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【中国語原書】この夏に読んだ本:厳歌苓『非洲手記』(アフリカ手記)

こんにちは、かなの中文散策です。

毎日、まだまだ暑い日が続きますね。

今日は、この夏に読んだ本を紹介したいと思います。

厳歌苓『非洲手記』人民出版社

厳歌苓はアメリカ国籍の華人作家です。

1958年に上海で生まれ、文革時の1970年に人民解放軍に参加し、文エ団という芸術団のダンサーとなります。その後、戦地記者を経て、作家として活動を始めますが、1988年アメリカに渡り、コロンビア大学に入学しました。
アメリカでも執筆活動を続け、これまでに沢山の作品を発表しており、多くの文学賞も受賞、映画化もされています。
また、彼女の作品は世界各国で翻訳されていて、日本では『シュウシュウの季節』(角川文庫)などがあります。


『非洲手記』(アフリカ手記)は、2004年アメリカの外交官である夫・ローレンス・ウォーカーがナイジェリアの首都・アブジャに赴任になり、彼女も共にナイジェリアで生活をした時のことを記録したものです。

これまで私は厳歌苓の作品を読んだことがありませんでした。
でも、今夏は中々外出なども出来ないので、読書で別の世界を体験してみようと思い、アフリカが題材のこの本を選んでみました。

ナイジェリアという国はとても大変だな……というのが始めの感想です。


ナイジェリアは19世紀以来、イギリスの植民地となっており(1960年に独立)、現在は民主政権が誕生しています。しかし、アフリカ最大の産油国であるにもかかわらず、政府による汚職や腐敗が非常に蔓延し、失業率もとても高く、貧しい生活をしている国民は多いそうです。

また、ナイジェリアでは景観の妨げになる建物は片っ端からブルドーザーで取り壊す政策(夷平政策)がとられていたことが挙げられています。

厳歌苓の家で働く運転手さんの家も取り壊されたり、家事手伝いの女性(希望小姐→後述します)の婚約者が貧しい子供達のために学校を開いていたのですが、その学校も取り壊されてしまいます。でも、政府からは何の補償も建物の再建もないので、人々は突然財産を失い、困窮していました。

ただ、そんな貧しい中でも、人々の信仰心は厚く、心の拠り所となっています。
ナイジェリアの主な宗教はイスラム教とキリスト教ですが、イスラム教徒はモスクに、キリスト教徒は教会に行くことを、各々大切にしていることが伝わってきました。


一方、日常生活においては、厳歌苓は米国大使館の外交官夫人という立場なので、とても恵まれていたと思います。しかし、しょっちゅう停電があったり、日常生活で食べ物を入手するのが大変で、野菜を裏庭で栽培したりなどのエピソードが描かれていました。


「酋长的女儿」

私がこの本の中で一番考えさせられたのは「酋长的女儿」(酋長の娘)という章でした。

これは、厳歌苓の家で家事を手伝っていた希望小姐のお話です。
希望小姐はナイジェリア人で、英語名は「Hope」というので、厳歌苓は希望小姐と呼んでいました。
希望小姐は元々は酋長の娘で(ナイジェリアには多くの部族がある)、とてもしっかりしており、自分の尊厳や権利を大切にしていました。

厳歌苓もイギリス植民地時代から続く「主人」と「使用人」という関係をとても嫌っていたので、お互いを名前で呼び合ったり、雑談をしたり、楽しく食事をとったりなど、とても気を配っていました。

ある時、希望小姐が(自分の用事で)緊急で銀行に行くことになりました。
彼女が出発してから、厳歌苓も人と会う約束があった事を思い出します。
すぐに運転手を呼ぼうとしたところ、希望小姐が無断で車に乗って銀行に行ってしまっていたのです。

友人と連絡を取ろうにも携帯電話も通じず(首都アブジャではよくあるそうです)、厳歌苓は困ってしまいました。
米大使館では、そこの家で働く者は断りなく車を使用してはならないという規定もあり、希望小姐が家に戻ってきた際、厳歌苓は激怒します。

すると、彼女は厳歌苓の前に進み出て、「奥様、どうかお許し下さい」と突然跪きました。
厳歌苓は驚いて、慌てて立ち上がらせようとしましたが、希望小姐は頑として立ち上がらず、「許して下さいますか?」とうなだれ跪いたままでした。
あまりにも自然に希望小姐が跪いたことに、厳歌苓は植民地時代からの深い歴史を感じて無力感を覚えたと書いています。

こうしたことは今も根強く残っているようで、そもそも厳歌苓の住む家の構造も、全てに2つずつドアや通路があり、「主人」と「使用人」が別々に使うように分けられていたそうです。

植民地時代からの因習が残る中、厳歌苓は努めて平等な関係を築こうとしていましたが、希望小姐が跪いたことで、厳歌苓の目指した「自由、平等、博愛」はもろくも崩れ去ってしまいました。


我苦心经营的“自由平等博爱”在一个沉重的下跪间粉碎了。20岁的希望小姐不明白她从书本上来的尊严、人权概念都挡不住她瞬时的下跪,因为这下跪动作在她出生前就预设在她的本能中,是和殖民史一样古老的动作,因而她跪得坚实,我搀得无力。
       60年代马丁・路德・金一腔非情的诗意,对我们述说着:”我有一个梦想。” 到了遥远的黑非洲,我才明白,那是个多么幽远的梦想,因为它在沉积岩般的现实面前,太依稀缥缈。即便它变成每个人的梦想,距离改变这创伤沉积的历史和现实,也还非常遥远。
(P200-201)


今回、この本を読んだことで、実際に生活した人にしか分からないナイジェリアの様子を垣間見ることが出来たのは、とても良かったです。

ナイジェリアという国は、今まで私にとって、なんか名前は聞いたことのあるアフリカの国……程度の知識しかなく、これからも全く知らずに過ごしていたと思うので、貴重な読書経験だったと思います。


現在、国内や外国への移動が制限される中、遠いアフリカのナイジェリアに思いを馳せることのできる一冊でした。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。



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