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緑玉で君を想い眠る㉗



 何か用途があるわけではないデザイン目的の木の枠がある、ベージュの壁、ダークグレーの床、ブラウンのシーツの掛け布団、枕とボックスシーツのみが白の室内は、とても病室だとは思えない。こんな部屋をポンと用意できる霧島家は、ボク達とは違う世界の人達だ。

 桜ノ宮大学病院の特別室に、ボクと叶羽さんは来ていた。

 その部屋で眠る守さんは、あれから五日、意識が戻っていない。



 新婦とゲストの二人が病院に運び込まれる事態となり、勿論結婚式は中止。叶羽さんに付き添ったボクの代わりに警察に状況を説明したのは、蓮センパイだったらしい。

 叶羽さんは一日入院して、退院後すぐに、ボクと一緒に祝福に来てくれていたゲストの家を一軒一軒回り始めた。ボク一人で行くから、もう少し休んでいるよう言ったのに、「せっかく来てくれたのに、多大な迷惑を掛けてしまったから」と。

 謝罪した相手は皆、どういう反応を示したらいいのかわからないという様子だった。ただ、狙われていたのがボクで、叶羽さんもパニック状態だったこともあり、最後には「お大事に」と添えられた。

 蓮センパイには逆に謝られた。「先に紗羅と美蘭をあの場から離れさせて、取り押さえるのが遅くなった」と。彼は製薬会社の社長であって、警察でも何でもない。あの場で犯人を取り押さえられただけで、十分に助けられた。頭を下げ続ける彼に、それを何度も伝えた。

 紗羅さんはボク達の謝罪に何も言わなかった。あの光景には何もショックを受けていない様子で、「子供には、見せたくなかった」ただその一言だけを呟いた。

 ボク達が謝らなければならないのは、お祝いに来てもらったのに事件に巻き込んだことではなく、事件が起きることを知りながらお祝いに来てもらったことなのではないかと、その時に気付いた。

 幸いというべきなのか、美蘭みらんちゃんはあの状況に対して怖がったりはしておらず、「なんでまもるくんはさされにいったの?」と疑問を口にしているのだと、後に蓮センパイから聞いた。

 守さんの妻であったあの人の葬儀にも律儀に出席した叶羽さんは、左頬を腫らして帰るハメになった。「貴女が死ねばよかったのに」という言葉を浴びせられて。あの人が輝一郎さんに殺されたことも発覚していたから、なおのこと玉井家から叶羽さんに対する非難は大きかった。

 玉井家によると守さんは、「妻が生前仲良くしていた相手だから、生きていたら祝いたかったと思う」と言って誤魔化して式に参列していたらしい。寡夫かふとなった守さんが重症を負ったために、なおのことお怒りになっていた様子だった。

 霧島家からも非難を受けた。叶羽さんに関しては、「またお前か」と。それを亘さんが、「守は人助けをしたんだ。誰かを責めるより、そこを讃えて誇るべきじゃないか?」と宥めてくれた。

 輝一郎さんは三件の殺人容疑で逮捕された。容疑が固まって裁判になれば、死刑を宣告される可能性がある。叶羽さんは、その事実を真摯に受け止めている。勾留中の輝一郎さんに叶羽さんと面会しに行くと、彼は泣きながら何度も謝った。十五年前の事件の後、守さんに罪をなすり付けようとした時、叶羽さんが泣いていたのを見て、自身の発言を自重した人だ。彼がどんな卑劣な行いをしていたとしても、本人は、叶羽さんを傷付けるためにやったのではないのだろう。そんな彼を見て、彼女は言った。

「私をここまで育ててくれたことや義眼のことは、感謝してもしきれません。私はこれらについて、何も恩を返せていないとも思います。両親と暮らした日々も輝一郎さんと暮らした日々も、確かに幸せでした。それは、比べられるものではありません。それぞれに別の幸せがあったから。

