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国際日本学部の特色のある授業紹介~コース演習(文化交流コース)

国際文化交流学科では2年生から文化交流コース、観光文化コース、言語・メディアコース、国際日本学コースに分かれて、それぞれの領域を重点的に勉強していきます。文化交流コースの「コース演習」では、学生たち全員で講演者を選び講演会を実施したり、グループごとに分かれて「内なる異文化」をテーマに調査・発表を行ったりしています。

11月19日(金)には、みなとみらいキャンパスから15分くらいのところにあるJICA横浜に、学生たち62人で訪問しました。青年海外協力隊を経験したJICAプラザよこはまの田中浩平さんに、JICAの国際協力や派遣されたネパールについて講演をいただいた後、海外移住資料館見学を行いました。

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ここでは田中さんの講演、そして海外移住資料館について、学生たちが寄せた感想を紹介したいと思います!

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「なぜ日本が開発途上国を支援するのか、という根本的なところを知れてよかった。私の知らないところで、日本が様々な支援を開発途上国を始め、海外各国から受けていて、その恩返しのため、という、「助け合い」が存在していることが分かった。私がこの学科で、このコースで学ばなければいけないことを再認識できた。また、途上国の発展が日本には不可欠であり、日本は途上国に大変依存していることも学べた。その例として東名高速道路が、世界銀行の資金で出来た、というお話があったが、今日初めて私は知った」(Y.S.)
「私たちが技術協力をするのは、途上国の発展を手助けするためだと思っていたけど、違う角度から見て考えたら、自立させるためでもあったんだなと新しい考えを学ぶことが出来た。途上国側は一方的に与えられるだけではなく、そこから自分たちでどのように活かしていくのかが肝心になってくる。また、与える側も現地に行って教えるだけではなく、帰って何を学び・感じたのかを発信するまでが仕事なんだなと思った」(A.M.)

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「ネパールでは民族が多々存在して、あらゆる部族が共生していること。また日本とネパールの共通性としてサンスクリット語の浸透性、江ノ島の弁財天やお札の原料である「ミツマタ」を提供していることを紹介し、最後に日本が在日外国人に対して行う取り組みとして多言語支援センターやネパール相談窓口、横浜区中区寿町で行われる生活困窮者へのカレーの炊き出しなどを紹介してくれました。
 感想として、これだけの活動をしていながらあまり人に知られていないこのようなJICAの取り組みは、世界で周知されているのか、またこのような取り組みは世界の国々はどのように評価しているのかという点が気になりました。日本では難民問題がつい先日大きな問題を起こしましたが、一見日本は外国人に対してあまりいい待遇を取っていない印象を正直持っていました。ただ、このような取り組みがもっと様々な国へ知れ渡り、自分が生きやすい場所を世界中の人々が確保できる環境が色んな場所で出来れば良いなと感じました」(S.O.)
「JICAはSDGsの達成に向けた取り組みにも力を入れていることがわかりました。中でも、母子手帳を34カ国・地域に900万冊配ったという取り組みが印象に残りました。私たちはもともと母子手帳があり、それを持っていることは当たり前だと感じていました。なので、母子手帳は海外でなぜ重要なものなのかと疑問に感じていました。しかし、情勢が不安定な地域では、ある日突然分離壁や検問所ができて、いつも通っていた病院に行くことができなくなり、違う病院を探さなければならないことがあります。そんな時、初めて会う医師にこれまでの経過を伝える術を持たない彼らは、適切な処置を受けられず、中には対応が間に合わずに最悪の事態に至ってしまう場合もある。そのため、やむをえず難民として生活の場所を変更しなければいけなくても、母子手帳があれば、母子の健康状態を継続して見守ることができます。したがって、彼らにとって母子手帳はまさに命のパスポートであると思いました。母子手帳が国を超えて利用され、妊娠や出産、育児の環境が大きく改善できたことは非常に良い取り組みだと思います。日本では当たり前にある物が海外では当たり前でなく、それがとても必要だったりする。そうした、些細なものの重要さに気づくきっかけにもなりました」(Y.I.)

