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小さな種を撒こう

昨日と今日は、
とある学校でのいのちの授業だった。

この学校でのいのちの授業は今回で2回目。
昨年度は、3、4年生を担当させていただき、
今年度はありがたいことに全学年を担当することに。

私は、「いのちのはなし」というネーミングの性教育のお話会を
月に1度しているのだけど、

何度やっても、やっぱりお話会の前は色々と不安になる。

学校での「授業」となると、尚のこと。

前日はそわそわして、なかなか寝付けず、
しまいには、教室に辿り着けず、
なぜか大学の単位もとれないという恐ろしい夢をみた。

あぁ、私はなんて肝が小さいのだろうと、更に不安になる。

始めてのこと、始めての場所、久しぶりのことの前日は、
残念だけど、こういうことが珍しくない。

だけど、
こんな肝の小さい私だけど、クラスが始まるとスイッチが入って、
とっても楽しくなる。

学校での久しぶりのいのちの授業は、
やっぱりめちゃくちゃ楽しかった。

私のお話会と授業は、いつも参加型。
投げるばかりの授業では、「主体性」は生まれない。
そもそも、いのちの授業に関しては大人が答えを持っている訳でもない。

だから、
子どもたち考えてもらい、発表してもらうということを大切にしている。

そもそも、聞くばっかりって、飽きちゃうしね!

そして、
この学校ではこの私のスタイルの授業を
自由にさせていただけることが
本当にありがたい!

初めて私の授業を受ける子どもたちは、
頭が疲れる程一生懸命考えて、発表してくれて、
(実際に授業が終わった後に「あぁ〜頭が疲れたー!」というお言葉をいただきました。)

2度目の子どもたちは、
昨年度伝えたことを、思った以上に覚えていてくれて、
昨年撒いた小さな種が、しっかりと芽を出しているようだった。

これは、私にとって嬉しい誤算でした。
続けて関わることができるって、こんなに嬉しいんだねって。


制限ある1度の授業の中で、
伝えることができるのは、本当に少しだけ。

けど、
その小さなきっかけの種がどう成長するかは、
その種の扱い方次第。

種のまま眠り続けることもあると思うし、
知らない間に、芽を出していることもある。
見えないところで、根を張ることだってある。

水をあげること、
太陽の光を浴びせること、
過度な雨風からは守ってあげることも必要。
そして、
元気がない時には肥料が手助けをしてくれるかも知れない。

種の成長のためには、
種だけが頑張るだけではどうにもならなくて、
たくさんの力が必要だよね。

来年度、
私が撒いた小さな種が、
どんな風になっているかみることができたら嬉しいな。

すくすくと成長していきますように!

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