【全3記事】1.ヤンキーに"なりたくて"なった
こんにちは!
小西叶恵(こにしかなえ)です♪
本日は前回の記事で予告させていただいたとおり、私の脱ヤンキーしようと思ったきっかけや仕事が好きになったことを3本立てにして記録に残していこうと思います♪
ヤンキー0% 0-15歳
ヤンキー100% 15-18歳
ヤンキー30% 18-24歳
この3本立てのヤンキー0%を今回は書いていきます♪
自信のない控えめガール
私は埼玉県の田舎の方出身で、元料理人をやっていたところからガラッと変えて建築系の自営業をしている父と、パートも営業もバリバリ働いている母のもとに、4人兄弟の末っ子として産まれました♪
産まれてから小学校卒業までで、両親との思い出は正直あまりなく、共働きだったこともあり祖父母の家に毎日行っていた為、授業参観に来てくれたらすごく嬉しくて誇らしくて、来れなかった日は少し寂しいけど「お仕事だもんね!仕方ない!」と、思っていました。
初めての主張
お仕事を頑張っているのは私や兄妹のため。
誰も悪くない
↓
だから責められない
↓
でも寂しい
↓
ストレスに変化
いつも一緒にいる祖父母の家で、ストレスを発散してしまいました。
「ばあちゃんなんて嫌い!ばか!」
言ったその日から、祖母への罪悪感がとめどなく溢れ、泣き出したことを覚えています。ごめんねって、言ったのかな・・・?今日はもう祖母は寝ているので明日電話で謝ろうと思います。
この場を借りて謝らせてください。
ばあちゃん、嫌いって言ってごめんなさい、本当は大好きだし、私はばあちゃんの優しさと愛情で育ち、今ここにいます。
一緒にお散歩するのも、学校までお迎え来てくれたことも、お迎えのときにいつもおにぎりやお菓子を後部座席の私にくれたことも、かわいいかわいいと褒めて育ててくれたことも、当時の私は気付けなくてごめんね、今ならわかる!ばあちゃんに愛されて育ってきたこと。本当に、本当に、ばあちゃん大好きだよ。
ヤンキーの始まり
祖母とは付かず離れずの関係のまま、中学に上がり何故か剣道部に入りました。当時はガリガリで病弱だった私は、少しでも強くなりたかったのでしょうか・・・?おかげで、礼に始まり礼に終わるという武道の素晴らし差を体感することができ、今ではあのとき頑張った自分を心から褒めてあげたいものです。
部活以外の時間は、当時流行っていた、mixiやデコログやアメブロ、前略プロフィールを一通りやったときに他の中学の友達ができました。
小学校からの友達よりも新しい自分として出会えたためすごく楽しかったのです。
はじめは学校終わりに地元で集まったり、話したり健全な青春を謳歌していました。
自分の『好きにできること』が本当に楽しくて祖父母に会いにいく頻度が落ち、家に帰る時間が遅くなり、土日に友人のお父さんのもとでお手伝いをしてお小遣い稼ぎをしたりと家にいることがどんどん減っていきました。
中学3年生になると今まで主張してこなかった自我がMAXになり、ついに自分がやりたくないことはやらない、気分とノリが全てという人格が形成され、始まったのです。
地獄の反抗期が。
ヤンキー100% 15-18歳 に続く♪
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