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東京という名のリアルな世界

1週間ぶりにおりたった東京駅の、ホーム上アナウンスの音量の大きさに驚いて、一瞬足が止まる。

驚いたあと、「あぁでもこの喧騒の中だと、これぐらいの音量じゃないと聴こえないよな」なんて思って、大きなスーツケースをガラガラと引きながら、ホームの端ー東京駅から地元の駅に向かう電車に乗る時の定位置があるーまで歩いて行く。

ざわざわとした人の声、鳴り止まない電車の発車音と停車音、機械っぽさを感じるアナウンスの声、足音。

そんな耳から入ってくる情報と、目に入ってくる人の多さや夜の明るさに、どことなく安心感を覚える自分は、生粋の東京人なのだろうなぁ…とそんなことを思ったりする。

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10/16から約1週間、人生初の九州旅に出ていた。

福岡・博多から九州に入り、熊本、宮崎、大分と周り、最後に陸路で鳥取まで。我ながら、ずいぶん欲張った旅笑。

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生まれて初めて訪れた九州は、自分が想像していたよりもずっと都会で、特に博多の街はその都会っぷりに目をみはった。

今年7月に、これまた人生初の四国上陸を果たしたのだけど、四国はいい意味でも悪い意味でもとてものどかで自然豊かな、私の想像していたthe地方で。その名残で、なんとなく九州にも同じようなイメージを抱いていた。

いやはや、反省。
これだから旅はしないとダメだ。

博多滞在2日目に見た博多駅はとにかく大きくて、博多駅直結の駅ビルも大きい大きい。駅の周りは飲み屋やホテルがたくさんあって、人通りも多い。市内は交通網も整備されているので移動は楽だし、なんならどこもかしこも徒歩で移動できるコンパクトさもいい。

「ここなら住めるわ」

なんて、ふと思った。

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関東圏以外の友人たち曰く、東京は

「なんでもありすぎて、選ぶことに疲れる。」

のだそうだ。確かに、選ぶ、って多かれ少なかれエネルギーを消費する。それは、東京に生まれて東京で育ち、東京に住んで30年以上の私にもわかる。

でも、私にとっては、その「なんでもある」という状況が当たり前で、その中で生活していくことに対して疲れやストレスを感じることはなかった(なかった、と思っているだけかもしれない)むしろ、私は飽き性なので、その日その日の気分で働く場所や休憩をする場所、ちょっとぶらぶらしに行く場所を変えるだけの選択肢があることは、ありがたいことだと思っていた。

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九州旅4日目。
友人に車を出してもらって、熊本から宮崎県の高千穂を訪れた。

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翌日、大分に向かうため、その日の宿は宮崎県北の延岡という街にとっていて、高千穂から延岡まで、路線バスで向かう予定だった。

宮崎交通の出す、その路線バスは1時間に1本。車を出してくれた友人と別れたのは16:40。次のバスは17:30発車。

友人の車を見送って、スーツケースを引っ張りながらバス乗り場まで向かう。どこかで時間を潰そうかと思ったけれど、周辺のお店は全て定休日か17:00閉店。近くにコンビニはなく、たまたま開いていた個人経営のヤマザキストアで暖かい飲み物を買って、バスの待合所に腰をおろす。

しばらくすると、学生服を着た学生さんたちがちらほら。

待合所内にあった「観光案内」と書かれたスペースも17:00にはシャッターが閉まっていく。それを見て「本当に17:30にバスは来るのだろうか。もし来なかったら、高千穂に宿泊?」と不安が湧き出てくる。

それは杞憂に終わり、17:30、無事バスが到着。

目的地の延岡まで約2時間。路線バスに2時間も乗るなんて人生で初めての経験。バスが走る道は街灯も、民家の灯りもなくひたすら真っ暗。その日は月が満ちる数日前で、バスの車窓から見る月はやたら大きく、とても美しかった。

延岡まで向かう途中の停留所で、1人、また1人と学生さんがバスを降り、暗闇の中に消えていく。1時間に1本のバスで、片道1時間半以上かけての通学。

それは私にとっては、小説の中の世界だったもので。
彼らにとってはリアルな世界だった。

*

どれだけ夜がふけても道は明るくて、人がいて、通勤も通学も片道1時間を超えることはまずなくて(なんなら私は通勤通学に30分以上かけたことがない)、時間を潰す場所には困らない、つねにたくさんの選択肢がある場所。

それが東京という街で
それが私にとってのリアルな世界。

同じ世界に住む友人たちの中で、東京を出る、という選択肢をとる友人も最近は増えてきた。それは、素敵な選択だと心底思っている。

なんでもある東京、人の多い東京は疲れる。
それはそうなのかもしれない。

でも、私は、時間を潰す場所も特にない場所で、1時間に1本のバスに乗って、真っ暗闇の中を家路に着く学生たちが感じているかもしれない不便さの方が、受け入れがたいもののように思えてしまう。

東京がいいか
地方がいいか
という話ではない。

どちらをよいと思うかは人それぞれだし、今どう感じているかは置いておいて、実際に住んでみれば人はその環境に適応していく。それは、ボストンに住んだ時に学んだ。

しかし、明るく煌びやかなビルに、チェーンのコーヒーショップがそこかしこにある街、どこでも使える電子決済、人が多くいるからこその喧騒、そういうものにどこか安心感をおぼえる私は、まだしばらくは東京という、今の私にとってのリアルな世界で生きてくのだろう。

東京は
今日も
忙しない。

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