信頼できる人

たくさんの種類の人(年齢、性別、頭の良さ関係なく)に信頼されてる人っていると思うんですけど、彼らはどのようにして信頼を得ているのでしょうか。

まず、「私、頼もしい行動してるでしょ感」MAXで振る舞ったところで本当の意味では信頼されませんよと。そんなんで騙せるのは馬鹿な人の目だけだと思います。結局優秀ではないので「ほんとに信頼できる奴だったらこうするよな?そんなことしないよな?」みたいに思われる行動を取って信頼を失ったり、嫌われるんですよ。

察しのいい人なんかは、「目立ちたいだけじゃん」と見抜くわけです。


非常におこがましい話なんですが、僕は中学生の時、クラスのみんな、そしてまわりの大人(中学の先生、通ってた塾の先生など)から絶大な信頼を得ていましてぇ、


「こいつに任せればなんとかなる」

「あそこには金田がいるから大丈夫だ」


世の大人たちは、僕に対してみんなそう思ってましたと。


中学時代が、僕の中で人生一番大勢の人間から信頼されていた時期なんですけど、


そもそも「信頼されてる」って言っても、いろいろあるじゃないですか。


例えば、「あいつは勉強できるやつだから受験落ちないだろう」

みたいな、勉強できるからそこの信頼が厚いパターン。


「あいつは人前で発言できるやつだから学級委員やらしても大丈夫そうだな」

みたいな、人前に立つ仕事させても大丈夫だという信頼のされ方パターン。


「あいつは真面目な性格だから顧問の俺がいなくても部活しっかりやるだろう」

みたいな、しっかり言うことを聞いてくれるであろう。世話の焼けるような行動は取らないだろうという信頼。



かく言う僕はどんなふうに信頼されてたかと言うと、


「金田がそこにいるのであれば、全ての物事が快方に向かうだろう」


僕の存在自体が全ての現象、事象にプラスの結果をもたらすという、神並みの信頼を得ていたと言っても過言ではないレベルで信頼を得ていましたって話なんですけど。


もうその領域までくると、僕としては地球上に嫌いな奴が一人もいなくなるんですよね。


日本にいる誰よりもポジティブ思考の塊でしたし、僕に変なこと言ってくる奴ひとりもいなかったです。

ここまでくると、もっとすごい人間になってやるという欲が膨らんでくるわけですね。

俺はもっと努力しなければならないし、それができる人間なんだという確信。


ただ、我ながら偉いなと思ったのは、決して周りを見下さなかったことです。


みんなの先を歩く存在だと、ほぼ崇め奉られていたような状況でよく周りを見下さなかったなと。(しかも14、15歳で。)だからこそ信頼を失わずに済んだのかなと。


なぜこんなに絶大な信頼を得ていたのかと真面目に考えてみました。

一言で言ってしまえば、生活態度が真面目で、先生や周りの人に対して距離を取らずにちゃんとコミュニケーションも取ってたからかなという感じですが、「僕のあの行動は間違いなく周りの人からの信頼を得ていた大きい要因だろう」というものがあります。



以前、『ほんとうにかっこいいと思うやつ』というタイトルで記事を書きましたが、→https://note.com/kanadian/n/nbb5316842dac

その話の中で、

「会話に入れてない人に手を差し出してるのが誰にもわからないように、自然にその人を会話の中に溶け込ませられるやつがほんとにかっこいい奴だと思います。」

といったのですが、そう思うきっかけはまさにこの中学時代にあるわけです。

そしてこのきっかけにこそ、僕が信頼を得ていた原因が隠れてると思いました。

僕は中学時代、非常に勉強ができたんですけど、どのくらい勉強ができたかというと、静岡県内で2番目に人口が多い市(富士市)の中で学力が高い中学校1位、2位を争う中学校出身なのですが、その中学でよく学年1位をとっていたくらい勉強ができました。中2の時、静岡県で一番多くの人が受ける県内統一模試で総合点で県3位を取ったこともあります。首都圏の私立中学校と比べると劣るかもしれないですが。


