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緋色の花⑭

2ー2 中編:矢切蓮

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 一週間後、早めに寮を出て、晴実のところに寄った。もはや彼に会うために行動を開始する時間まで変えている自分に呆れていた。
 だけど彼の顔を見ると、不思議と「来てよかった」という気持ちになる。
「今晴実の所為で彼女と喧嘩中なんだけど」
「曲創ったの? 歌ったりした?」
「いやどっちもしてねーよ」
 晴実はおかしそうに笑った。
 この話題がまた出されるとは思っていなかった。彼は俺をどこかの中学の軽音楽部だとでも思っているのか。俺の言動や振る舞いを見たらそういう想像やイメージが浮かぶものなのか。
 そうしている間に、晴実は小さなブーケを一つ完成させていた。
「晴実のこと話したら女だと思って嫉妬してる」
「俺の名前出すと大抵勘違いされるよ」
「晴実の場合、書いても勘違いされそうだしな」
「そうだね、実物を目にされるまでは。蓮の知り合いにもいるの?」
「兄貴が。でも漢字見たら間違えられねーかな」
 慣れた手つきで花が束ねられていく。一本だった花が、他の花と一緒になって結ばれていく。
「どうやったら誤解が解けると思う?」
「ここに連れて来たら? 学生証、顔写真付きだし、すぐ誤解が解けるよ」
 いつもの花笑みで言われる。ただただ喋りに来ているだけの奴の痴話喧嘩の仲裁に、本気で入ろうとしているのだろうか。冗談なのか本気なのか、よくわからなくなる。
 黙って彼を見つめていた俺に、続ける。
「世の中、信じたり認めたりしてもらうには、ちゃんとした証明が必要なんだよ」
「あー」
 つい先日珠莉に指摘された内容で、思わず頭を押さえて俯いた。
「何なんだよ、証明って」
 晴実の言うように、本人確認や特定のことを行うだけのスキルが身に付いているかを証明するなら、まだ簡単だ。物理的な証を示せばいいだけなのだから。
 それが感情となると、果たしてどうだろう。
 いくら言葉を重ねても、望みの単語を囁いても、珠莉には届かない。全てすり抜けていく。
「蓮にとって、婚約指輪ってどんな物なの?」
「……は? 何で婚約指輪になるわけ?」
「前言ってたじゃん。婚約指輪以外のプレゼント、って。それって、婚約指輪が最上級だと思ってるし、それ以外の物にはあんまり価値を感じてないんじゃない?」
 当たらずも遠からず。
「あと、結婚指輪じゃなくて婚約指輪なところが気になるな。何か意味があるんじゃない?」
「……だって、将来を誓い合うんだよ。結婚するよりも前に、『この人だけ』って決めた証だろ。結婚指輪は、その延長線上にあるモンだよ」
 晴実はただ俺の話を黙って聞いた。温かな表情で。自分の意見を出してくるわけでもなく、ただ聞いていた。ブーケを作る手も止めて。
「じゃあ、その婚約指輪って、どうやったら渡せるようになるの?」
「どういう意味だよ」
「まだ渡せるような段階じゃないから、他の物プレゼントしようとしてるんでしょ?」
 話が見えてこない。
 ひとまず、晴実の新たな質問に対する答えだけを考える。
「……いくら好きでも、簡単に渡せないだろ。中学生っていうのもあるし、結婚できる年齢になったとしても、お互い簡単に決断できねーだろ」
「どうして?」
「面倒な血縁関係に巻き込まれるのを相手が承諾してくれるかとか、自分がそんなモンに相手を巻き込む覚悟とか、気持ちだけじゃどうにもならねーことってあるだろ」
「そこなんじゃない? 足りないのって」
 それだけの覚悟を、今決めろというのか。さすがに突拍子もないことを言ってやがる。そんな思いが頭を過る中、晴実は続ける。
「嫌なことがあっても、『それでも』自分を選んでくれるか、相手を疑ってるんだよ。相手を傷付けないか心配なんじゃなくて、全てを知った時に自分を選んでもらえる自信が無いように聞こえたよ。嘘を吐いたり隠したりされてたら、相手は何を信じたらいいかわからなくて、不安になっちゃうよ。まず、自分のことを包み隠さず相手に知ってもらわなきゃ」
「……」
「好きな人と居るのって、幸せだよ。でも、ずっと一緒に居たいって思うなら、楽しいだけじゃいられない。自分とは違う人生を歩んできているんだから、価値観も背負ってきたものも全部違う。それをちゃんと分かち合わないと、苦しい時に信頼して、相手の手を握れないよ」
 俺にとって、一番の難関だ。
 俺の人生なんて、大したことないはずなのに。
 嘘を吐いているわけではないけれど、相手に対して故意に物事を伏せてしまう。
 結果、相手は俺に対する情報量が少なくて、信じるに至らなくなる。
 例えば、俺が兄貴みたいにイイ子を演じていたら、少しは生きやすかっただろうか。親父は後を継がせる気はなくても、矢切の人間としての人生は手放しで見守ってくれていただろうか。珠莉にも、自分の出自を躊躇いなく打ち明けられていただろうか。兄貴の存在も、気にせずに生きられただろうか。
「というわけで、俺の疑いが晴れなかったら、ウチに連れて来ていいから。いくらでも学生証見せて、俺が香坂晴実だって証明するからね」
 今、明らかに無理矢理話を戻された。俺はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。
「……晴実、俺の彼女が見たいだけなんじゃね?」
「『見たい』じゃなくて、『会いたい』ね」
「じゃあ晴実の彼女にも会わせろよ」
「俺、携帯持ったの今年からだから、写真とか無いんだ。再来年には日本に帰ってくる予定だから、それまで待ってね。会えるようになったら教えるから」
「海外行ってんだっけ?」
「そう。パティシエの修行でね。だから、遠距離恋愛中」
 いつの間にかブーケ作りを再開していた。ブーケは彼女に贈りたくて、二年前から練習し始めたとか言っていた。音大生というのを忘れるくらいに慣れた手つきだ。
 携帯を見て時間を確認する。
「晴実の彼女が帰って来た時に二人で来るから、そん時は教えろよ」

   

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