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NPO活動は「偉くてすごい」のか

NPO活動をしている、と言うと、
「偉いね、すごいね」と言われます。
アルファベット3文字でかっこいいからでしょうか。
NGOと間違われることもよくあります。

自分では、活動している事実について偉いだろう、すごいだろう、と思っていません。
だけど、誰かからそう思われたり言われたりするのは嫌じゃないし、そう思われるんだな、という自覚もあります。「全然偉くないよ!すごくないよ!」と謙遜する気もなく、あなたはそう思うんだね、と受け入れるだけです。

なんで自分がそんなふうに思うのかな、と考えてみたのですが、私にとって子どものまちの活動はあまりにも当たり前だから、という答えになりました。

初めて参加した小学生の頃は、地域活動としての自覚はありません。
「ボランティア」と言われるとそうなのかもしれませんが、その言葉にはずっと全然しっくりきません。
日本では、「ボランティア」は無償奉仕とか、学生が内申点を稼ぐための道具にされている印象があるからかもしれません。
(行為そのものやその言葉を使う人を否定する気持ちは全くありません。私の中のイメージの問題です。)

子どもの頃から子どものまちの活動それ自体は遊びであり、仲間がいて、頼もしい大人たちがいて、私の1つの居場所でした。だから、えらいとかすごいとか言われても「そっかー、そう思う人もいるんだな〜」という感じだったのかな、と思います。

「自立とは社会のなかに依存先を増やすこと」という言説が一時期メディアで取り沙汰かれました。元々は障がいや病気に関する研究をしている熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター准教授)の言葉です。

私にとって、学校や家庭の他のひとつの依存先が子どものまちなのでしょう。子どもの時にそれに出会えて、継続して来られたことは何よりの財産だと感じています。

人から見たら「すごい、えらい」と思うことが、自分のやりたいこと、あるいは日常であることはあまり多くないでしょう。

人からの賞賛は素直に受け止めて、だけどありのままの私の気持ちを変えることなく今後も子どものまちの活動を続けていきたい、と思います。


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