なので自他共に「金田はマジモンの天才」という認識でいる訳です。


僕らの中学はグループ学習を推進している中学でして、先生が授業中に答えを出して欲しいテーマを生徒に与えますと。机を変形させて4人1組の班をそれぞれ作りますと。で一定時間話し合って先生がランダムに生徒を指名して発表してもらいます。一回の授業でそれを何回か繰り返して学習内容を進めてくという感じの授業スタイルでした。


当然ですが、先生は僕含め勉強のできる生徒はほとんど指名してこないんですね。

勉強できるやつはすぐ正解を言えるんで。それじゃあ授業にならんわけです。先生はなるべくクラスみんなが授業を理解できるように、生徒を右往左往させたいわけです。いい意味でね。


だから先生は学力が平均くらいの生徒をよく指名してきます。

ここで、より優秀な人間でありたい僕が注意すべきことが2つあります。


1、僕の班員の誰かが指名された時に、その人が答えられないという状況にならないようにする。


2、先生やみんなが教室を俯瞰した時に「金田の班は議論が活発だ」と思わせる。


なぜこれらを意識しないといけないかと言うと、この2つが出来ないと「勉強はできるけど場は回せなないやつ」になってしまうからです。


以上の2つが出来ないと、「あの班にはなんでもわかってる金田がいるのに、金田は分からない生徒を分らせてあげられないのか。金田は話し合いに積極的にならないのか。」となるわけです。


一応言っておきますが、そもそも勉強できるようになりたいと思わない人に対して僕は必要以上に頑張る必要はないんですよ。とりあえずその授業で班員みんなが理解できるようにする。その授業では自分の班員誰も置いていかない工夫は必要だということです。

その使命が俺にはあると。



「勉強できるやつ」にはなりたくないですからね。


班員全員が常に喋ってる必要がある。いきなり正解を僕が喋ったところで議論することがなくなってしまうので、時間稼ぎのために、班が正解に辿り着くまでに必要な情報を班員に質問しながら進めていきます。

だけど班員みんなが授業の内容についてずっと喋っていたいわけじゃないから、先生が俺らの班の話を聞いてないであろうタイミングで授業とは関係ない世間話を僕からふっかける。

↑ここに会話に入れていない人をうまく会話に溶け込ませる技術を使うわけです。さっき言ったように、班員全員が常に喋ってる必要がありますからね。


話したい話題を僕が考え、その話題に繋がる話を別の人間にさせるのです。

例えば、話に入れてない人が女子バレー部でしたと。「女子バレー部」が容易に連想されるキーワードを考えます。当時の女バレー部の顧問は学校で一番怖い吉田先生という人でした。

「そういえばこの前、朝5時に吉田先生があそこのすき家でカレー食ってた」っていう、ありそうでなかった嘘の話を班のみんなにふっかけるわけです。


すると絶対みんな食いつくんでもうそっからは勝手に吉田の話になるわけです。

「あの近付き難い吉田の私生活、私情ってどんなんやねん」という流れになって、班員の中で一番吉田と関わってる時間が長いバレー部のその子へと自然と会話の矛先は向くので、その子が会話に参加しますと。


その子に聞くのが一番良いとみんなが思う話題はなんだろうかと考え、その話題に辿り着くように容易に連想できるキーワードを投げかける。


先生が僕らの班に近づいてきそうなタイミングで話題を授業の内容にもどす。授業に関係ない話してるのがバレたら良くないからね。


これよ。

こうして会話に入れてない人を自然と会話に入れる。これができると俺の班は活発になる。


自分の班が一番誰も不幸にならない班になる。


先生は僕の班の誰に質問しても答えられる。


しかも先生からすれば、

「あそこの班員はみんながちゃんと議論してる。そして班員みんなが指名されて答えられるのはきっと金田がいるからだろう」


となる。


授業の最後になっても、あまり良い回答を生徒から引き出せなかった先生は、最後の砦として僕を指名してくるわけです。


下手な先生になると、僕を指名するに至る間とかがいかにも「はい!最後の砦!」感があって僕は良い気分はしなかったんですけど、

そこで教科書やワークに載ってない、僕オリジナルの、間違いとは言えない意見をちょい混ぜして、「良い回答をするじゃないか」と先生はうなづきましたと。


これが信頼につながるのかなという話でした。













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