとんどの人が経験する。でも「愛」を持続させていくのは難しいと感じる人が多いでしょう。恋から始まり、愛が成就し、そして愛が冷める瞬間が訪れる。修復不可能、持続困難な状態になることもある。

白雪姫もシンデレラも、王子様と出会ってすぐに恋に落ち結婚し、「めでたし、めでたし」と物語は終わっていますが、実際にはその後本当に「めでたし」が持続したかどうかはわからないですよねぇ。結婚はゴールなんかではなく、そこから果てしなく続く「現実」の物語ですから!

そしてフロムは『愛するということ』の冒頭でこのように語っています。

愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人はきっと失望するに違いない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いにかかわりなく、誰もが簡単に浸れるような感情ではない、ということである。

ちなみに文中ではアドラーが愛についてこんなふうに語っていると書かれています。これを読むと、フロムの見解と通じるところを感じます。

愛とは一部の心理学者たちが考えているような、純粋かつ自然的な機能ではない。

つまり、このお二人は「愛って、そんな簡単なものじゃないぞ!」ということを強調しているんです。

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愛=自立

恋と愛はちがうもの、ふむふむ、それはわかった。実体験でも納得がいく。では、アドラーのいう愛って何?ということが今回ののテーマでした。それは、一言でいうと「自立」なのだ!とこの本では断言しています。文中にはこんなふうに書かれています。

愛は自立です。大人になることです。だからこそ愛は困難なのです。
われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。

そして、自立のことをこのようにも表現しています。

自立とは、「自己中心性からの脱却」なのです。

まとめると、愛とは自立のことであり、同時に自己中心性からの脱却であるということになりますね。 

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愛はより大きな概念へ

自己中心性を保ち続けている状態は、主語が「わたし」になっていることを表している。それが、愛を知る・誰かを愛することによって「私たち」に変わる。それが本当の意味で大人になることであり、自立することである、とこの本では語られています。P.245には以下のようにあります。

われわれは愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、ほんとうの意味で世界を受け入れるのです。
愛を知り、人生の主語が「わたしたち」に変わること。これは人生の、新たなスタートです。たったふたりからはじまった「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくでしょう。

そうアドラー心理学をちょっとでもかじったことのある方はご存じだと思いいますが、この範囲の広がりが共同体感覚へつながっていく、と表現されています。

共同体感覚を説明するととっても長くなってしまうのですが、はしょって簡単に言うと「社会的関心(Social interest)」です。自分だけではなく、自分と他者・社会・国・世界・地球・宇宙・それ以上、まさに自己中心性から抜け出して自分とそのほかとの関わりに関心をよせよ、というアドラー心理学の根幹ともいえる価値観のことです。

愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります。生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類のすべてを包括した「わたしたち」を実感します。

この引用部分(P.273)にある「人類のすべてを包括したわたしたち」の感覚を持つこと、それが共同体感覚なのだ、とも読み取れます。

アドラー心理学の理論のすべては共同体感覚に行き着く。やはりその通りで、愛に関する考え方もすべてここが着地点だったのですね。ということが最終章でわかりました。

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最良の別れ

読書会は全5回でしたので、10名の仲間ともこれでいったんお別れでした。こう書きながらセンチメンタルになっている私がいます。参加者の皆さん、そしてこのnoteを読んでくださっている皆さん、ありがとうございました。最後にふさわしく、文中にこんなことが書かれています。(P.277)

現実としてわれわれは、別れるために出会うのです。(中略)だとすれば、われわれにできることはひとつでしょう。全ての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。
いつか別れる日がやってきたとき、「この人と出会い、この人と共に過ごした時間は、間違いじゃなかった」と納得できるよう、不断の努力を傾けるのです。

間違いじゃなかったどころか、ほんとうに素晴らしい出会いでした。そしていったんは解散しましたが、また何かの機会に再会したい仲間ができたことに充実感と感謝の念をもっています。この仲間に"Good bye"ではなく"See you again"と言ってお別れしました。そして心からの"Thank you"を!

また次の読書会がスタートしています。来週もそのことについて書いていきたいと思います。

参考文献 『幸せになる勇気』岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社

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