離島を知れば知るほど、諦めが出てきた
ありがたいことに、取材でいろんな離島に行く機会がある。西表、黒島、この間は与那国島に行ってきた。
話す言葉も違えば、人の顔や雰囲気も全く違う。おじいやおばあが何を言っているか分からず、記事が書けなくて焦ったことも多い。
文化が違うのは当たり前なんだろうけど、沖縄本島で生まれ育ったわたしは今まで
「沖縄なんだから、離島もある程度一緒でしょ」
という甘い考えのもと生きてきた。そしてそれは、ぜーんぜん間違ってた。
何キロも海を挟んで暮らす島の人たち。年齢はもちろん、見て感じてきた世界があまりに違くて、わたしは与那国から帰る飛行機の中で
「沖縄の人たちが分かり合うのは不可能なんじゃないか」って思ってしまったんだ。
そんなこというなよお前って言われるかも知れないけど、確信にも似た感情だったから仕方がない。
米軍基地に関する出口の見えないぶつかり合いや貧富の差、若者の島離れ、離島への自衛隊配備。
この島には、月日だけが流れて、解決の式が定まらない問題が多くある。
もちろん私にはわたしの意見があり、わたしの友人は異なる考え方を持ってる。
どうにかみんなの意見を公開したうえで、賢い人が双方に妥協点を求めながら前に進めないもんかと思っていたけど
「むりなのかもしれない」
と思ってきた 笑。
今、沖縄としてくくられている小さな島々の歴史と、そこから生まれた文化はあまりにも多様で、深くて、とても自分の中で整理することはできない。
諦めにも近いこの何とも言えない感情と、どう向き合っていこうか悩んでいる今日このごろ。
「沖縄特化のウェブメディアがつくりたい」
っていう夢を持って生きてきたし、準備は進めてるけど。
今話したことについては開き直るしかないのかもしれない。
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