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ぐるぐる

意識しないとあっという間に時間も月日も過ぎていくので。

日々タスクに追われたり、ボーっとしたり気が付いたら月末で、月単位で何か大きく変わるわけではないけど、なんとなくの目安で月の終わりにその月を振り返る時間を作っている。5月を振り返ってみると、現実と頭の中と夢の中がぐるぐるしていたような、うまく整理するのが難しいと感じる時間がいつもに増してとても多かった。

ぐるぐるに対する自分なりの解釈は、答えが半分見えてきていて、でも受け入れるのが怖かったり、他の可能性を探ってみようとしていたりして、答えを出すのにあらゆるパターンを想定してみたりしたからだなと思っている。

冷静になると、自分でも驚くほどドライで結果重視になる。緊張感を与えるのも嫌だけど、いつの間にかそうなってる事もあるし、立場上仕方ないと思う反面、これってどうなんだろうと不安にかられる妙な葛藤があった。それは今もまだ確かな手応えはないし、自分を見失わないようにするのに必死で早く自分をきちんと確立できたら良いのにと焦っていた。
頑張ってきたんだと誰よりも自分のことを認めたいのに、ここでずっともがいているような感じで、ほんとに少ーしずつしか前進できなかった。

一方でとにかく入る余裕があるだけのたくさんの情報を頭に入れながらそんなことをぐるぐる考えていたら、ふと答えがでたものもあった。答えを探していたわけではなかったのに、気付いちゃったという感覚。
失うことの悲しみの大きさに気付いて、ずっとほしいと思っていたものを、今手に入れることが急に怖くなった。この怖さとは、手に入れたい一択だったはずの中に手に入れないという選択肢も加わることになるのを自覚してしまったこと。周りの期待に応えたいとか、世間体とか、思い込みとかそういうのに紛れてその意識から目を背けてたんだなーと。
想像していた幸せは理想にすぎず、手に入れる前に手離すべきなのではと思ってみたり。
本当は分かっていて、無意識に自分から仕掛けて、やっぱりそうかって深く落ち込む前に予防線を張っていたんだなとか。

そんなことをぐるぐる考えてたら(考えるというより妄想の方が合ってるかも)31を目前に価値観変わってるじゃん!ってなってしまった。変わったのではなく思考の棚卸をしていたら露になっただけで、大げさに言うとネクストステージって感じ。


シンプルに今の自分好きだなって思えたら、たいていのことは乗り越えられる。なんにせよ、大切な人や大好きな人が取った言動には、良い悪いもなくて、その人だからこそ推せるわけで、それが自分の場合であっても同じで。


自分の事を好きだなって思うこと。←けっこう簡単な気付きだけど、ずっと見えてなくてつまづいていた。認めようとか受け入れようとか思ってたから難しかったし、自己肯定ってハードルがたかーって思ってたけど、シンプルに「好き」とか「いい感じじゃん」って思うだけで今は充分だなと思っている。


かなり迷走していたけど、(いつもだけど)気付きもあったおかげで、後半はまあまあ大きく一歩進んだ5月だった。


突然、惑星ループにハマってBGMにずっと聴いていた。なぜかすごく心地良くて5月は惑星ループがテーマ曲みたいになって、おもしろかった。


相変わらずおセンチな内容で、最後は急に小学生の感想みたいな締めになったけど、今月のふりかえりも終わり。

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