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「ラジオネーム『カナチョフ』」vol.2

いよいよ開演!
西岡大貴さんご本人の登場に、会場は一気に、緊張と静かな興奮に包まれる。客席との距離はかなり近い。

いつもラジオを通して聴いているお声。ここに視覚から、ご本人の「ひととなり」の情報が伴うと不思議な感覚、もちろん良い意味で。
彼の優しく丸みのある声色で、面白く、時にちゃんと(?)毒っ気のあるトークが展開されていく。いつも聴いていた通りだ。しみじみ思う、あぁほんとに、こうやって喋ってんだな…。(当たり前だ)

今回のイベントは、「トーク&ミニライブ」という名目。内容は口外禁止、というお約束なので詳細は記せないが、面白いエピソードもたくさん聞けた。番組を聴いているからこそ分かるお話やキーワードもある。聞き手たちは静かに耳を傾けているが、ときに同じところで笑ったり頷いたり。独特の一体感がある。なんだろう、この居心地の良さと独特の緊張感は。胸が熱くなる。普段ひとりで聴いている声を、共有している感じ。見知らぬ方々とどこかで繋がっている感覚。

心配していた娘たちだが、持参したお菓子やジュースを、ひたすら与えた。リスナーさんがくださったものもある。(感謝…!)
まるで機械仕掛けの人形のように、無表情で菓子をむさぼり続ける彼女らに一種の狂気を感じたが、おとなしくしてくれて助かる。全てわたしの都合だ。会の後半は、長女はスマホ(アルバムアプリで過去の写真を延々と見ていた)、次女はわたしの財布漁りなどでどうにか誤魔化した。

さてトークは、事前に募集していた質問コーナーへ。なんとここで、わたしの送ったものが採用された!
「ラジオネーム『シンヤコワ・カナチョフ』からの質問…ここにも今、来てくれてるんですよねきっと」
と言われた瞬間は、これまで感じたことのないたぐいの高揚感だった。心がささやかに波立つ感じ。

そして、ライブパートへ。長女は相変わらずのスマホ、しかしここでもう次女が限界!トイレへ避難。

ご迷惑をおかけして本当に申し訳ない。24時間幼児と共にいるわたしの感覚と、そうでない方の感覚はまったく違う。わたしが「まだ大丈夫」と思う状態は、もう世間的にはアウトだ。時すでに遅し、恐らくレッドカードレベル。
せっかくの弾き語りを堪能できず残念だった。でも、ここまで耐えてくれて有難う娘たち…。そして重ね重ね、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

そして、物販の時間へ。西岡さんが直接対応し、リスナーと交流をする場面でもある。会場も程よいざわめきに包まれ、リスナー同士も挨拶を交わしはじめる。

わたし達も物販に並ぶ。緊張は最高潮だが、こういう時に子連れだと、そっちに気を使っているふりをしながら何となく気もちを誤魔化せて良い。(子育て世代なら共感してくれるはず)

いよいよわたしの番だ!先日お誕生日を迎えられたばかりの西岡さんに、プレゼントを渡す。ラジオでお話されていたことを踏まえ色々と詰め合わせた結果、「実家のオカン」みたいなラインナップになってしまった。
そして西岡さんのエッセイを購入。サインして頂く際、お名前は?と聞かれ
「カナチョフです…」と、しおらしく返答。何を言ってんだわたしは。でもこの場では、それがわたしの名前なのだ。
「そうかな、と思いました」と西岡さん。瞬間、天にも昇るような気もち。メールのやり取りを覚えていてくださったのか?写真も撮ってもらい、ふわふわ浮き足だったままその場を離れる。

そのテンションと場の雰囲気に後押しされ、わたしも「カナチョフです」と挨拶回り(?)。何を言ってんだわたしは。でもここはそういう場、そう独立国家、特別な世界線。もうそんなテンション、頬も紅潮しているはず。

物販にて女性リスナーさんが、自身のラジオネームを西岡さんに告げ「○○さんですか?あの!」などのリアクションを返される。それを聞き「えっ、○○さん?」と周囲がざわめく、この異様さ。

わたしはよく知ったラジオネームの方々とたくさんお話できて、更にアドレナリンぎゅるんぎゅるん。あなたが、あの?!うわー、お会いできて嬉しい!の繰り返し。中にはわたしのリクエスト曲を覚えていてくださった方もいて大興奮。何なんだ、ここは。終始笑いっぱなし。楽しい、楽しすぎる。

皆さん本当に優しく温かく、幸せな時間だった。名残惜しいが、会はお開き。最後まで西岡さんが見送ってくださった。

皆さんに別れを告げながら、地上への階段を上る。真昼の日光が現実を告げる。

あー、あたし、楽しかったよ!と娘たちに一方的に言いながら車に乗り込む。チャイルドシートにおさまり、コンビニで適当に買った菓子パンをむさぼり始める我が子たち。ほっとしながらバックミラーで自分の顔を確認すると、てらてらと不気味に光っていた。

せっかくここまで来たのだから寄り道して帰ろう、と計画していたが、やめよう。この高揚感のまま帰路につきたい!

