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過去の答え合わせ

最近思う事の1つに、過去の自分の行動について、違う道を選んでいたらどうなっていただろうというのがあります。ちょうど1年前に事業がスタートして、あっという間だった様な、ここまで来るのにすごーく長くかかった様な不思議な気分です。

もし○○だったらを考えるのはキリがないし、結果的に今があるわけだから、今頑張れることを頑張るだけだなというのは頭ではわかっているのです。わかっているけど、時々考えてしまうのは、自分に対する期待が大きいのかなと最近は思ったりします。

過去の積み重ねで今があるけれど、決めたことや心に誓ったことが出来ていなかったり、もう忘れていたり、そのことに気付いた時に「あれ?なにやってたんだろう」って自分に対してがっかりしてしまいます。日々の小さなTO DOリストや大きな目標も含めて。

忘れるくらい忙しかったり、重要度が変わったり、それ以上の楽しみを見つけたり。過去を認めたり受け入れるのは今で、今を評価するのは未来の自分なんだなと思うと、今迷ったり、がっかりしたり、不安に思う事の大半は考えても仕方がないだなと思います。

過去の自分を責めても今が変わるわけではないし、事実は変わらないけど、捉え方や受け止め方はいくらでも変えられます。都合の良いように解釈するのではなく、認める事でまた新たに生まれる責任や覚悟がきっとあって、そうやって軌道修正しながら楽しく過ごせる自分でありたいなと思います。

よく”神様はその人に乗り越えられない試練を与えない"というのを、ピンチや壁にぶつかった時に慰めのような言葉で耳にします。(色んな言い回しはありますが)この場合、試練やピンチを乗り越える事にフォーカスされがちだけど、試練を乗り越えた先に違う世界が待ってるよという解釈が好きです。乗り越える前と後では見える景色が変わって、その景色を見れることこそがその試練を乗り越える意味なんだなとこの1年痛感しています。

たくさんの情報や世間体や他人軸に、錯綜されて自分らしさを見失わない様に、自分軸の幸せを意識することを心掛けたいです。その幸せの感じ方も少しずつ変化していくだろうし、変化を受け入れつつどんな選択をしても未来の自分に認めてもらえるような今を過ごしていきたいです。

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