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「実際に展示されている数々の資料を見て、事前学習では感じられなかった日本人の海外移住の歴史や文化を改めて現実に感じました。展示物には年表や写真、映像によって海外移住の歴史が示されていました。戦後から現代まで各時代の歴史が記されていて、思っていた以上の歴史の壮大さに驚きました。また、実際に海外移住者が使っていた生活様式が展示されていました。それらの多くが日本の要素と海外の要素が合わさっており、普段見慣れない文化を不思議に思いました。例えば、ハワイの火山石で作られた石臼やカナダのワイン樽で作られた太鼓などがあり、とても魅力的でした。中には、移住先の土地を利用したコショウや綿花の栽培など、日本人移住者は独自の文化を移住先で形成してきたことが分かりました。こうして築かれた文明は、現代の料理に多く表れていると思いました。館内には食文化も展示されており、スパムなど現在でもポピュラーな文化が見られました。そういった食品は見慣れていたので、唯一親近感が持てました。そして、これらのような展示物を見てみると日系人がどれだけ日本文化を大切にしてきたことが分かりました」(A.S.)
「海外移住資料館の展示の中で、移住した人々の日本人コミュニティの中でも基本的で重要な存在だと紹介されていた「日本人会」というコミュニティの展示が印象に残りました。私は海外に住んでいた事があるのですが、私が海外で暮らしていたときに日本人会を利用していたために、海外移住資料館の資料のうちの一つと自分の記憶が重なることがあるのかと驚きました。私が住んでいた国は資料館の移住者が移住した南北アメリカではないのですが、私が利用していた日本人会もその地に住んでいる日本人のためのコミュニティだったので、資料館の資料の時代も私が利用していた時代も日本人会の大まかな機能や目的は変わっていないように感じられました。
 ただ、資料館で紹介されていた当時のアメリカの日本人会は「『国家的』な意義があるとされることを、コミュニティを代表する広範囲の日本人の参加を得るために日本人会で行った」というように説明されており、国家という意識が日本人会にあるという点では、私が利用していた日本人会からはあまり感じ取られなかったように思います。
 また日本人会と同様に、日本人学校も私が外国に住んでいたときに通っていた学校だったので日本人学校の説明にも驚きました。
 これまで南北アメリカに移住した人々のことを単なる日本史の一つの出来事としか捉えていませんでしたが、私が外国に住んでいた時に暮らしの一部となっていた日本人コミュニティも元をたどればそこの国に住み始めた日本人の人々の努力によって形成されたものなのだと再認識し、南北アメリカへの日本人の移住も他人事では無いように感じました。先に移住した人々による日本人コミュニティ創成へのありがたみを再確認しました」(H.M.)
「海外移住資料館には名簿、身分証明書、新聞などの当時の社会制度を示すものや野球道具、農機具、日用品などの生活様式を示す様々なものが展示されていました。これらの資料を見て、私は「彼ら」が異国で暮らすことの大変さを感じました。私も中国出身で、小学生の頃に日本に移住したので「彼ら」の気持ちに共感できます。私が日本に移住して、最初に困ったことは食でした。異国の地では自分の国と同じ食材を手に入らないため、今までの食生活を保つことは難しいです。日本に移住する前は外国の文化を適応する中で食の文化の受容も絶対に必要だと思っていました。しかし、最初の頃は日本の料理(食材)を全然食べられなかったです。その中、私の親は私のために生鮮野菜を栽培することにしました。おそらく私の親のようにあらゆる方法を使って、移住者は海外に慣れるようにしていると考えました。」(S.A)

この日は晴天に恵まれ、見学を終えた後、3FにあるPort Terrace Cafeで、ネパールなど各国の料理をお昼に食べた学生も多くいました。このように現場の感覚を体験できるような授業を、これからも企画できればと思います。

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