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波紋〜ただ、それだけだった。〜⑪

    
 七美が欠席し始めて一カ月経った頃、休日に彼女の家に行った。いつもどおり両親は仕事でいなかったけれど、彼女の部屋でベッドに並んで座った。
ぱっつん前髪に重めのボブ。毒リンゴを食べて眠りについてしまうお姫様をイメージしてカットしてもらっているという髪はセットされておらず、所々跳ねていた。
 呪いによって眠りについてしまう童話のお姫様はもう一人いる。生まれた時に魔女に呪いをかけられ、十六歳の誕生日に糸車の針に指を刺して眠ってしまうお姫様が。
 でも、七美はそのお姫様よりも、毒リンゴを食べて眠りにつくお姫様が好きだった。両者共王子様のキスで目覚めるところは一致しているが、二人の姫の生い立ちを比べた時、後者がいいのだと言う。
 魔女の手から逃れるために森にかくまわれるよりも、女王に美貌を嫉妬され、殺害を命じられた家来にも見逃してもらえ、初対面の森の動物達に愛され、小人達から親切にされて、楽しく暮らせる方がいいからだそうだ。確かに、世界的に有名な会社の初の長編アニメ作品だからか、他のお姫様に比べて困難という困難はなく、歌って踊って楽しく過ごしている様子が印象的な作品だ。
 セットされていないのは髪だけではなかった。いつもならビューラーでカールさせた睫毛を透明のマスカラで固定しているのに、ただ前に生えただけの睫毛が、彼女のぼんやりとした目を縁取っていた。
 抜け殻のようになった彼女は、黙って俯いていたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。私の肩に額を当てて俯きながら、誰に言うわけでもなく独り言のように呟かれていく。
「陸は、陽太が好きなんだって」「陽太に絵も描いたらしいの。あたしには一枚も描いてくれなかったのに」「陽太を傷付けそうだから、引っ越しで離れられて安心したんだって」「なんで陽太なの? アイツは男じゃん」「あたしはずっとずっと陸だけを想って生きてきたのに」
 ついに、彼女は知ってしまったのか。そう思った。
 七美がどんなに陸を好きでも、陸は陽太が好きなのだとは気付いていた。
 だって、他人にも周りの事柄にも無関心なあの陸が、陽太のことになると途端に食い付いてくるのだから。
 幼馴染の七美にも人並みの興味を示さないクセに。絵のことしか考えてないクセに。
 陽太だけは、別だった。
 彼が関係してくると、目に光が灯るように、労わり、思いやり、執着、独占、人間らしい姿を見せた。
 彼が唯一、本当の意味で認めていたのは、陽太だ。
 認めていたし、友人だったし、それ以上に、彼を好いていた。
 すぐにそれに気付いた。
 中学で七美からたくさん恋愛相談をされてきた。その相手がどんな人なのか。会うのを楽しみにしていた。
 実際に自分の目で見てみると、想像していた人と全然違った。
 七美が好きになるくらいだから、相当のイケメンだろうと思っていたけれど、クラスでも目立たないを通り越す部類に入る地味な人で。素っ気ないところがあると言っていたからクールな人なのかと思っていたけれど、ただ他人に無関心なだけで。絵を描くのが上手くていつもそれに熱中していると言っていたけれど、自分が興味のあるものにしか関心を向けない、身勝手で自分本位な人だと感じた。暗い雰囲気で、勿論社交的な面も、必要最低限の愛想も無い。高身長でどこか色気のある顔立ちだけど、全く魅力を感じなかった。
 七美とは、不釣り合いな人だと、強く思った。
 そして、陽太とも出逢った。
 男性アイドルユニットにいそうな、大きな目と綺麗なフェイスライン。背筋もスラリと伸びていて、平均よりもやや高い身長がさらに高く見えた。いつも笑顔で、誰とでもすぐに打ち解けてしまう人懐っこさ。相手が気持ちよく話せるように相槌を打てる会話上手なところも、人気の理由の一つだろう。
 どちらかと言えば、陽太の方が、七美とお似合いだと思った。
 私から見た陸が魅力に欠けるだけで、七美から見たら全く違う魅力を持っているのだろうし、私が報われない七美の代わりに歪んだ捉え方をしているのかもしれない。
 けれど、陸が陽太に恋しているという事実は、私からしたら一目瞭然だった。
 中学の時から、ずっと彼女を見つめてきた。その時から、どうか彼女の恋は報われて欲しいと願っていた。