あー、楽しかった。エンジンをかける。リスナーの皆さんの顔が浮かぶ。西岡さんの姿を思い出す、声や表情、あの空気。まだ胸が高鳴っているのが分かる。上機嫌でアクセスを踏み続ける。

車窓から見える景色が、どんどん見知ったものになる。
そして、不安になってきた。わたし、おしゃべりし過ぎてなかった?調子に乗ってた?変なテンションで、皆さんに、不快感を与えてないかな…。

そうだ、買い物。近所のスーパーに寄った。車を降りた瞬間気づく。

あぁ、もうわたしは「ラジオネーム『カナチョフ』」ではない。

いつものスーパー、いつもの町、いつものわたし。決して興醒めしたわけではない。でも、明らかに心の温度が違うのだ。濃いめの化粧をしてお出かけ用ワンピースを着ているだけの、「いつものわたし」。

あの時間、あの空間は異世界だったのだ。店頭に並ぶ生鮮食品のうち、1円でも安いものを求め品定めしながらそう考える。

帰宅後、締め付ける服を脱ぎ捨てしばらく放心した。まだ心のどこかに、興奮のほとぼりが残っているのを感じる。

ラジオは特殊なメディアだと思う。リスナーが番組に参加するという感覚。ラジオの向こうの人間が「わたしのために」話してくれているような気がする。「わたし個人」を認知してくれていると思える。だからこうやって夢中になっている。

西岡さんが、ある日の放送でこんなことをこぼしていた。
「ラジオは、パーソナリティー(番組ではナビゲーターと呼ぶ)が本音で喋ってくれるからいいよねっていうけど、全てが本音だなんて、そんなことないからね」
その通りだと思う。

そしてそれは、リスナーも同じだ。名を明かさず、自分が発信したいことだけを文面で送る。パーソナリティの声を借りて、それが世の中に発信される。聞き手はそこから想像するしかない。

そのメッセージを送ったリスナーの本質は、まったく違うところにあるのかもしれない。いや、それがほとんどだろう。でもそれは嘘偽りではない。本来、人間とは多面性をもつ生き物なのだ。

思うに、人間関係はジグソーパズルのようなものだ。人間はそのピースのひとつ。置かれた環境によりパズルの絵柄は違い、ピースとして自分の形、大きさは異なる。そうやってはめ込まれるのが、心地よい絵柄、そうでない絵柄。それが人生。人は、楽しさの中だけでは生きていけない。

今回のイベントを通して思った。ラジオは、ひとつの心の置き場なのかもしれない。自分を、他人を肯定できる、居心地の良いパズル。人々は救いを求め、自分を承認してくれる場所へチューニングをあわせる。同じ時間に、同じパーソナリティーがそこにいてくれる。日常の中にありながら、どこか違う世界を見せてくれる。

だからあのイベントは、多幸感に包まれていた。互いを認め合う空間なのだから。「BigYup!」を通し、同じ音楽、同じ価値観を分かち合える、安心できる仲間なのだから。「ラジオネーム『カナチョフ』」としてのわたしは、あの場で猛烈に幸せだった。

別れ際、わたしはリスナーの方々に「またお会いできたら嬉しいです」と告げた。本心だ。でも、叶うかどうかは分からない。
それでも良いと思える。

土日の朝、番組の中で聴こえる声が、読まれる名前が、彼らの笑顔や声の記憶に繋がる。あの人もどこかでこの番組を聴いている、と想像される。それだけで嬉しい。

イベント後に放送された「BigYup!」での西岡さんの声は、以前より確実に、立体的に、そして温度を伴いながら、わたしの耳に届いてきた。

※最後に、子ども連れで大変ご迷惑をおかけしたことを改めてお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。たくさんの方からのご配慮で、わたし自身が心から楽しめました。ありがとうございました!もしここを読んでくださる方がいたら、伝われ…!※

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