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緋色の花⑤

     

 結局今日も進まず動かずの関係で、決してデートとは言えないお茶の時間を過ごした。
 恋人には見えない会話を続けながら、女子寮まで戻って来た。蓮は必ず、あたしをここまで送り、女子寮の門を通るのを見届けるまで、その場を動こうとしない。
 先日まで、言動のわりにこういうところは紳士なのだと感じていたけれど、カフェでの一言を聞いて改めて考えてみると、捉え方が変わってくる。自ら命を絶ってしまいそうなどこか不安定な少女が心配なのだ、という意味になる。
 一家無理心中で死に損ねたことに同情しているのか。誰にも引き取られなかったことに同情しているのか。そんな、独りぼっちでかわいそうで今にも自殺してしまいそうなあたしが心配と言われているようで、自分の意志とは真逆の方向に向けられている感情に、納得がいかない。
 彼を困らせるために、いつもより長く門の前で立ち話をしていた。
「……これからどこか行くの?」
 あたしが女子寮の門を通り抜けるのを待つように、チラチラと腕時計を確認する彼に訊ねた。
「そ、大事な用事」
 その時、携帯が振動する音が鳴った。蓮の携帯だ。ポケットから取り出し、画面を開いて、忌々し気に目を細め、舌打ちをした。
「遅れそうなんだったら、もう行きなよ。ちゃんと帰るからさ」
「これは別件。クソ兄貴のことでクソ親父から連絡」
 これ以上この話はしない、とでも言うように、パタンと大きな音を立てて携帯を閉じた。
「紗羅を見送るくらいの時間はあるんだよ」
 口元に現れた三日月を見て、いつもの蓮に戻ったのを確認する。
 この笑顔は、毒だ。
 悪魔のように無邪気で余裕のあるその笑みは、自己の存在主張を感じる。
 今この瞬間に、確かに蓮は居て、あたしを見てくれている。
 それが、自分も生きているという実感を与えてくれる。
 この笑顔を見ていると、彼の心に、あたしは映っていないという現実を見失いそうにもなる。
 甘くて強烈な罠から逃れるように、目を逸らした。
「――あ、地獄花じごくばな
 釣られるようにして、蓮もあたしの視線の先を見た。
「彼岸花じゃん」
 薄緑色の細長い茎の先に、歪な形の赤い花が一つ、ポツンと咲いていた。
「何で地獄なわけ? 言うなら曼殊沙華まんじゅしゃげじゃね?」
「秋の彼岸の頃に開花するから、あの世とか死を連想させる花なんだよ。毒もあるし、より一層死のイメージが強い花なんだ。だから、別称も曼殊沙華以外に、死人花しびとばなとか毒花どくばなとかあるの。地獄花も、別称の一つ」
 窮屈なほどに反り返った花弁、虫の足のように、雄しべと雌しべが天に向かって生えている。その姿を神秘的だと思えるのも、せいぜい一つ二つだけしか咲いていない時だ。真っ赤な花が寄り集まって地面を覆い、細い足を空に向ける風景は、血の海から罪に溺れた魂達が這い上がろうとしているようにも見える。まるで、地獄だ。
「紗羅、花が好きなのか?」
「別に、たまたま知ってただけ」
 この話を教えてくれたのは、幼稚園児の時一緒に遊んでいたうちの誰かだった気がする。
 桜を鑑賞することをお花見と言ったり、ヒマワリは太陽に向かって咲くとか、そういう、世間に浸透したイベントや雑学のように、たまたま記憶に刻まれていただけにすぎない。
「でも、前よりも、なんか身近に感じる」
 バラよりも、タンポポよりも、身近に感じる。誰もが知っていて人から愛される花ではない。開花期間も短く、限定的な花で、目にする機会は少ない。それでも身近に感じるのは――。
 瞼の裏に焼き付く、血。
 目の前で口元を押さえて苦しそうに咳き込み、手に納まらない量の血が、指の隙間から溢れて机に落ちる。ボタボタボタボタと落ちて広がる。円形から、歪に形が崩れていく。みるみるうちに、真っ赤に染まる。緋色に埋め尽くされる……。
「あの花が好きなわけ?」
「そうでもない。でも、自分に似合う花は何かって聞かれたら、地獄花を挙げるかな」
「その呼称で言うのやめろよ。縁起わりィ。綺麗な花なんだから」
 あの花を見て綺麗と言える蓮は、あたしの脳裏によぎる景色とは無縁なのだろう。
 蓮に限らず、ほとんどの人間がそうだ。
 歪に咲く緋色を見て、血など地獄などと連想する方が、どうかしている。
 大抵は、無駄なくすらりと伸びた茎と、複雑ながらも均整の取れた花を、美しいと思うはずだ。
 桜が春の幻ならば、あの緋色の花は秋の幻だ。
 その刹那を美しいと享受できる心を持つ彼は、やはり、あたしとは住む世界が違う。
「いずれ地獄に落ちるあたしには、ぴったりだよ」
 涼風すずかぜが吹いた。
 半袖だと少し肌寒い日暮れ時。鮮烈な赤に染まる空。秋の声が聞こえる。
「何で地獄に落ちるってわかるわけ」
「そういう人間だからだよ」
 い人は天国へ。悪い人は地獄へ。
 ただの子供の教育や人の道徳心を育むためのものだと思う。
 けれど、自分は善い人であると言えない今、きっとまともな死に方はしないと思っているし、死んだ後に魂だけが生き残るというのなら、あたしは間違いなく地獄行きだ。
「じゃあ、俺達、長い付き合いになりそうだな」
 そう言うとまた、口に三日月ができた。まるで夕月夜ゆうづきよだ。
眩しい赤に照らされた彼は、これまで見たどの人物よりも綺麗で、画になっていた。赤い光さえも身に纏い、毛先に眩い紅玉こうぎょくの粒を散らす彼の姿は、王子様の姿をした悪魔のようだと感じた。
「意味わかんない。もう、早く行きなよ」
「紗羅をちゃんと見送ってからな」
「別にあたしは死んだりしないから大丈夫ですよ」
 嫌味っぽく言ってやった。
 なのに彼は否定も言い返しもせず、真剣な表情であたしを見ていた。
 本当に見送るまで、ここを離れない気だ。大事な用事があるというのに。
 仕返しのつもりだったのに、段々と罪悪感が湧いてくる。諦めて女子寮の門を通り、玄関扉を開けて、振り向く。
 夕暮れに照らされた彼は、先程とは打って変わって、口角を優しく上げ、安心したとでも言うような表情をした。
 そのまま手を軽く上げて去っていく。
 緋色に導かれるように。

   

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