 でも、貴方が人を殺したことだけは、絶対的に間違いです。最初に謝るのは私ではなく、身勝手に命を奪った方々に対してではないでしょうか。その後で、彼等を大切に想っていた遺された方々に、心から謝罪するべきなのではないかと、私は思います。

 失われた命は戻りません。それは、貴方もよくわかっているはずです。その罪をこれからどう裁くのかを決めるのは、私ではありません。下された判決に従い、罪を背負っていってください。私への償いではなく、貴方の過ちをしっかりと見つめて」

 ボクは輝一郎さんに対してどういう感情を抱けばいいのかわからなかった。

 なのに叶羽さんは、人生の半分を一緒に過ごした親同然の人に、こうも言葉を投げ掛けられるだなんて。

 彼女のご両親は、そして輝一郎さんは、叶羽さんに、どんな愛情を注いできたのだろうか。叶羽さんはその愛情を、どうやって見失わずに生きてきたのだろうか。

 これから幸せになるために挙げる式だったはずなのに、幸せどころか、悪夢のような日々を送っていた。

 なのに叶羽さんはそれを嘆いたり苦痛にしている素振りはなく、これまで通りに振る舞っているように見えた。



「花って、いつ頃取り替えたらいいのかな」

 病室に飾られていた花の水を入れ替えた叶羽さんが言った。

「ほら、この花。ここ。外側の花びらの先、少し駄目になってきてない? でも他の辺りはまだ綺麗なの」

 花瓶を元の位置に戻す前に、ボクのところまで持って来て、指で示しながら言った。

 黄色の、明るい花々。蓮センパイが、守さんが入院したその日のうちに買ってきたものだ。

「これ、花びらが汚れてるか、傷付いちゃってるだけじゃないですかね?」

 色がおかしくなっていたところを、少しこすってみる。すると、色が悪くなっていたのが、元通りの鮮やかな黄色に戻る。

「あ、ホントだ」

「何かついちゃってたんですね」

 ありがとう、と言って、叶羽さんは花瓶を戻した。

 そして、眠っている守さんをじっと見つめて、彼女は言った。

「……私、そろそろ行くね」

「え、まだ診察時間には早くないですか?」

「今日は私の前に予約が入ってないから早めに来ても大丈夫って、なずな先生言ってたし」

 彼女は退院してから通っている精神科クリニックの担当医と相性がいいそうで、カウンセリングにも積極的に足を運んでいる。

「由貴はもう少しここにいてあげて」

「はぁ、」

 そう言って荷物を持って足早に立ち去って行った。「ここにいてあげて」? 扉が閉まってからも、その奇妙な言い回しが気になった。静まり返った室内で彼女が去った扉を見つめていた。

「………………由貴くん」

 消えてしまいそうな、声が聞こえた。

 気のせいかと思って目を向けると、重そうな瞼を上げている、守さんと目が合った。

 ボクが声を出すよりも早く、彼は右手の人差し指を口元に当てた。

 ボクがその意味を理解したのを確認して、彼は再び口を開く。

「叶羽は……、大丈夫かい? 診察って、聞こえたけど」

 ほとんど吐息のような声だった。声を出すのがしんどそうだ。

「フラッシュバックはありませんけど、ショックな出来事ではあったので……。気分の浮き沈みは激しいです。今は会社も休んでもらって、クリニックでカウンセリングを受けています」

「由貴くんは? 突き飛ばしちゃって、ごめんね。怪我は、無い?」

「ボクは大丈夫です」

 突き飛ばされた、というより、むしろ助けてもらったという認識だ。でないと、ボクは死んでいたかもしれない。

 叶羽さんが別れてからも彼を気にしていた理由が、結婚式の日や今の会話から、よくわかった。

「守さん、いつから目が覚めてたんですか?」

「つい、さっきだよ。花びらがどうとか、その辺りから」

 叶羽さんは、寝たフリをしている彼に気付いて、退室したのかもしれない。

「ねぇ、由貴くん」

「はい」

「タンポポの綿毛が、雪だとして」

「はい?」

「それは、春も雪と会いたかったから、なのかな。綿毛が飛んでいった時、綿毛は雪を運んでいることにのなるかな。遠くに行っても、一緒に居られるために」

 守さんがこんなすっとんきょうな質問をするとは思っておらず、頭を整理するのに少し時間を要した。

「えーと……、まず、その話だと、綿毛は溶けない雪、ということになりますよね。でもそれだと、本物の雪が溶けてから溶けない雪が現れるまで、時間が空きますよね。本当に春が雪と会いたかったのか、ちょっと疑問です」

