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□「なんで僕に聞くんだろう。」を読んで。

昔から、小説以外の本を読むのが苦手でした。
本屋の平積みを見ると興味は湧くけれど、いざ読み始めても最後まで読み通せない。
無理矢理読んだところで、文字を追いかけただけで記憶に残らない。
そこで、アウトプット(要約)することを目的に本を読み、少し感想も記録するよう、このnoteでトライしていました。
(ここしばらくサボりがちですが)

でもこの本は、意識せずとも心に残る本でした。
それは、これまで言葉にできなかった葛藤が胸の内にストンと落ちて、自分の考え方が何か大きく変わるんじゃないかと思うほどです。

そして、本の内容をまとめただけでは、自分の中に落とし込んだことにはならないと改めて思い、きちんと自分の言葉で感想を書きたいと思いました。


作者の幡野さんはガンを患う写真家さんで、ガンになってから寄せられた様々な人生相談に、Q&A方式で答えたものを、まとめたのがこの本です。
作者は、特別に新しく、抜本的で、目が輝くような解決法を提案しているわけではありません。
ただ相談者さんの、なかなかに重い問いに対して、淡々と冷静に自分の見解を述べている…だけなのです、が。
この見解が、どうしてこうもたくさんの思いで飾り立てられた言葉を丸裸にできるのか?というほどに、シンプルなのです。
相談者さんの、様々な迷いや葛藤の入り混じった質問から、本当に聞きたいことを拾い上げてくれるのです。

私は常々、本当に頭のいい人は、難しいことを難しい言葉で説明するのではなく、難しい言葉を簡単な言葉で説明することができると思っていました。
英語は日本語よりも、言葉の構成がシンプルなので、よりそのことを強く感じます。
幡野さんの言葉からは、まさにそんな様子が感じ取れます。

作者の幡野さんは、世の中をすごくフラットに平等に、偏見や邪推やフィルターなく見ているようなのです。
自分の経験や知識や感情のフィルターを、意識的に外すことはとても難しいと思います。
所謂、無意識のバイアスというやつでしょうか。

幡野さんのしていることは、自分だけでなく相談者さんの、そうした無意識のバイアスを外して、本当の悩みや問題を見抜き、それに対しての次の一歩を伝えるという、ひたすらに優しさを感じる回答なのです。
時には厳しい回答もありますし、畏まっているわけでもなく、乱暴な言葉もありますが、あくまで相手に自分の正しさを押し付ける「説得」ではなく、訴えるわけでも諭すわけでもなく、ただ「伝える」ことだけを目的とした言葉の紡ぎ方は、人と人との対話に必要なものとは何かを考えさせられます。

幡野さんは、この本の冒頭で、「すべての質問を息子から聞かれたものと想像して答えている」と書いています。
これを読んで、RGBというドキュメンタリー映画で、主演の女性弁護士ルースベイダーギンズバーグが言っていた「怒りに任せて反論するのではなく、常に人に何かを教える気持ちで応えること。」という言葉を思い出しました。
この2つに共通して言えることは、いずれも、相手を大切に思い、相手の意思や考えを尊重しようとする意識です。
「相手を否定する話し方はよくない」ということはよく言われますが、これだけ聞いて、じゃあなんでも肯定すればよいのか?となると、もちろんそうではないです。
でもこの否定しない、尊重するということを普段から実践するのはとても難しく、自分と異なる意見や価値観を持つ相手に対して、どうアプローチすればいいか、これだけではあまりヒントにならなかったりします。

ですが、幡野さんの回答を見ていてわかったことがあります。
顔も知らない相談者からの、長かったり短かかったり、丁寧だったり乱暴だったりする文章を見て、自分だったらどんな回答ができるかと考えた時に、まず、「何が正解か?」を考えてしまいました。
それに対して幡野さんは、「この人は本当は何が聞きたいんだろう?自分の中でどんな答えを想定してるんだろう?」と考えて、回答しているのです。
それが、幼い息子からの相談を想像することや、何かを教える気持ちで応える意識から来る違いなのかなと。

幡野さんの言葉で、特に印象に残っているのは、「ウソでコーティングされた本音は、ウソとしてしか伝わりません。」という言葉です。
そしてこの「ウソというのは、おもってもいないこと」だそうで、少し耳が痛くなります。

多くの人は悪意がなくとも、無意識にたくさんのウソをついています。
それは所謂処世術と言われるもので、嘘も方便なのかもしれません。
でもその中には、自分の見栄やプライドのための、たくさんのウソも隠されています。
何が本音で何が建前か、何がウソか、自分で自分の本音がわからなくなってしまっては、本当に相手と対話する時に、相手に何も伝えられなくなってしまうのだと思いました。
ウソが一概に悪いことだとは思わないのです。
ただ、表面の出来事にばかり惑わされて、不安になったり意地を張ったりせず、地に足をつけて、ウソがウソであることに、気付ける人になりたいとは思いました。
そのためにはまずは日頃から、取り繕った自分と本音の自分をきちんと意識しなければいけないのかもしれません。
そして、相手ときちんと本音で対話をできる、大切な人が悩んだ時に人生相談に乗れるような人間になりたいと思いました。

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