見出し画像

緑玉で君を想い眠る㉕



 彼女が殺されたと聞いて、一瞬、一昨日の口論の時に自分が殺してしまったのではないかと感じた。

 死亡推定時刻、僕は事務所にいたことが確認されており、容疑者からは外れていた。

 首を絞められた跡があったそうだ。口論の前に一方的に胸倉を掴んでいたのを思い出して、犯人でもないのに後ろめたい気持ちになった。

 光の森公園で遺体は発見されたらしい。平日の夜に、そんな場所に行った心当たりはないか、誰かと会う約束をしていたと聞いていないか……、手掛かりに繋がるような質問をいくつかされた。しかし、肩書きと形だけの夫だった僕に、そんなことがわかるわけない。そもそも、お互いのことなんて、ほとんど知らない関係だ。

 それを不信に思われないように、当たり障りがないように答えていった。口数少なく答える姿は、妻を亡くした憐れな夫として映ったのか、不審がられている様子もなかった。

 実際、まさか彼女が死ぬ――殺されるなんて思っていなくて、少なからずショックは受けていた。

 人生を縛られていた身だとしても、彼女もまた、別のものによって人生を縛られて、生きる手段がわからなかったのだと知っていた今、怨みや憎しみよりも、何か別の感情が勝っていた。

 それがどういった感情なのかはわからないけれど、もしかしたら、別の形で出逢っていたら、僕達はもっと、お互いわかり合えたのではないかという感覚さえあった。

「公園に行く前に、森城叶羽さんと会っていたようなのですが、森城さんのことはご存知でしょうか?」

 彼女が叶羽に……?

「えぇ、まぁ」

「二人はどういう関係でしたか?」

「……元同級生だと思いますが……」

 友人、とは言いきれなかった。

「親しい間柄だったのでしょうか?」

「さぁ……。僕は家を空けがちだったので、現在の交遊関係については、あまり」

「はい」と言えば、叶羽なら彼女に怪しまれずに首を絞められる距離に近付けたと思われそうだし、「いいえ」と言えば何らかの怨恨があると思われそうで、濁すしかなかった。

 その後もいくつか質問された。
 質問内容から、叶羽が犯人だと疑われている雰囲気があった。

 叶羽が、人を殺すなんてありえない。

 その一言で通用するなら、いくらでも言った。

 けれどそれを言うと、叶羽と僕、僕と亡くなった彼女、亡くなった彼女と叶羽の三人の関係を詮索されそうだったから、絶対に口にしなかった。

 聴取が済んだ後に、考えた。

 なぜ、彼女が殺されたのか。

 脅迫状は叶羽に届いた物だった。宛名が叶羽になっていたのだから、送る相手を間違えたわけでもない。

 彼女は叶羽より背が低いし、持っているヒールを履けば叶羽より背が高くなる。似ている顔立ちではないし、服装の好みも違う。夜で顔が見えにくかったとしても、間違えたわけではないだろう。

 叶羽に脅迫状に従うよう、警告するために、殺した? だったら何でわざわざ彼女にしたのだろう。もっと近しい人――親族や婚約者に危害を加えた方が、合理的ではないだろうか。

 そもそも、あの脅迫状自体、何かがおかしかった――。

 そうだ、「結婚式」ではなく、「結婚」と書いているところに違和感を覚えたんだ。

 犯人は、「結婚」自体をやめろと言っているんだ。

 きっと、犯人は誘拐事件の犯人と同一人物。その犯人は、叶羽に結婚をやめてほしい? 何のために?

 叶羽が好きだから? 好きだから、誘拐した? 事件後は僕と別れたから、あれから何も起こらなかった? 叶羽が由貴くんと結婚することになったから、脅迫状を出した?

 それだと、叶羽が由貴くんと交際した時に何も起こらなかったのは、なぜだ?

 ……交際自体は、問題ではない、のか?

「叶羽が好きだから」という、思考の出発点が、そもそも間違っているのか?

 誘拐事件の時の叶羽の話を思い返しても、犯人は叶羽に危害を加えたかったわけではないのかもしれない。

 暴行目的ならば、抱き締めたりなんてしない。
 抱き締めるというのは、愛情表現なのだから。

 愛情――。

 そこで、家族を亡くして桜ノ宮からも去らなくてはならなくなった叶羽を、たった一人、実に愛情深く接している人物が思い当たった。

 その人は、誘拐犯は僕ではないかと言っていたことを思い出した。皆が誘拐事件の責任の所在について言い合っていたのに、彼は一人だけ叶羽の左目のことを執拗に責めていた。

 きっと彼にとって、あれは「誘拐」ではなかったから。ただ、桜ノ宮に行って離れ離れになってしまった叶羽を、自分の傍に連れ戻したかったのだとしたら。叶羽が大怪我を負ったことだけが誤算だったのなら。

 ならば、結婚を取りやめなかった時、血を流すのは、その人物にとって最愛の存在である叶羽ではない。

 自分から叶羽を結婚という形で奪おうとしている、新郎の――由貴くんだ。

 これは、ただの憶測でしかない。
 彼が犯人である証拠なんてないし、証明もできない。

 でももし、もし、彼が犯人で、由貴くんが殺されようとしているなら――。



 叶羽はせっかく掴みかけた新たな幸せを、失うことになる。

 ならば、今こそ――あの時果たせなかった誓いを、貫く時だ。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?