年寄りの年賀状奮闘記

久しぶりに帰省した。気が付けば親も高齢者と呼ばれる年齢になり、小まめに実家に帰ってくるようにしているんだけど、仕事が立て込んでてしばらく帰れていなかった。

私の親だからやっぱり癖は強い。今日も犬に向かって父親が「飯食ったか、野郎」って言ってて、こんなに悪意もなく自然に「野郎」って言葉をつかえるのすごいなって感心してしまった。
母は母で過干渉で外面が良くて見栄っ張りで大変だった。子供のころから勉強しろ勉強しろと口うるさく言われた。そして口うるさく言われすぎた反動で私はこうなってしまった。

苦々しい想い出もあるが、経済的に余裕があって教育には惜しみなくお金を出してくれたので感謝している部分も多い。帰ったら帰ったで美味しい飯は出してくれる、土産は持たせてくれるなど、良いこともある。ブランド物に興味も縁もない自分がこの時期にはグッチのマフラーを巻いているのだけど。それも親のイタリア土産だった。母は今回もユニクロの服を着ていた自分も眺めて「そんな乞食も着ないような小汚い服着て」と言った。小言も多いが多少目をつむるしかない。

それで今回は親が「年賀状を出したい」と言い出したので大変だった。最近は年寄りがスマホを持つようになったんだけど、うちの親も例外ではない。去年からスイスの山だとか旅行先でスマホやデジカメで撮った写真を取り入れて年賀状を作るようになった。

まあ、そんなわけで親と同行して写真屋に行ってきたんだけど、凄く混んでいてびっくりした。斜陽産業と言われていた写真屋だけど、こうやって稼いでるのかと感動するほどだった。何組もの中高年の夫婦が専用PCと向かい合いながら必死に操作している。デザインのテンプレートが数十種類用意してあり、あて名入力まで全部できる専用アプリ。

店頭では年賀状のデザインテンプレートのカタログを配布しており、うちの親もそれを見て目星をつけ、写真を選んできた。スマホから1枚、デジカメのSDカードから1枚。2枚の写真を組み合わせると言う。東尋坊かどこかの日の出の写真だった。

他の客と同じようにモニターに向かう、のは自分の役目。キーボードがなく、タッチパネルでの操作だ。こんなの年寄りには無理だろうなと思った。

親はケータイを機械につなげば写真をそのまま吸い込んでくれると思っていて、実際にそのサービスもあったんだけど、使っているのが古いiphone SEだからなのか、PCのソフトが強制終了になってしまう。何度やってもだめなのだ。見かねた店員が「アプリを経由すれば(端末に)送れますよ」なんてアドバイスをくれたけど、こっちは年寄りだ。指紋認証の登録もしてなければアップルストアの暗証番号さえ覚えてない。見る見るうちに短気な父親の機嫌が悪くなってくる。

ショッピングモールに行くたびにそれぞれのお店で「アプリ登録はしていますか?」と確認される。そのたびに親は苦笑しながら断っている。アプリをインストールして住所や名前を登録して、なんて作業は60代後半の親にとっては重労働だ。どうしてもその作業が必要な時にはもれなく自分か弟が召喚される。親がGO TOを使って旅行に行くと話していた時も電子クーポン使いこなせるかと心配していた。たぶん無理だろう。
世の中は私たちが思っている以上にずっと不親切だ。この世の中で一番金を持ってる層は間違いなく(一部の)高齢者だと思うんだけど、それをないがしろにしている気がする。

「一回うちに帰ろうよ。PCにメールで写真送って、CDに移して持ってこよう」と促すが、こっちもいらだちが募り、語気が強くなってしまう。きちんと事前に教えてくれたら色々手配したのに。試しにSDカードから写真を選ぼうとしても普段からSDの整理なんてしないから中々目当ての写真が出てこない。準備が悪すぎたのだ。どうしようもなくなって、親がSDカードからもう1枚を選ぶことになった。少し安心した。これで帰らなくて済む。

SDカードから写真を読み取り、だっさいデザインのテンプレートに当てはめる。これだったら市販の年賀状ソフトのテンプレートの方がマシだと思う。デザイナーが下請けで「こんなもんでいいっしょ」と作ったのが容易に想像できる。

送り主の住所や名前を入力していたら母が父との連名はいやだとごねだした。古い友人には個人名で送りたいと言う。別にいいけど、別口でもう一回作ることになるからお金も時間もかかるよと言ったら「もう帰りたいからいい」としぶしぶ納得していたが、そのやり取りすら面倒くさい。

その後はあて先の入力なんだけど、こっちは前回入力した際に有料サービスでCDに保存をしていたので助かった、はずだった。
「~~さんは死んだから奥さんの名前に変えて」
「~~さんは奥さんが死んで喪中だから送れない」
やっぱり注文が多い。しかも死んだ死なないの重い話をさらっとしてくる。それを聞きながら名前と顔が一致しない遠縁の親戚が亡くなったことを初めて知る。しかもその編集したあて先の保存も有料になるという。写真屋この野郎、とも思わなくもなかったが、これが資本主義というものだ。親に確認したら「また死ぬ人も出てくるから保存しなくていい」と言った。年寄りは生存確認のために年賀状を送りあうのかもしれない。

全ての工程が終わり、打ち出されたレシートを親がレジに持っていく。50枚の年賀状の印刷で1万円かかった。はがきが3000円だとして印刷代が7000円。高いなあと思う。自分でやれば全部タダなのに。でも今更年賀状ソフトにあて名を入力して、一枚一枚印刷して、という行程はとてもこなせない。年寄りにとっては助かるんだろうなと思った。

「ああ、年賀状が終わった、これでようやく新年が迎えられる」と母はすっきりした表情で言った。あれこれ指示された通りに動いただけなのにとても疲れた。
人はなぜこんな面倒な作業を毎年繰り返すんだろう。私はもう10年以上誰とも年賀状のやりとりをしていない。会社でも社内で年賀状をやりとりをする習慣もないし、前職のころから新年の挨拶もラインで済ませてきた。もう誰も私の住所を知らない。

今回はお土産としてあるブランドのビジネスバッグを持たせてくれた。近所のショッピングモールでセールをしていたので買ったらしい。いい歳して親の脛をかじるのもどうかと思ったが今回の報酬だと思うことにした。だって今日本で一番お金を持っている層は高齢者なのだから。

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