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☆うつぬけ日記056☆

*家族の絆

今年の四月、私は仕事上で完全に追い込まれていた。

入社時の説明と違う部署へ配属された先で、毎日二時間のサービス残業を強いられ、心身ともにガタガタになっていた。

その仕事に就くべくして他県から引越しまでしたというのに、不慣れな仕事に懸命に取り組んでいるのに、会社からのかながわ君の評価は低いと、あるとき上司から知らされた。

上司に配置換えを直訴するも、相手にしてもらえず、先輩のひとりからはパワハラまがいの指導を受けた。

そして、その日の朝、アラームが鳴っているのに、仕事に行かなくちゃならないのに、カラダが動かず起き上がれなくなったおれは会社を休んだ。

助けを求められる人もいなかったので、母にFACETIMEでテレビ電話を掛けて、相談に乗ってもらった。

すると母に強い口調で「今から家に帰って来なさい!」と言われた。身動きの取れる状態じゃないと伝えたが、それでも母は譲らなかった。おれは実家に這い出るようにして戻った。

荷造りもろくにできず、着の身着のままといった風に。

電車を乗り継ぎ二時間以上掛けて実家のある最寄り駅に着くと、父がクルマで迎えに来てくれていて「お母さんから聴いてるけど、大変だったな、大丈夫か?」と言ってくれた。

家に帰ると、母がお茶を淹れてくれながら、今からクリニックへ行ってきなさいと言った。

母はおれが中学生の頃から長らく体調を崩しており、掛かりつけのクリニックがあることは知っていた。

すでに電話予約してくれていたらしく、一息入れた後、おれは父とクリニックへ向かった。そして主治医から「中程度の鬱病です」と言われたのだった。

自立と自律の意味を込めて、必至の思いで他県へ転職したというのに、不当に扱われて、不満が爆発するよりも先にカラダとココロが参ってしまったのだった。

主治医も両親も、仕事を辞めて実家で療養するよう勧めた。おれは複雑な心境だったが、これ以上働いていると自殺してしまうのではないかと思い、荷物をまとめて実家に出戻りさせてもらうことにした。

衰弱していながらの引越し作業はかなり辛かった。が、実家に戻れることが救いとなって、何とか片をつけた。

実家に戻ってからも両親はおれをよく気遣ってくれている。それが本当に有難い。本当に有難いのだ。

母が体調を崩している間、おれと父とで母を長年支えて来た実績が三人の中で絆として存在しており、おれの今回の急な帰省にも暖かく迎えてくれていて、体調の好不調にも理解を示してくれている。

いま、こうして療養できているのも、すべては両親の懐の深さと三人の絆によるものだと思っており、日々感謝感謝の毎日である。


以上です。閲覧ありがとうございました。

かながわ

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