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縄文時代に憧れて

子どもの頃、原始人、縄文時代にやたら憧れていたことがある。そんなこと、もうすっかり忘れていたけれど、子どもの頃と同じ髪型にしたせいか(笑)最近、ふと思い出した。そして、今もその根本にある思いは変わってないように感じている。

何にそんなに憧れていたのか…おそらく、自然と人間が一体となっている感じに憧れがあったのだと思う。自然の一部としての人間。

人工と自然は対義語とされているけれど、そもそも人間も自然の一部であるならば、人工的に作られたものでさえ、自然に内包されているはず。人工と自然を対義語とするなんて、ちょっとおこがましいよね。なんて思っていた。

でもそんなこと言ってられないくらい、対義語として確かに成立してしまうくらい、人工的に作られたものが、環境を、自然を、破壊しているのはどうやら紛れもない事実。大きなものでいうと、原子力発電とか?身近なものでいうと、プラスチックとか?

私は勉強不足で、環境問題について熱く語ることはできないし、そもそも今の生活自体、全くもってエコではない。エアコンだってバンバン使うし、水もジャージャー流すし、身の回りはプラスチックで溢れている。

対照的に世の中には、超エコな暮らしをしている方や、脱プラされている方がたくさんいて、環境問題について使命感をもって活動されている方もたくさんいる。

そんな方たちを前に、私はなんてダメなんだ…と思う時もあったけれど(そしてこれからも多分あるけれど)そうではなく、今、できていることを認めよう。

最近急に、エシカルやサステナブルというワードが至るところに掲げてあって、心惹かれている。それは多分子どもの頃の私がそう在りたいと感じていた、「自然の一部としての人間の姿」に少しは近づけるからだと思う。

だからと言って、なんでもいいかというとそうでもない。一時、お金もかからないし、エコだし、と思って「肌断食」なるものにチャレンジしたけど、えらい目にあった。

今すぐ、縄文人と同じ生活ができる訳じゃないし。自分を満たすことも必要。おいしいものだって食べたいし、肌の手入れだってしたい、電化製品は手放せない!

現代人としての生活を送りつつ、少しずつでも自然に近い暮らしがしたい、そう在りたいと思っている、自分をまず認めよう。

自分を満たしつつ、環境のためになること、そう思えるものをこれからぼちぼちアップしていきたいと思っている。

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