 なのに。その願いも、彼女の願いも叶わないと思い知った記憶は、まだ新しい。
「……陽太がいなければ、私は陸と結ばれていたはずなのに」
「……」
 七美は陸の幼馴染だし、陽太を除いて、唯一比較的まともに彼と会話ができた人物でもある。彼女の考えに同意はできないが、完全否定をできるものでもない。
「どうして皆、陽太なの……? 陸も、怜奈も……」
「え……?」
「何で皆、あたしを選んでくれないの……?」
「ちょっと待って。何で私も? 私が陽太を? いつ選んだの?」
 私は七美を優先してきた。彼女が陸と話している時は邪魔をしないよう、離れて二人の様子を見ていた。陽太はそんな私と一緒にいるようにしていた。だから必然的に、陽太と一緒に居る時間が多くなっていたのは事実だ。
 だって、いくら友達でも、好きな人と二人でいるところに入っていけるほど、無神経ではない。
「…………だって、陽太と付き合ってるじゃん」
 少しだけ声のトーンがいつもより低い。
「……いつから陽太と付き合ってたの? 何で言ってくれなかったの?」
 責められているように聞こえるのは、私が七美のこの気持ちに気付かなかったからだろうか。喉が塞がれたみたいに、声が出ない。
「ねえ、怜奈」
「――っ付き合ってない!」
 顔を上げた七美と目が合って、やっとの思いで出た言葉は、自分でも驚くくらい大きかった。七美も自分自身も一瞬時が止まる。
「陽太と私は、付き合ってない。それどころか、私は誰とも付き合ってない」
 今度ははっきりと、冷静に告げる。
 七美と陸が付き合っていると言われ始めたのと、陽太と私が付き合っていると言われ始めたのは、どちらが先だっただろうか。
 同性で一緒に居たら「友達」、大人の男性と女性と子供が一緒にいたら「家族」と認識されるように、異性で一緒にいたら「恋人」と判断するのは、自然で当たり前な思考だ。
 私達が付き合っているという噂が流れていると知った時、私はその噂を曖昧に受け流した。そうするだけで、肯定したと受け取られる。私にとって、都合がよかった。
 クラスの中心にいるように見えるけれど、実際は聞き役にいる陽太は、空気を読むのも距離の取り方も上手かった。七美と陸が話している時、二人から離れたところの窓から外を見て気を紛らわそうとしていたら、そっと他愛もない話題を持ちかけてくれたり、目立つのが嫌いな私に合わせて周りに聞き漏れない声で会話を続けてくれた。
 陽太に試しに手を握ってみてもらったことがある。全くドキドキなんてしなくて、やっぱり私は〝普通〟ではないのだとわかり、おかしくて、悲しくて、それなのになぜか口角は上がって、笑うような表情になった。陽太も、同じような表情をしていた。
 陽太とのこういったやり取りが、誤解を招いていたとわかってはいた。その上で、私は彼と一緒に居た。
 まさか、良しとしていた噂が、彼女を傷付けていたなんて。彼女もこの噂を信じていたなんて。そんなつもり、なかったのに。
「……本当?」
「こんな嘘言って、誰が得するの?」
「そっか……。よかったぁ」
 私の知っている、明るい声に戻る。心なしか、表情も少し明るくなった。が、そう思ったのも束の間。
「……何で、陽太なの? 何で陽太が陸に選ばれているの? 何で、いつもいつもアイツばっかり……!」
 声に、明らかな憎しみが籠っていた。
 七美が陽太を嫌っていることも、随分前から気付いてはいた。
 彼女にしては珍しい。個人的な、マイナスの感情を露にするなんて。
 相手を好いている、そういう感情は臆面もなく外に出していくけれど、誰もがあまり聞いていたいと思わない話や個人的なマイナスの感情は、内に秘めておく人なのに。
「……七美、学校はどうするの?」
「陽太がいるなら行きたくない」
 即答だった。
「あんな奴、死ねばいいのに」
「……」
「だって、そうでしょ? 陸はあんな人じゃなかった。簡単に人に心を許すような、ましてや男を好きになるような人じゃなかった」
「……でも、死ねばいいは、言い過ぎよ」
「じゃあ居なくなればいい」
 彼女を変えてしまったのは、いったい何なのだろう。
 七美の言う通り、陽太がいなければこんなことにはなっていなかったのだろうか。
 彼女は変わらずに、毒リンゴを食べて眠りについてしまうお姫様のように、純真無垢な顔で笑ってくれていたのだろうか。
 誰にも相談できない疑問が、私の中だけで反芻された。

   

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