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たまには寄り道して帰ってみるものだ。

昨日気まぐれで、寄り道しながら普段通らない道で帰った時、目にした牡丹がとても綺麗でnoteにもつぶやきを残していたのですが、その後から私の心にはずっともやもやひっかかることが。

「あの花の美しさから感じた心の動きを、今の私の語彙力では表現しきれない。」

何と言葉にしたらよいのか、言語化できないもどかしさがずっと残り、自分の語彙力の少なさに強く直面させられた気持ちでした。

情景描写は、やっぱり難しい。
苦手意識からつい努力を避けてしまっていたなと、自分への甘さを自覚し、少しへこみました。




気を取り直して、
「では他の方はどんな風に表現されているのだろう?」と、
『牡丹』で少し調べてみると、一つとても衝撃的な歌を発見。

虹を吐いて ひらかんとする 牡丹哉
与謝蕪村

これは私が見た満開の牡丹ではなく、蕾が今まさに開こうとしている姿を描写した歌。
誰もが知る江戸時代中期に活躍した俳人「与謝蕪村」の歌です。


虹を吐いて ひらかんとする
虹を吐いて・・・!


ものすごい衝撃で少し身震いが起きました。

『虹を吐く』

このような表現があるのかと、言語表現の奥深さに暫し放心状態に。笑

”たいへん元気よく、生き生きと"
だいたいのニュアンスはこんな感じでしょうか。

素晴らしい表現ですね。
(この衝撃を表すことも、今の私には難しくて歯がゆい。)


今まで詩歌にはあまり興味がなく、積極的な分野ではなかったのですが、
「自分が表現したい」と能動的な気持ちで言葉に触れてみると、その深い鮮やかさが突如見え始め、ごく身近にあった世界に色があったことを、ようやく知ったような感覚に陥りました。


もっと頭を柔らかくして、私も豊かに表現してみたい。


せっかく文章に触れる場をここで築いているので、一つ一つの表現をもう少し前のめりに向き合ってみるのもいいかもしれないと、そんなことを今日は思いました。


「学び」は、常に行動の中にあって、
それは生活のあらゆるところで「使うもの」。

言葉もきっとそう。
知識として溜めておくものではないのだと、改めて実感させられます。


日本語との歩みは、この先も長く続いていくでしょう。
楽しい旅の素晴らしい相棒として、仲良く歩んでいきたいですね。



結局、私の心には言葉にできなかった消化不良の感動が残ってしまったので、今回は思いつきで絵で表現してみることにしました。

花を描くなんて何年ぶりでしょうか。
こうやって描いてみるのも楽しいものだなと気分転換にもなったので、気が向いたらまた描いてみようと思います。


いつもと違う道を選んで帰ったことが、たくさんの気付きや学びに繋がっていて、こういうちょっとした変化も侮れないなぁ、ということも知ることができました。

寄り道や遠回りが、思いがけない大きなヒントを与えてくれることもある。
直進だけが全てではないことを改めて思い出させてくれた、美しい花たちとの出会いでした。


では、今日はこの辺で。
お読みいただき、誠にありがとうございます。


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