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緋色の花⑪

2ー2 前編:矢切蓮

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 制服が色を変えた。この時期のネクタイはダルいし俺には似合わないから、外して生活している。それを注意されないのは家柄と成績、どちらが影響しているのか。高等部のグレーのネクタイならまだ似合うはずだから、一年中ちゃんと着ける予定だけど。

 珠莉の他に女が居るのではないか、なんて余計な疑惑を持たれるきっかけになった花屋なんて、二度と行くわけない。そう思っていたのに、何を買うわけでもなく、俺は『香坂』という花屋に訪れるようになっていた。
「いらっしゃいませ」
 何も買わない俺を、あの店員はいつも笑顔で迎え入れる。この花屋に来る目的はこの人に会うためだと自覚した時は、親父や兄貴に対するものとは違う、心地のいい悔しさを感じた。
晴実はるみは彼女に婚約指輪以外でプレゼントあげるなら、何あげんの?」
 初めは男なのに随分と可愛らしい名前だと思ったが、兄貴も女みたいに綺麗な名前をしている。それに、晴実にはなんとなく似合っている響きと漢字だった。音大に通いながら、じーちゃんの花屋でたまに手伝いをしているらしい。
「第一に挙がる候補が婚約指輪って、ちょっと大げさじゃない? 蓮、中学生だよね?」
 花笑みを浮かべながらも、手は忙しなく動いている。茎を切り、長さを整えられた花は、束ねられてあっという間に輪になった。
「そこまで特別な意味は込めたくねーけど、特別な物贈りたいんだよ」
 事情を知らない彼には、この矛盾した回答の真意は伝わらない。うーんと唸り数秒考えて、
「自作の曲とか?」
「俺バンドマンじゃねーから。つか黒歴史になるだろーが」
 音大生らしい回答だが、愛を表現した曲も歌も、創るノウハウが無いしそもそも聴かない。
 だが、ネックレスやブレスレットといった他のアクセサリーや、ハンドクリームやハンカチといったカジュアルな物を挙げない彼は、やはり察しがいいし、人の言動をよく見ている。
 彼は周りに花が浮かんできそうなふわふわとした表情でおかしそうに笑っている。こういう顔をしていると、能天気そうな表情と察しの良さとでギャップを感じる。司のように警戒心を抱くものではなく、人柄の良さを全面に感じる類のギャップだ。
「じゃあ、花はどう?」
「まーた商売に繋げるのかよ」
「言われると思った」
 嫌な顔一つせず、俺の言葉を交わしていく。
「最初に会った時、ハスの話したの、覚えてる?」
 正しくは、俺の名前の話だ。誰にも言えなかった、コンプレックスと劣等感の象徴。
 それを「ハスの話」と言う彼は、人を傷付けない道を迷わず選べる。
「覚えてっけど」
「ハス以外にも、花には花言葉があるんだよ」
「……は? もしかして、花言葉で気持ち伝えるってわけ?」
 躊躇いなく肯定された。渡す側の人物が晴実みたいな人だったら、そりゃ文句なしで似合う。
「花言葉って、花の色でも変わるし、本数でも変わるんだよ」
「俺がそういうのが似合う人だと思ってんの?」
「相手にあげる物でしょ? 自分に似合わうかどうかは関係なくない?」
 それを言われては言い返せない。
「赤いバラは『あなたを愛しています』っていう花言葉があるし、一〇八輪のバラは『結婚してください』って意味になるんだよ。マイナーだけど、赤いチューリップは『真実の愛』っていう花言葉があって、十二輪だと『恋人・妻になってください』って意味になるんだ。そして面白いことに、一輪だと『あなたが運命の人』、十一輪だと『最愛』になる」
「知らねーよ。つーか、」
 そもそも論として、花を贈るのはいいイメージが無い。だって、
「花って、いつか枯れるじゃん」
 決して残らない。いつか無残に枯れていく。変色して、汚くなって、最後には何も残らない。
「だからいいんだよ」
 変わらない笑顔で言われた。
「もしかしてお前、実は病んでんの?」
 半分冗談で半分本気で言った。こんな言葉を言っても笑って交わされる。司以上に掴めないところがあるが、そんな彼が心地よかった。
「枯れるから、また花を贈れるんだよ。次に贈りたい花を何度でも。相手に対する想いが変化していくのに合わせて、新しい花を贈れる」
 春はもう過ぎているのに、彼と居ると、いつだって春だ。
 強く諭されているわけでも、根気強い説得をされているわけでもない。なのに、穏やかな声と笑顔で言われたら、不思議と納得してしまう。――ハスの話をした時のように。
「あと、別に花言葉で選ばなくても、相手のイメージや相手の好きな花に合わせて花を選ぶって方法もあるよ。これだと、ハードルも少し下がるんじゃない?」
 花言葉を贈るのが嫌なのではなく、花そのものを贈るということに抵抗があるのだが。これも、兄貴だったら似合うんだろうな。己の生き様を呪っても、もう遅い。
 なのに不思議と、心は傾いてしまう。
 一度携帯で時間を確認する。残念ながら、今日はここまでだ。
「考えといてやるよ」

   

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