「うん」

「あと、雪と会いたかった、がゴールのはずなのに、運ぶ、という続きがあるのも疑問です」

「うん」

「この話、春が雪を復活させるっていう時間を巻き戻す話じゃなくて、春が次の雪の季節に向かう、時間が進んでいく話なんじゃないですかね? タンポポの綿毛が雪っていうのは、次の冬の雪を表していて、綿毛になって飛んでいって、冬になって本物の雪が降った後に、次の花を咲かせる……。遠くに行っても一緒に居られるように、というより、一緒にこれからも未来に進んでいけるように、って意味な気がします」

 最初に聞いた話の意味がそもそもよくわからないから、ボクの考えも間違っている気がする。自分で説明していても、よくわからない。説明になっているのだろうか。

「だよね。僕も、昨日くらいから、そう思い始めた」

 彼は五日も眠ったままだった。彼が言う昨日というのは、結婚式当日か、その前日だろうか。

「……何なんですか? この話……」

「上手く説明されていない話に対して、間違った解釈をされているのに、それに気付かず肯定されて、意味が全く通じ合っていなかった」

 そういう話。と最後に付け足された。

 やはり意味がわからなかったけれど、この話はそこで終わった。

「由貴くんはさ、虫、好き?」

「へ?」

「ダンゴムシとか、チョウチョとか、バッタとか」

「別に好きではないですけど、苦手ではないです」

「よかった。僕は嫌いなんだ。というか、虫全般、嫌いだ」

「は、はぁ」

 そこで彼からの質問は途切れた。瞼を重そうに瞬きさせている。

「ボクからも、聞いていいですか?」

「なんだい?」

「叶羽さんに、何かお伝えすることはありますか?」

 そう聞くと、彼は少しだけ考えて、

「叶羽というより、君にお願いが」

 その言葉で、思わず姿勢を正した。

「何でしょう」

「叶羽さ、食べちゃ、いけないものを、食べそうな雰囲気の時があるんだ」

「あー、心当たりがあります」

「もし、本当に食べそうになったら、止めてほしいな」

「わかりました」

「よろしくね」

「……」

「……」

「……え、これだけですか?」

「そうだけど」

 拍子抜けしてしまった。

「『叶羽を頼む』、みたいなこと、言われると思った?」

「はい……」

「彼女の人生を、僕が誰かに託すのは、おかしいでしょ」

 彼が輝一郎さんに言っていた「お前が思う幸せを、叶羽に押し付けるな」という言葉が、ふと頭を過った。

「他には?」

 あの時――輝一郎さんの前に彼がしゃがんだ時……、腹部のナイフを抜いて、輝一郎さんを刺すのではないかと感じた。

 ボクだったらそうしていたかもしれない。
 けれど、彼は、そうはしなかった。

 法を武器にする職に就いているからではない。

 誰かを殺害する理由を、叶羽さんにしたくなかった。
 きっと、そういうことだ。

「いえ、もうありません」

「……そう。僕の意識が戻ったこと、まだ、誰にも言わないで」

 重い瞼が閉じられる。
 瞳が見えなくなり、長い睫だけが見える。

「まだ、眠いんだ。もう少し、寝させて」

 吐息のような声も聞こえなくなり、間もなくして、小さな寝息が聞こえ始めた。

 耳を済まさないと、死んでいると勘違いしてしまいそうなほど、小さな小さな息遣いだった。

 彼は、何をおもい、眠っているのだろう。

   

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