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波紋〜ただ、それだけだった。〜⑨

二章 高嶺たかみね 怜奈れなの過ち

     
 約一カ月半振りに足を踏み入れる教室は、何だか変な感じがする。
これからまたいつも通りの学校生活が始まるのに、ちょっとよそよそしい気持ちになってしまう。三日も経てば、そんな気持ち、消えてしまうのだろうけど。
 クラスでは一昨日から昨日にかけて放送されたチャリティー番組の話で盛り上がる女子の集団がいくつかあった。よく聞いてみると、番組の内容ではなく、メインパーソナリティーを務めた五人組のアイドルグループの話で盛り上がっていた。その話を聞き流しながら、自席へ行く途中、「高嶺さんおはよう」の言葉にだけ挨拶を返した。
 私はいつも、四人の中では三番目に登校している。一番目は七ななみで、二番目がりく
 二人は幼馴染だし家も近いと聞いていたから一緒に登校しているのかと思ったけど、そうでもないようだ。七美が一緒に登校しようと誘っても、陸は「朝から誰かと喋っていないといけないのはキツい」と言って断るらしい。
 でも、私が教室に来た時には、大抵七美は陸の席で何かを話している。一方の陸は、少し眠そうな目をしながら七美の話を上の空で聞いている、というのがいつもの風景だ。そこに私が加わって、陽太ようたが来たら、女子二人に囲まれていた陸は逃げるように陽太のもとへ駆け寄って行く。これが、私達のお決まりの朝だった。
 でも、今日は違っていた。
 普段私よりも早く来ている二人の姿が無かった。
 陽太がいつも通り、ホームルームの十五分前に到着しても、一向に姿を現さなかった。
「おはよう」
「おはよう怜奈れな。今日、二人はまだ来てないの?」
「そうなの。どうしたんだろう。二人揃って、遅刻?」
「まさか、陸が遅刻するはずないし……。 七美ちゃんだって、陸に合わせて早く来てるんだよね?」
「そうよね……。欠席かな……?」
 携帯を開いて画面を確認しても、受信メールは一件も来ていなかった。休みだったら、連絡が入っていてもいいのに。陽太も同じように自分の携帯を開いてメールを確認している。受信メールは、一件も無いようだ。
 二人が到着するのを待っている間に、ホームルームが始まってしまった。そこで私達は驚きの事実を知る。
一色いっしき君だが、ご家族のお仕事の都合で今朝引っ越したそうだ。急なことでクラスメイトに挨拶ができなかったと――――」
 途中から担任の言葉は耳に入らなかった。ざわめきが広がる教室の、窓際の後ろから三番目の席に座る陽太を見た。
 そこだけ時が止まったかのように、陽太は動かなかった。
 見開かれた瞳が揺れている。
 私の座る一つ右隣の列の一番後ろの陸の席を見て、続いて一番廊下側の前から二番目の七美の席を見た。
前田まえださんは、体調不良で今日はお休みするそうだ。始業式からクラスメイトが少し減っていて寂しいが、二学期もよろしくな」
 七美が、体調不良。
 このタイミングで?
 どこか違和感を覚えながらも、私にはどうすることもできなかった。
 ホームルームが終わると、廊下に出席番号順に並んで、体育館へ向かった。私よりも前にいる陽太の顔は見えなかったけれど、終始少し俯きがちで、陸が引っ越したことに相当ショックを受けているようだった。
 わざわざ聞かなくても、彼の反応を見ていたらわかる。
 あの陽太でさえ、陸が引っ越すことを教えてもらえなかったのだと。
 始業式が終わって大掃除をして夏休みの宿題を提出して。夏休み明けだというのにせわしなく流れる時間に振り回されて、昼前に帰りのホームルームを終えて、部活生は準備をするために教室から出ていった。
 携帯を操作して、耳に当てて、また携帯をおろす陽太。
「陽太、陸は……」
 彼のもとへ行って、陸について聞こうとしたけれど、その後の言葉が続かなかった。
「……メールしたけど、宛先不明で戻って来て……。電話も、もう使われてない番号だ、って……」
 その顔は、とても見ていられなかった。
 クラスで見る彼の表情はいつだって輝いていた。
 なのに、今の彼の表情ときたら。
 大切なものを失って、喪失感に満ちた、そんな表情。
 どこか不安定で、手を伸ばしても掴めないまま、消えてしまいそうな……。
 こんな陽太、初めて見た。

   


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