繋がりを感じる
ずっとこうなったら大変だよと
言い続けてきた憲法改正による「緊急時代条項の追加」
それよりも大きな効力を持つかもしれない
WHOのパンデミック条約
反対の声を上げるなら、今月いっぱいがリミット
こんな動きの中にあっても
思った以上にこのことを知らない人の方が多い
2011年以降、情報開示されないことが多く
届かないということもあるけれど
これまで大きく動いていた人たちも
このことについて触れているのを見かけなくなった
無関心って悪いことなのか
無関心でいられても、無関係ではないから
いつまでそれを続けるの?とか
選挙に行けなければ!!と
外で起こっていることに目を向けないことを
無関心だとして啓発するような動きが
ここ何年か多かったように感じている
だけど、なんだか最近ちょっと視点が変わったというか
関心を持つことがいいではなく
そこに自分の意志とか、生き方が確立した上でないと
どうもおかしな方向に行くなと感じている
自分の身に迫られないと動けない
銃口を突きつけられて初めて
自分ごととなるのは遅いから
遠くで起こっていることも自分ごとのように考えて
動き始めようよ!というようなよくある話ではあるけれど
ほんとに何にも関心を持っていなくて
自分すらどうでもよくてみたいな人は違いますけれど
自分の手が届く、今、目に入っているモノ、人を
ただただ大事にしている、半径5メートルの幸せを
大切に守っているだけなのではないかと思うのです
昔から伝わってきた、おとぎ話や童話も含め、
口伝として伝わってきたものには
教訓が散りまめられているし
八百万の神を信じている日本人は
すべてがつながっていることも
目には見えなくても存在するものに対して
畏敬の念を抱いていましたよね
自分に関心を持っていたら
自分が身につけるもの、口にするもの
全てに関心を持っているだろうし
それら全てをありがたいと思っているはず
そうしたら、それだけで
目の前にいない人であっても
そこに思いを馳せたり、祈りを捧げることは
当然のようにしているのかなと
そうやって、生きている人たちは
一番豊かで、幸せなのかもと
畑で柚子をとっているご夫婦や
道路の脇で手押し車に座って話しているご近所の方と
話していて感じたこと
知って対策しないと行けないことも
もちろんある
昔みたいに、田舎だけでどうにかなる暮らしから
地元の八百屋さんや魚屋さん、郵便局までなくなり
バスや車で街に出ないと生活に必要なものが揃わないということも
増えてきているのも事実
石油が届かなくなったら
頼んで翌日には届くなんてことも無くなるし
自分で行くことすらできなくなるかもしれなのだから
急にそうなっても、そういう人たちは
なんとかなるような暮らしをしているのかもしれないけれど
一番苦しくなって困るのは
情報の海に溺れちゃって
自分のことも、目の前のことも大事にできていなくて
対策をすることが目的になっている人たちなのかもしれないですね
一見、無関心すぎて、悪いように思われている人たちの方が
実はめちゃくちゃ人生に関心をもって生きていたということなのかも
半径5メートルの幸せという言葉と
自分以外の大切な人たちが
存在しているというだけでありがたいという言葉が
ちょっとだけわかったような気がした最近の出来事
わたしはまだまだ、自分にも無関心なのかもしれないな
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