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新潟県民の凄いところを知って欲しい

新潟で杉と男は育たない”なんていう自虐迷信や”新潟にはなにもない”とつい言ってしまう人も多い新潟県民。
でもそんなことはないんです。そんなことを言っててはもったいない。
新潟県にも新潟県民にも凄いところはたくさんあるんです。
今回は名誉挽回に少しそこを紹介したいと思います。

新潟の人々は強い意思をもって街を作り上げてきた

行政が動かないなら自分たちでやってしまう。そういった気質を持つのが新潟県民。もっとも有名なところだと「萬代橋」の話でしょうか。

新潟市内を分断するように流れる信濃川に橋を架けることは当時の市民にとって悲願でした。行き来する手段が連絡船のみで大雨や強風で運行できないことがざらであったため、不便極まりなく、行政には橋をかけるよう市民からの陳情が多数あったようです。しかし結果的に行政が重い腰を上げることはありませんでした。

そんな状況に痺れを切らし自ら動き出す市民。内山信太郎や八木朋直を中心に橋の設計から資金提供・回収までを計画し萬代橋作りを実行してしまいます。今でこそ行政も参加し萬代橋を観光名所として盛り上げていますが、元々は市民の強い意志のもと作り上げられた橋だったんです。

こういった市民の強い意志は今なお感じることがしばしばあります。古町の景観や歴史的建造物の保護や保全、維持といったことは行政よりも市民が先に動き、そのご行政が追随するといった例が多いようです。

新潟の杉は凄い

新潟は一年中風が強く、冬には雪に覆われる場所も多く厳しい寒さゆえ、杉は育ちにくいとされています。物理的な大きさだと多分本当なんだと思います。でもこれ、良いか悪いかで考えるとむしろ良い方向に向いているようです。というのも、その成長の遅さが作用して、新潟の杉は外に向かう成長分を中に向けるようで、身の引き締まった強く逞しい「越後杉」としてブランド化されるほどのものになっています。

一方で新潟の杉はサイズが小さいといったイメージをも払拭するような杉が新潟にはあります。阿賀町にあるいわゆる「将軍杉」です。屋久島の縄文杉を抜いて幹周日本一の杉となっています。

日本一の米どころ

これは言わずもがな。日本の台所を支える新潟の米。でもこれこそ新潟県民の努力の結晶なんです。実はもともとそれほど米作りが盛んではなかった新潟。というのも昔の新潟は治水が十分でない湿地帯が多かったため、米を作ることが難しかったようです。米どころとなった新潟の歴史は意外と浅く、江戸中期ごろからだといいます。上杉謙信もそれほど治水に力を入れたという記録もないようなので、戦国時代までは米は主要な作物ではなかったのは間違いないと思います。

転機は意外で、全く関係のなさそうな佐渡のゴールドラッシュ。治水技術が向上し新潟の広大な湿地帯を米作りに使えるようになったタイミングと同じくして佐渡のゴールドラッシュが徐々に加速していきました。

一攫千金を目指し年々増える移住者に対し、それまでの米の生産量では到底増加分の胃袋は賄えず、どんどん水田開発を進めていきます。治水技術の確立と突然の需要増加のタイミングがマッチし一気に米どころ新潟が誕生しました。

棚田のヒミツ

忘れちゃいけない棚田の話も。棚田は単に田んぼを段々に作っただけという至極単純なものではないんです。治水技術がまだまだ発展する以前で、水田管理で最も大事だったのが水の確保の方法。棚田があるところを想像すればわかるのですが山の中です。越後平野のように平坦ではなく、信濃川のような大きな水源も確保できない。そういった土地での水田農業ですから考え抜かれた仕組みがそこにはあります。

山の中で水田農業を行う上での水の確保は雨水か湧水からになります。当然ながら不定期に降るだけの雨は使いづらく基本的に頼りにするのは湧水です。そしてその湧き水を利用するにあたり問題が2つあったらしいのです。1つは米を作るのには湧水の温度が低すぎるという問題。もう1つは少しずつ湧き出る水を広い範囲に均等に振り分けることの難しさ。

この2つを一気に解決したのが棚田だったんですね。一旦水を貯めて温度を上げる、そしてその水を上から下へ一定のスピードで満遍なく振り分けていく。こうやって限られた水を最大限に有効活用する。自然との共存でこれを思いついた先人たちは本当にすごいです。

神社の数が日本一

神社の数が実は日本で一番多い新潟県。これは天下の明治政府に新潟県民が反旗を翻した事例です。あまりにも増えすぎた神社を統合して数を減らし一つひとつに威厳を持たせる、合祀政策を名政府は行おうとします。これによって日本各地で多くの神社が統合され数を減らしていきます。しかし新潟はこれを無視。理由はいくつかあるみたいですが、行政の政策よりも自分たちの意思を優先して動く新潟県民。この精神は「萬代橋」の架橋にも繋がるものかもしれませんね。今となってはそのおかげで新潟の誇れる日本一が一つ増えているわけですからさすがとしか言いようがありません。

まだまだ知ってもらいたい新潟のいいところ凄いところはありますが、今回はこのくらいで。

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