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ダイヤのココロ still in my mind

なんなんだ、この向こうっ気の強い女の子は...笑

そこそこに人生を歩んでくると、しばし立ち止まってタバコとアイスティーしながら振り返りそして噛み締めたくなる時がありませんか。私ならあります。もう泣かないで、まだ歩けるはずよと自分に言い聞かせるように歌いながら、ここまで歩んでこれた自分を抱きしめたくなる時。それはきっと、過去に犯した過ちも、脳細胞が痺れるような悦びも、誰かを傷つけそして傷つけられたことも、笑って泣いて光と陰。イエス、ザッツマイ  ”ラブ・ライフ”を、イノセントな心で受け止めるということ。ここに立つそのヨロコビに包まれて、ナミダがこぼれるそんな、私の今日はサニーデイ。


speenaだった私の歌う、”18の冬”。高校3年生の秋、進路どうするかなって悩んでた。そこそこ勉強はできた。でも何になりたいのだ?それを見つけるためにも大学へ。ほんとにそうなのか?2年から4年はもってかれるぞ。その先に何もなかった時、何となく流れるままにオフィスなレディになってスーツ着るのか?えっ、この私が?チュチュとか好きなのに?大人の変装するの?コスプレになるんだけど。

ほんとはもう、歌を歌う人になりたくてしかたなくて、でもきっかけがなかったんだ。自らそれを作り出す方法なんて見当もつかなくて。歌なら毎日歌ってた、歌詞のようなものならしょっちゅう書いてた、高校の音楽発表ならドリカムのすき熱唱してた。そんな私をよく知る同級生が、「友達の友達が音楽やってて、今ボーカル探してるみたいなんだけど会ってみる?」って言ってくれて会ったのが、私がspeenaになる前の ”Rubii” のメンバー。

私の地元は藤沢、湘南ガール。彼らは横浜、浜っ子ボーイズ。とある日の学校帰りに横浜駅でメンバーのギター君と待ち合わせ。たしか向こうの写真をもらっていて、とにかくロン毛の高2ボーイを探した記憶。すぐ見つけた。駅構内の壁にちょん、と寄っかかってる、制服のロン毛(おめめがくりんと可愛い彼が、後のRubiiのギタリスト、妻夫木晋也)。こっちは制服のベリーショート。向こうもすぐ私を見つけた。「あ、どうもー笑」みたいな感じでペコってしたあとすぐに、”もうひとりのメンバー” のもとへ案内される。家の自分の部屋をスタジオみたいに改装してるそうな彼が、部屋に入ってきた私に「どうもー」と言うか言わないかもうほぼ開口一番的なスピード感で言った名言。

「俺たちプロになるんで、趣味のアマチュアじゃないんで、やる気があれば一緒にやりましょう。」

きっかけキタコレ。渡りに船。せーのでつっこんじゃったもん勝ち。やってコウカイ、やんないでコウカイ、どっちがいーなんてわかるでしょう?うんわかるめっちゃわかる。今がその時でしょう。「もちろん。私でよければ。」なーんて、いいって思うに決まってるけどね、思わせるし。「じゃあ歌聴かせてもらっていいですか、そこにマイクあるんで録りますね。」この、目の前に立つ制服のミニのスカートに一ミリの興味も示さず、歌聴かせろや話はそれからだって音楽バカが、後のRubiiの作曲・プログラミングの鈴木大輔。「はい、ガイドメロディオフってもらっていいですか?邪魔なんで。」この、のっけからクッソ生意気な向こうっ気200ぱーの女子高生が、後のRubiiの作詞・ボーカルの小林加奈子。この夜が、Rubii3人の始まりだったそれは、ワンダーなトリップの始まり。

世界に挑戦するために、日々3人で音楽を創っていたらもう、進路ってなんだっけ?これじゃんね、進路すなわち私の人生、学生時代が終わりこの手で稼いで生きてゆく、社会という名の大海原へ飛び出す私の戦闘服は、やっぱりスーツじゃなくってチュチュだったんだわ。私は歌を歌う人になる、そう打ち明けた私を一笑に付した父も、熱意の塊便箋3枚に渡るラブレターで説き伏せ、上京資金を貯めるためのバイト地獄に突っ込んでいったは、18の冬。ゆずれないものを、ゆずらない、と決めた冬の日。


だめだ、1回でまとまるかなと思ったけど全然序章で終わるや。でもいいね、せっかくだからじっくりゆっくり書いてくよ。だってさっき20年ぶりくらいにものすごい真剣にアーティストの耳でもってRubii聴いたらね、1曲1曲に思い出がとめどなく溢れ出てくるの、ちょっと待ってよって、笑っちゃうくらい。だから次回はRubiiな全曲レビュー&思い出話をやりたいわ。だってね、やばい、いい曲結構あるんだよね。ダイヤのココロはとりあえず、今の私には一番ビリっときたわ。あ、でもここにいることもよかったな、なんかもー、ダメみたいもよかった、うんやめる。もう今日はやめるよ。

読んでくれてありがとう。好き。





















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