クリエイターやアーティストは、神様にとってのいい楽器であればいい。
誰しも必ず、この世に生まれた意味というものがあります。
未だ学んでいないことの学習、魂の浄化、鍛錬。
あらゆる仕事、経験を通して成長させられているわけです。
生まれた意味、生きる意味は人それぞれ異なっている。
その人に与えられた使命は人それぞれ。
その使命の規模感も人それぞれ。
使命の大きさ、その人の成すべき所業は、各々の魂のレベルや強度によって異なる。
すでに亡くなられた偉人や生前素晴らしい行いをした魂、崇高な霊魂は、あの世からこの世に生きる人に対して常に適材を探している。
「この人にあんなこと、こんなことやらせたい」
困った人がいたら手を差し伸べる。愛を持った互いの理解ができる。慈しみ。情愛に満ちた世の中にすること。
僕らがそういう存在になることが、僕たち人類の目標であり、世の中を愛に満たすことが人類の使命でもある。
今回はクリエイター・アーティストを例にそんな話を書こうと思ってます。
「クリエイターやアーティストは」という表現をあえてしましたが、例えば音楽。人々を癒し、奮わせる音楽、人を救う音楽を作れるということは、それほど偉大な霊魂のサポートを受けて初めて生まれる。
映画や漫画も一緒。
より多くの人の心の支えになるもの、慈愛をもたらすストーリーの発明はインスピレーションという形で、その人の魂に何らかの形で届くようになっている。
神様(というか崇高な霊魂)にとっていい音楽を奏でられるいい楽器であること、つまり遣われるのに相応しい霊媒に徹すること。
それが、より大きな使命を授かるということなのだと思う。
神様は自我の誇示に過ぎない表現ではなく、人々を優しいエネルギーで包み込むような表現ができるクリエイティブを望んでいる。
多くの人の供養になる音楽や映像、あるいは文学を望んでいる。
それを作れる人、その使命を与えるに値する人に白羽の矢がたつ。
偉大な音楽家、指揮者、作家はその使命が与えられた魂ということ。
それだけ純粋な魂、他者のためになれる人が上の世界の魂から遣われるのだと思う。(=素晴らしい仕事をする。)
けれど、世のほとんどの人はそこまで霊格が高くないので、
売れる音楽・フィクション・芸能タレントの多くは俗に寄ったものであることも多い。
「ノリやすい・クセになるリズム」
「歌詞・ストーリーが共感できる」
「顔がいい」
とかの理由でバズったり売上になったりする。
多くの人の共感に刺さる・距離が近いというのは、必ずしも崇高なものではない。
あくまで平均的な経験や感覚に寄ったものというのは、つまり”俗”ということでもある。
それは、まだ人間が全体として未熟だから。
まだ崇高なものだけが売れる・知られる世になるには年数がかかる。
「クリエイターやアーティストは」という表現をあえてしたが、どんな仕事であれ全ての人に使命がある以上、この仕組みは全ての人に共通してあてはまる。
純粋に。世のため人のために自分が遣わされることを望む人、この世界の仕組みが理解できていなくても、優しい愛がある人には必ず上からのサポートが受けられるようになっている。
金が欲しいだとか、目立ちたいだとか、世俗的・物質的価値観で生きたところで、幸せなのは今だけ、直近だけ。
自分がこの世での生を終えた後のことまで見据えないと意味がない。
最後に幸せになるにはどう生きた人かな?
最後とは言わず、生きている間に幸せになれる。
世俗的価値観に惑わされず、生き抜くことができるか。というか押し寄せる世俗的欲求との勝負にどれだけ勝てるか。
それが僕にとっての人生だと思ってる。
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