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人間くさい、動物園。

お正月休み、家族四人で東山動植物園へ行った。

ここに来るのは半年ぶりだ。動物園をこよなく愛するわたしはアドレナリンぎゅんぎゅんで、東山に限らずこういう場所では動物に関する蘊蓄を傾けまくり、同行者(主に夫)をウンザリさせる。

動物について、おとなは知識がある分、実物を目の前にすると改めてその大きさや迫力に感銘を受けるのだ。その非日常性。今回もそんな調子で心はうきうき。
20代半ば、愛知に移り住んだ。そして初めてこの動植物園に来た時、生まれて初めてコアラを見た。
「コアラだ…まじでコアラだ…」
その存在を目の前に、感動に打ち震えた事が忘れられない。

子どもは初めて見た生き物に対して、何を感じるのだろうか。それも予備知識は一切無しの。そんなもんだと受け入れるのだろうか。
今回は、年少の娘が動物への感想を色々と言うので嬉しかった。もっと小さな頃は、あまり関心が無さそうだったのに。興味関心の質が変わってきたらしい、成長だな。

特に最近はディズニー映画のズートピアに親子でどハマりしていたので、今回は基本的に「ほら!ズートピアのあれ!」で鑑賞が始まった。
可愛らしい「コツメカワウソ」を目の前に、わたしが
「連れ去られたメガネのお父さんだよ!」とワーワー言っていると、そこにやってきた10歳くらいの女の子がご家族に向かって
「あ!オッタートンさんだよ」と声高に話していて笑えた。みんな、ズートピアが大好き。

この日の動物たちは、年始とあって(?)サービス精神旺盛、こんなに活発な動きを見せてくれるなんて!とわたしはいちいち感動していた。
シロクマはバケツで元気に遊び、アシカはじゃれあったりオウオウ鳴き続けたり、それを眺めるホモサピエンス達は大盛り上がりであった。

子どもの頃、地元の動物園で延々とアシカを眺めていた事がある。丸いプールをくるくると、美しい流線を描きながら泳ぐ姿に魅了された。感触はどんな感じなのだろう、世界にはこんな生き物がいるのか、とドキドキした。
あの日のときめきが、今のわたしに繋がっているのだと思う。同じ地球上に生きる動物たちの姿に、この世のものとは思えぬ神秘性を感じる。

最近の動物園は、動物たちのイキイキとした姿を見せてくれるような仕掛けがたくさんある。ただ檻に入れられているのではなく、本来彼らが住まうべき野生の風景を再現している。だからこそ見応えも増してたまらない。今回のお目当ては、昨年リニューアルオープンしたばかりの動物舎「アジアの熱帯雨林エリア」と「ジャガー舎」。大いに楽しんだ。(ズートピアに感化されているわたしは、熱帯雨林エリアを徹底して「レインフォレスト地区」呼ばわり)

新動物舎に移動したばかりのジャガーちゃんは、まだ慣れていない上にもともと神経質らしく、ふてくされていた。

小学一年生だったかな、国語の教科書で読んだ、動物園の物語を思い出した。主人公のライオンがサービス精神旺盛で、ギャラリーであるにんげんの子どもたちのために毎日必死に吠えるが、ある日、声が枯れてしまって大慌て、それをちょっと小馬鹿にするヒョウかジャガー…みたいな話。また読んでみたい。

東山動植物園の広告塔、イケメン・ゴリラのシャバーニくんはあいも変わらずの大人気で、すごい人だかりだった。霊長類に歓声を上げる霊長類、にんげんって、可愛い。

そして今回は、初めて行くエリアもあった。正面玄関から見ると、上り坂で奥まっている場所なのでなかなか足を運べずにいたのだ。
そこは人もまばらで、明らかに「隠キャ・エリア」状態、「花形アニマル」達とは一線を画す雰囲気。お金も手間もかけられていないような動物舎が多かった。(東山に関しては、他のエリアのレベルが高すぎるのだ。それと比べると、という意。動植物園の運営は凄まじいカネと労力がいるのだろう。)
そのうちのいくつかは殆ど廃墟、貼り紙によるとそこにいた動物たちはお亡くなりになったらしい。
長女が、どこかしこにあるその貼り紙を見る度に、コレはなんだと聞いてくるのでわたしは何度も「ここの動物さん、死んじゃったんだって」と言わなければならなかった。

枯れ草や雑草の生い茂る「穴場エリア」の動物舎で、わたしは歓声を上げた。
「オオアリクイだ!!」
なんだ、なんなんだあのビジュアル。ふざけすぎだろう。奇怪でちょっとグロテスクですらある姿に、わたしは目を離せなくなった。
すごいね、なんだありゃ、はー!すごいな!
とひとり、低すぎる語彙力で騒ぎ続ける。オオアリクイ前であんな盛り上がっていたのは、わたしくらいなもんだろう。

わたしひとりが大騒ぎした、オオアリクイ。

ニホンザルのエリアには、「おさる一覧」が看板として掲示されていて、わたしは選挙ポスターを連想せずにいられなかった。

オサル総選挙ポスター

そして毛むくじゃらの彼らが無気力呆然とした面構えで陽を浴びる様子に、近所のスーパーのベンチに腰掛ける、同じく無気力なじいさま達の姿を重ねた。

頬がダルダルのカバの人相に、会社員時代の上司を思い出した。(夫も同意)
むしゃむしゃと草をはむヤギの口元からは、死んだ祖父との食卓を。
筋肉隆々、人々の熱い視線をひとり占めするゴリラの勇壮な背中からは、プロレスの棚橋弘至を。(前日テレビで見たばかり)

わたしが動物園に熱い思いを抱くのは、見慣れぬ生き物へのシンプルな感動に加え、その姿に身近な「ひと」を重ねるからだと思う。同じ地球上に生きる仲間だ、と親近感を抱くのだ。彼らが発する人間くささ、とでも言おうか。
つまるところ、動物を愛するのと同じく、ひとがすきなのである。
ズートピアも、国語の教科書も、そんな思いから作られたのかもしれない。

大満足で帰宅。その夜の寝かしつけ中、布団から顔を覗かせる長女が言う。
「お母さん、今日動物園行ったね、いっぱい、動物、死んでたね…」

間違っちゃいない、けど、さぁ。

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