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取り残されたふたり

正月に休みを3日間もらえたので一泊二日で茨城の実家に帰って、更に一泊二日で小中学時代の同級生の家に遊びに行ってきた。
12月は繁忙期で怒涛の年越し。やっと全てを収めて元日は実家でゆっくり過ごさせてもらった。別に豪華ではないんだけど、父が畑で作った里芋の煮物とか母の作ったキッシュとかが美味しくて、あんまり興味のない駅伝をなんとなく眺めてボケっと過ごした。

そして旧友との飲みである。この旧友が最近酔うたんびに電話をかけてくるようになった。荒れてるなと思うと同時に、もう遊んでくれる人もいないのかなと心配になった。
腐れ縁で小学校は同じ、中学では同じ部活だった。更に大学に進学して私は派遣のバイトをしていたんだけども、私はこんなんだから派遣会社の社長に面白がられて六本木の事務所で内勤のバイトも掛け持ちしていた。そこに入社してきたのが大学を辞めたばかりの彼だった。茨城の片田舎の同級生が六本木で再開する奇跡よ。

彼は小中時代は利発だった。駆け足が学年で一番早く、勉強もそこそこできた。日東駒専の附属高校に入り、内部進学をして卒業するはずだったが、大学にはあまり通わずに単位が取れず退学したらしい。よくある話だ。彼の姉の友人がその派遣会社の社員だったので紹介で入社した。
SEとウェブデザインを勉強しているとのことで社長はそれらしい仕事を彼に与えた。私も大学に通いながら派遣スタッフの勤務時間を集計したり、電話の問い合わせ対応をこなしたり、雑用などをこなしていたが、まあ勤務時間の長いことよ。ワイワイと楽しく働いてはいたが、一年位して旧友は辞表を置いて会社を辞めてしまった。よく寝坊していて詰められているのを見ていたから気持ちはわからなくもなかった。

会社を辞めてからも彼からはちょいちょいと連絡が来て飲みに行くことがあった。私も大学を卒業してからも茨城に住みながら葛飾で働いていたし、彼は茨城の工場で社員として働いていたから会うのはとても簡単だった。地元の共通の友達の家に呼ばれることもあればどこかに遊びに行くこともあった。しかし私も10年前から千住に住み、ここ5年は前職の忙しさからたまに連絡は取っても全く会えてなかった。彼もまた、転職をして茨城の別のエリアで一人暮らしを始めていて、帰省のついでに気軽に行ける距離でもなくなっていた。

久しぶりの再開。実家の近所まで車で迎えにきてもらう。昔はカレンに乗っていた彼は中古の軽に乗ってきた。お互いもう40だ。若さはないし、疲れも顔に出る。おまけに彼はあまり身なりを気遣わないタイプ。知らない間にお互い老け込んでいた。
近況を聞くと工場夜勤の非正規雇用で彼は働いていた。さぞかし給料も良いかと思いきや、時給は1650円。7時間働いても11550円。土日は休みなので週に57750円。月給換算で23万。手取りになれば20万切るだろうし、ボーナスもない。そこから家賃を捻出するのは大変だろうなと思ったけど、そこで彼が選んだのは常磐線沿いの、あるエリアだった。
電車も通っていて、街の規模は決して小さくはない。高校もいくつかあるくらいだが、茨城の再開発ラッシュに取り残されたベッドタウンは今や家賃相場がかなり下がってしまった。駅から遠ければ遠くなる程、家賃は安くなる。駅から2kmほどある彼の住まいも3DKのアパートだが、駐車場がついて3万だという。ならなんとか生活はできるだろう。
さっそく上がらせてもらったが、トイレも風呂も別。一階だが日当たりも悪くない。千住のうちの1kアパートよりもよっぽど快適に過ごせそうだった。

それでも金がないと酒を飲みながらうだうだ彼が言うものだから「何に使ってるの?ギャンブル?風俗?」と聞いたら「税金が高い」という。まあわからなくもない、と同意してしまう私も私だが、私たちはしっかり40代弱者男性になってしまった。ゲームをするでもない、映画も見ない、、酒ばかり飲んでるから金もない。そんな男に寄り付く女もいないだろうなと思ったが失礼だなと思って言わなかった。彼は紅白にハイスタの難波が出ていたことを嬉しそうに話していて、私はあまり興味はなかったけど、うんうん頷いて聞いていた。
周りの同級生はもう既に家庭を持っていて、家を買ったり建てたりしている人もいると聞く。会っても話が合わないそう。紅白にハイスタの難波が出ていても誰も喜ばない。
中学時代の感覚でプラプラしていて、酒ばっかり飲んでいたら私たちだけいつの間にか取り残されてしまった。

「帰省はしてるの?」とふと聞いてみた。エリート街道を歩む父親と反りが合わないことは知っていた。
「会うたびに『お前、今幸せか?』って聞いてくる」と彼は嫌そうに言った。「相変わらずおっかないね、おたくのお父さんは」と思わず笑って言ってしまった。答え合わせを求めないでくれ。そんな父親に育てられたら反動でこうなるだろうなとなんとなく思ってしまった。

どうしてこうなってしまったんだろうなという空気が漂う落伍者の宴。どこか人生に対して諦めている。要領が悪い。
でも悪くはないとは思う。楽に暮らせるだけの金は欲しいが、無理してまで働きたくはない。結婚することだけが、家庭を持つことだけが幸せだとは思わない。そして彼もそれは望んではいない。

酒を飲みながらあーでもないこーでもないと話していたらいつの間にか二人とも寝ていた。目を覚ますとすでに彼はまた日本酒を水のように飲んでいて「アル中やべえな」と二日酔いの頭でぼんやり思った。
帰りは車で送ってもらうわけにもいかなかったので駅まで2kmの道のりを歩いて帰った。国道沿いを歩いていたらスーパーやショッピングモールもそこそこ並んでいて、住んだら住んだで悪くない街なんだろうなあと思った。でも私は千住に戻らないといけない。千住は良い街だ。居酒屋が沢山あって、いつも誰かしらに会える。寂しくない。
正月休みがひと段落したら彼は夜勤明けに一人で酒を飲むんだろうなと思ったら切なくなった。また遊びに行こう。昔話をしてゲラゲラ笑い合おう。

駅までの知らない道はなかなか遠くて、色々考え事をしていたら「お前、今幸せか?」という彼のお父さんの言葉を何度も思い出した。
幸せだと言えば幸せな気もするし、不幸せだと思えば不幸せな気もする。私にはよくわからない。

でも皆とお酒を飲んでいる時は幸せだ。私はそのほんの少しの幸せを味わいに今日も小銭を握りしめて飲み屋に行くのだ。

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